第八十五話 呪われた自動販売機 ― 前半 ―
夜の街は、人の気配が薄れてどこか冷たかった。
黒猫呪術代行事務所の窓の外には、薄い霧が漂い、街灯の光をぼんやりと滲ませている。
零は机の上に広げた古い呪符を整理しながら、静かに息をついた。
クロは黒猫の姿で窓辺に寝転んでいたが、ぴたりと耳を立て、小さく呟く。
「……ねえ零。今日の夜……なんか、ざわざわしてる。」
「知っている。さっきから“呼び出す気配”が濃い。」
クロは少女の姿になり、零の傍に寄る。
「依頼……かな? でも、いつもの呪いの感じと少し違うよ?」
零はそれに短く頷いた。
「確かに、妙だ。あれは“生者”の恨みではない……もっと乾いた、機械のような……奇妙な怨念だ。」
クロは眉をひそめた。
「機械の……怨念?」
その時。
事務所の扉が、弱々しい力で叩かれた。
コン……コン……
音は小さいが、確かな「助けを求める気配」がある。
零が「入れ」と言うと、扉がゆっくり開き、制服姿の女性がよろよろと入ってきた。
高校三年ほどの年齢。
髪は濡れておらず、雨の気配もないのに──
肌は異常なほど冷たく青白い。
少女は名乗った。
「わ、私……白峰ゆき……です……
夜道で……自動販売機に……殺されるところでした……」
クロは目を丸くする。
「じ、自動販売機が!? 殺すって……そんな……!」
少女は震えながら語り始めた。
「部活帰りで……喉が渇いて……公園の端にある、自販機でお茶を買おうとしたんです……」
その声は震え、零の背筋にひんやりとした冷たさが走る。
少女の表情は強い恐怖で固まっていた。
「お金を入れようとした瞬間……自販機の“取り出し口”から……白い腕が……伸びてきて……」
クロは悲鳴を上げかけ、口を押さえる。
「白い……腕……?」
「はい……人間のものじゃなくて……長くて……細くて……指が……折れ曲がったまま伸びて……私の足首を“つかんだ”んです……!」
少女は身を抱え、必死に耐えるように続けた。
「そのまま……自販機の中に引きずり込まれそうになって……外から見たら普通の自販機なのに……中は……底の見えない“闇の穴”みたいで……」
零の表情がわずかに動く。
「……呪われた自動販売機、か。」
クロが零を見る。
「零、知ってるの……?」
零はゆっくり頷く。
「昔、この街の地下に“祠”があった。
怨霊を封じるために作られた場所だ。だが都市開発で祠は壊され……代わりに上から“便利な街の設備”が建てられた。」
クロの顔が青ざめる。
「もしかして……その上に自動販売機が?」
「ああ。封印場所の真上に設置されたのだろう。」
ゆきは零の言葉に小刻みに震えた。
「じ、自販機に連れていかれた人たち……学校でも噂になってて……“飲み物を買った人が、翌日から行方不明になる”って……」
クロは声を震わせた。
「その人たち……まさか……」
ゆきは涙をこぼしながら言う。
「みんな……自販機の中に……“落ちた”んです……私も……あと数秒で……」
クロが少女の背にそっと触れる。
「大丈夫。零がいるから、もう大丈夫だよ。」
零は腰を上げ、黒い外套を羽織った。
「赤信号だ。封印の祠は完全に破れている可能性がある。」
クロは少女姿のまま、零の隣に並ぶ。
「零……行くんだよね?」
「ああ。放置すれば、行方不明者は増える。──行くぞ、クロ。」
クロは力強く頷いた。
「うん!」
ゆきは零の袖を掴む。
「ど、どうか……!あの自販機から……みんなを助けて……!」
零は静かに答えた。
「助ける。だがまず──“自販機の正体”を暴く。」
ゆきは震えながら息を吸う。
零は目を細めて言い残す。
「祠を荒らした者がいる。自販機の“白い手”は……封じていた怨霊の一部だ。」
クロはぞくりと肩を震わせた。
「じゃあ……自販機の中にあるのは……」
零は淡々と言い切った。
「──“祠の地下空間”そのものだ。」
事務所の灯りが静かに揺れた。
そして零とクロは夜の街へ向かう。
呪われた自動販売機の真実を暴くために。




