第八十四話 赤い紙飛行機 ― 中半 ―
空き地に到着したのは、完全に日が沈み、街灯がぼんやりと光を落とす夜だった。
雑草が伸び、誰も近づかないような荒れた場所。
しかし──その中央だけ、妙に“空気が軽い”。
クロが響の袖をそっとつまむ。
「ここ……何か“抜けてる”。普通の空き地なのに、匂いが変だよ……。」
零は周囲を見渡しながら言った。
「気配が薄いのではない。“子どもの気配だけが、やけに濃い”。」
響は身を縮める。
「ひ……一人でここにいたら、正直気が狂いそうでした……」
零は紙飛行機を指の上に乗せ、そっと空気に触れさせた。
その瞬間──
ぶわっ……!
紙飛行機の折り目から、“白い煙のような気”が溢れ出した。
クロが驚いて後ずさる。
「零……!なにこれ……!」
「この紙に焼き付いた“視界”だ。」
煙は風に流れるように空き地の奥に吸い込まれ……
やがて、地面の一点に集まった。
そこには──
赤い折り紙の切れ端 が、ひっそりと落ちていた。
響が息を呑む。
「こ……これ……! 俺が拾った場所の近く……!」
零は切れ端を拾い上げ、表面を見た。
そこには、幼い字で書かれていた。
『おかあさんに あいたい』
クロの目に涙が浮かぶ。
「……この子、寂しかったんだ……」
零は切れ端と紙飛行機を重ねてみる。
折り目は一致した。
「やはり本来は“二機”だったようだ。一つは“助けて”もう一つは“会いたい”。」
響が青ざめた顔で言う。
「二つ……飛ばされた……?」
零は空き地の奥へ、さらに進んでいく。
──すると、そこにあったのは。
崩れかけた古い鉄塔。
すでに電線もない、廃棄された設備。
しかしその足元の地面だけ、妙に踏み固められている。
クロが震える声でつぶやく。
「……ここ、“誰か”が毎日来てた跡……」
響はハッと顔を上げた。
「そうだ……!近所の人が言ってました……“この空き地で、夕方になると赤い紙飛行機を飛ばしてる子がいる”って……でも、俺は一度も見たことなくて……!」
零の声が低くなる。
「紙飛行機を飛ばしていたのは──この子だ。」
零は空き地の中心に立ち、筆を振る。
風が止まり、静寂が広がる。
そして──
地面から、淡い光が浮かび上がった。
子どもの影。
小さく震える肩。
そして……紙飛行機を握りしめた小さな手。
クロがそっと口に手を当てる。
「……いた……」
影の子どもは、目が無い。
輪郭がぼやけ、形を保つために必死で、その姿は今にも崩れてしまいそうだった。
クロが近寄ろうとした瞬間──
バチッ!!
透明な障壁がクロを弾いた。
「きゃっ……!」
零が素早くクロを抱き寄せる。
「不用意に触れるな。“死の未来を記録する呪い”に触れば、魂が引きずられる。」
クロは唇を噛む。
「じゃあ……どうしたら……?」
零は筆を構える。
「まずは、この子が“なぜ死を選ぶ直前に紙飛行機を飛ばしたのか”を視る。理由を知らなければ、運命は書き換えられない。」
響は震えながらも一歩前に出た。
「俺……この子を助けたい。知りもしない子だけど……でも、あの“たすけて”って書いた字……俺が見つけた意味があったなら……助けたい……!」
少年の声はかすれていたが、真っ直ぐだった。
零は小さく息を吐き、
「分かった。」
と言うと、影の子どもにそっと手を伸ばした。
指先が触れた瞬間──
空気が、反転した。
世界が白く反転し、景色が流れ始める。
クロは零の腕にしがみつき、零は響の肩を掴んだ。
「うわっ……!」
「これが、“子どもの最後の記憶”だ。」
三人の視界が完全に飲み込まれた。
──そして場面は移る。
夕暮れの公園。
ブランコの音。
遠くの住宅街の影。
その中心に──
赤いランドセルを背負った、小学二年生くらいの女の子がいた。
涙をこらえながら紙飛行機を折っている。
小さな声でつぶやく。
『おかあさん……もういないの……?どうして、わたしを置いて……』
クロは胸が締め付けられる。
「この子……“お母さんに会いたかった”だけ……?」
零は表情を変えずに見つめる。
──すると、後ろから男が現れた。
灰色のコートを着た大人の男。
顔はぼやけ、目が黒い穴のよう。
女の子が気づかずにいると、男は低い声で囁いた。
『飛ばせば……会えるよ。赤い紙飛行機は、“会いたい人のところへ飛んでいく”んだ。』
零の目が鋭く光る。
「……“使われた”な。」
女の子は嬉しそうに、紙飛行機を飛ばした。
その直後──
男の影が、少女の背にぴたりと重なった。
そして低く囁く。
『だいじょうぶ。おかあさんは、すぐそこで待ってる。橋の上だよ。』
クロは息を呑む。
「まさか……!」
響も震える。
「俺が見た……俺が落ちる橋……!」
零は短く言った。
「この男は──“死へ誘う怪異”だ。」
景色がゆっくりと黒く染まり、
少女の影が消えた。
そして三人は現実へ引き戻された。
空き地に戻ると、紙飛行機の影が震えていた。
クロは涙を堪えきれない。
「零……この子……“呼ばれた”だけなんだよ……
死にたかったわけじゃ……!」
零は筆を持ち直し、静かに言う。
「分かっている。だからこそ──助ける。」
影の子どもは震えながら、再び紙飛行機を差し出した。
その幼い声は、必死に零へ届く。
『……たすけて……』
零はゆっくりと手を伸ばした。
「必ず助ける。“死の誘い”ごと断ってやる。」
そして、赤い紙飛行機の本当の呪いを暴くために、零は影の中心へと踏み込んだ。




