第八十四話 赤い紙飛行機 ― 前半 ―
夕暮れの光が、事務所の窓からゆっくりと消えていった。
黒猫呪術代行事務所では、零が静かに筆を研いでいた。
クロは少女姿で椅子の上に体育座りし、窓の外をぼんやり眺めている。
「ねえ零……最近、変な依頼続きだよね」
「呪いは季節を選ばない。特に“未練”は、いつだって形を変えて現れる。」
クロは頬を膨らませて、
「難しいこと言う〜……」
と言いかけたところで──
コン……コン……
控えめだが、震える気配のあるノック音。
クロがびくっとして立ち上がる。
「零、来た……!」
零が「入れ」と言うと、ゆっくり扉が開いた。
扉の向こうにいたのは──
灰色のパーカーを着た大学生くらいの青年。
肩まで落ちた前髪、青白い顔、そして握りしめられた拳は、震えていた。
「黒乃零さん……ですよね……?」
「そうだ。依頼なら座れ。」
青年は深く頭を下げ、名乗った。
「俺……朝倉 響って言います。あの……助けてほしいんです……」
クロが心配そうに近づく。
「何があったの?」
響は震える手で、ポケットから一つの紙を取り出して机に置いた。
折り目のついた、赤い紙飛行機。
ただの折り紙──
……のはずなのに、かすかに“湿った生臭い霊気”を放っている。
クロは思わず眉をひそめた。
「これ……ただの折り紙じゃないね……」
響は唇を噛みしめる。
「拾ったんです。いつも通る空き地に……落ちてて。何となく拾ったら……」
響の声が震えた。
「“俺の死ぬ瞬間”が見えたんです。」
事務所の空気が一瞬で変わった。
クロは肩を跳ねさせ、零を見る。
「零……また“未来を見る系”の呪い……?」
零は赤い紙飛行機を手に取り、静かに呟いた。
「違う。この紙は──“誰かの死の瞬間を焼き付けた呪紙”だ。」
響は喉を鳴らしながら告げる。
「見えたんです……。俺、夜の橋の上で……背中を押されて落ちて……そのまま……」
クロが息を呑む。
「誰かに殺されるってこと……?」
響は震えながら首を振った。
「いえ……誰もいなかった。背中を押したのは“自分自身”なんです……」
クロが困惑する。
「じ、自分で……?」
零は紙飛行機の折り目を触りながら言う。
「これは“死の記憶を写す紙”。紙に焼き付いているのは──この紙の本来の持ち主の死だ。」
響は目を見開いた。
「じゃあ……俺が見たのは……“俺自身の未来”じゃなくて……?」
零は即座に言った。
「違う。“誰かの死”を見せられたに過ぎない。だが──問題は別だ。」
響はごくりと喉を鳴らす。
零は紙飛行機を机に置き、はっきりと言う。
「その“誰か”はまだ死んでいない。」
クロが小さく声を上げる。
「え……でも紙に焼き付いてるのって、死んだ瞬間でしょ?」
「死が確定した“直前”の感情。それを持ち主が紙に託した可能性が高い。」
響は目を伏せ、呟いた。
「確定……していない死……?」
零は頷く。
「つまり──持ち主は“これから死ぬ”。おそらく今日か、遅くとも明日。」
クロの瞳が揺れた。
「じゃあ……急がないと……!」
響は涙を零しながら言う。
「俺、その人を……知らないんです……紙を拾っただけで……でも……でも……助けたくて……!」
零は紙飛行機をひっくり返した。
そこには幼い筆跡があった。
『たすけて』
クロが手を口に当てる。
「子ども……だよね……?」
零は立ち上がり、外套を羽織った。
「持ち主は“死ぬ前に、誰かに託した”。」
そして響を見た。
「赤い紙飛行機を飛ばした場所──案内しろ。」
響が頷く。
クロは少女の姿で零の袖を握り、静かに言った。
「行こう、零……。わたし、この紙、すごく……怖い……。子どもが泣いてる気配がする……。」
零は一度だけクロの頭を撫でた。
「大丈夫だ。この飛行機が“助けて”と泣く理由──必ず突き止める。」
こうして三人は、夕闇の中へ向かった。
紙飛行機が落ちていたという──
空き地へ。




