第八十五話 呪われた自動販売機 ― 後半 ―
夜の公園は、ひどく静かだった。
風が止まり、葉が揺れる音すらない。
零とクロが足を踏み入れると──
まるで公園全体が“息を潜めて様子をうかがっている”ような、奇妙な沈黙が広がっていた。
クロは少女姿のまま、零の外套をぎゅっと掴む。
「ねえ零……ここだけ、空気が変だよ……まるで……この場所だけ、夜が濃いみたい……」
零は視線を公園の奥へと向けた。
そこには──
ぽつん、と立つ自動販売機。
周りの街灯は正常に灯っているのに、その自販機だけ、光が当たっても色が沈んで見えた。
クロの声が震える。
「あれ……普通の自販機じゃないね……」
零は小さく頷きながら言う。
「祠の封印を喰ったせいだ。過剰に怨念を吸いすぎ、もはや“物”ではない。」
自販機は静まり返っている。
しかし、近づくたびに──
カタン……
カタ……ン……ッ……
内部で、何かが“落ちる音”がした。
飲み物の缶ではない。
硬く、重く、湿った音。
クロの顔が青ざめる。
「れ、零……これ、絶対おかしい……」
零は前へ進む。
そして自販機の真正面に立つ。
見た目は普通の型落ちの機種だが──
商品ボタンのランプは全て消え、取り出し口は黒い穴のように深く見える。
零はその穴に向かって呟いた。
「……出てこい。祠に封じられた“手”だけで動くほど、浅い怨霊ではなかったはずだ。」
その瞬間──
カッ!!!
自販機の奥で、何かが“光った”。
次の刹那。
ガンッ!!!
自販機の取り出し口が乱暴に開き、白く長い“腕”が飛び出してきた。
クロが悲鳴をあげる。
「きゃっ!!」
腕は蜘蛛の脚のように折れ曲がり、地面を“カリカリカリッ”と掻きながら零へ迫る。
零は筆を振り下ろした。
「《退縛符》。」
紙一枚を地面に叩きつけると、術式が広がり、白い腕を一瞬で絡め取った。
だが──
ビキッッ!!!
白い腕は人間とは構造の違う関節でねじれ、異様な力で符を破り、再び動き出す。
クロが震える。
「なにこれ……!!封じても止まらない……!」
零は眉をひそめた。
「祠の封印の“本体”がまだ生きている……あれは手先にすぎない。」
その時──
自販機の奥から、“ずる……ずる……”と、何かが這い寄る音がした。
クロは震えながら零の後ろへ下がる。
「ゼ……ロ……あれ……」
自販機の取り出し口から、“身体の上半分だけ”の女性が這い出してきた。
長い黒髪を引きずり、白目の目玉は左右に揺れ、口は裂けるように開いている。
腹から下は存在しない。
まるで上半身だけが切り取られたような異様な姿。
クロが息を呑む。
「か、体が……ない……」
零は冷静に呟く。
「祠に封じられた“怨霊の主”だ。」
女の霊はゆっくり零の方を向き、
――タス……ケテ……
と、ひび割れた声で泣いた。
クロが驚いて叫ぶ。
「助けて!?でも……この人、怨霊じゃ──」
零は即座に言った。
「違う。この怨霊は“憎しみ”ではなく、“悲しみ”で祠に縛られていた。」
女の霊は涙のような黒い液体を流しながら、地面に手を伸ばす。
――ミツケテ……
ワタシ……オカアサン……
コドモ……シラナイ……
ココデ……ハグレタ……
クロの胸が締め付けられた。
「子ども……?この人……祠の場所で亡くなったとき、子どもとはぐれたの……?」
女の霊は必死に、泥のような手で地面を掘る。
零は静かに告げる。
「祠が壊されたとき、この霊は“自分の子どもを探しながら死んだ記憶”に飲まれた。」
クロは涙をにじませる。
「じゃあ……この人を助ければ……自販機も止まる……?」
零は頷いた。
「この霊の“願い”が成仏を阻んでいる。子を探し続けているから、祠の封印に縛られ、怨霊化した。」
霊は苦しそうに、掠れた声で叫ぶ。
――ワタシノ……コ……コ……ドコ……
アノ……ナカ……
指が、自販機を指した。
クロの表情が硬直した。
「……零……まさか……!」
零の声が鋭く切り込む。
「自販機の奥には祠の地下が繋がっている。そして祠には“子どもの霊”も封じられていた。」
クロが唇を震わせる。
「じゃあ……親子が……祠の中で、ずっと……会えないまま……?」
零は頷き、筆を構えた。
「終わらせる。」
零は手早く術式を描き、紙を自販機に貼る。
《開禍門》──“封印を開き、因果を暴く術”。
自販機が大きく震えた。
取り出し口の奥から、小さな手が伸びる。
ちいさな……白い手。
クロが息を飲む。
「子どもの……霊……!」
零はその手に触れ、術式で包み込むように引き上げた。
そこには──
涙を流しながら震える、五歳ほどの男の子の霊。
母親の霊は声にならない声で泣き、
――ア……アアァ……
零は子どもの霊を母親へそっと近づけた。
二つの霊はゆっくりと触れ合い──
光が生まれた。
柔らかい、温かい光。
祠に封じられ、町に縛られ、自販機に閉じ込められた二つの霊が、ようやく再会した瞬間だった。
クロは涙をぽろりとこぼす。
「……よかった……やっと……会えたんだね……」
母の霊は子を抱きしめる。
その身体が少しずつ透明になり──
――アリガトウ……
たったその一言を残し、光の粒となって消えていった。
自販機が音を立ててひび割れ、中の闇が霧散するように消えていく。
零は静かに呟いた。
「祠の封印は解除された。これで……もう誰も消えない。」
クロは涙目で零に抱きついた。
「零……よかった……本当に……」
零はクロの頭を軽く撫でる。
「仕事をしただけだ。」
その後。
ゆきの恐怖症状は徐々に解け、公園の“呪われた自販機”は翌日には撤去された。
行方不明者の大半は戻らなかったが──
母子の霊が成仏したことで、それ以上の被害は二度と起きなくなった。
ゆきは零とクロに深く頭を下げて言った。
「本当に……ありがとうございました……!」
クロは微笑んで答える。
「もう大丈夫。夜にひとりで自販機に近づいちゃダメだよ?」
零は黙って外套を整える。
ゆきが帰った後、クロは零を見上げて言った。
「ねえ零……今回の依頼……ちょっと悲しかったね……」
零は短く頷く。
「だが、救えた。呪いは悲しみが原因でも、断てる。」
クロは零の袖をそっと掴んだ。
「零は……優しいね。」
零は答えない。
ただ静かに窓の外を見る。
雨は降っていない。
風も穏やか。
そして夜の街には──
再び静寂が戻っていた。




