第八十三話 拾ったスマホの持ち主 ― 前半 ―
夜の街は、冬の冷気をまといながら静けさに沈んでいた。
黒猫呪術代行事務所では、零が新しい筆を整えていた。
クロは少女の姿で湯気の立つココアを飲みながら、机に頬を乗せている。
「ねえ零、今日はぬくぬくしてたい日だよ……
外、寒すぎ……」
「外は冷える。依頼がなければゆっくりしていればいい。」
その瞬間──
事務所の扉が、
“トン……トン……”
と震えるように叩かれた。
クロがびくっと身を起こす。
「来た……!」
零が「入れ」と言うと、ゆっくりと扉が開いた。
入ってきたのは、一人の青年。
黒のダッフルコートにマフラー。
目の下には深い影が落ち、眠れていないのが一目でわかる。
零は見定めるように問いかけた。
「依頼人か。名前を。」
青年は小さく震えながら答える。
「……藤谷 黎央です。」
クロがそっと席を勧める。
「大丈夫……座って、話して?」
彼は深く息を吸い、震える手でスマホを取り出した。
しかしそのスマホは──
画面にひび割れが走り、背面には泥がこびりついている。
明らかに、長時間放置されていた物のようだった。
零の瞳が細くなる。
「……落とし物か?」
青年は首を横に振った。
「拾ったんです。夜の公園で……ベンチに置いてあって……誰か忘れたのかと思って……。」
クロが小さく首を傾げる。
「それで……持ち主に返そうと?」
「最初は、そのつもりでした。でも……」
黎央はスマホを握りしめ、かすれた声で続けた。
「その夜から、毎晩……このスマホに着信が来るんです。」
零は静かに尋ねる。
「誰からだ。」
黎央は唇を噛み、画面を零の方へ向けた。
着信履歴には繰り返し同じ名前。
──『ミオ』
クロが小さく声を漏らす。
「女の人の名前……?」
黎央は続けた。
「電話に出ると……“すすり泣く声”だけが聞こえるんです。何分も、何十分も……」
零の手が止まる。
「声だけなのか。」
「最初はそうでした……。でも……日が経つにつれて……通話の時間が延びていって……通話中の画面に……“女性の顔が映るように”なったんです。」
クロの肩が跳ねる。
「えっ……!?」
黎央の手は震えていた。
「真っ暗な部屋みたいな場所にいて……髪がぼさぼさで……目が腫れるほど泣いて……『見つけて……』って、何度も、何度も……」
零は表情を変えないまま言う。
「行方不明者か。」
青年の顔が青ざめる。
「……ニュースで見たんです。“ミオ”という名前の女性が……二週間前から行方不明になっているって。写真を見たら……“通話画面の女性と同じ顔だった”。」
クロは息を呑む。
「じゃあ、そのスマホ……!」
黎央は涙をこらえながら言った。
「僕、返すつもりなんてもうありません……だけど……置いておくこともできなくて……昨夜なんて……」
零は促す。
「昨夜、何があった。」
黎央は恐怖に染まった瞳で答える。
「夜中の二時……スマホが震えて、着信が来て…出た瞬間、今までで一番はっきり“ミオさんの顔”が映って……」
そして──
「彼女が、涙を流しながら言ったんです。『うしろ……うしろ……だれかいる……』と。」
クロの顔が強張る。
「こ……怖すぎ……」
零は少年のような震えとは違う、冷たく鋭い“呪いの気配”を感じ取っていた。
「黎央。」
「……はい。」
「そのスマホは──持ち主と“死の気配”で繋がっている。お前は“拾ってしまっただけで標的になった”のだ。」
黎央は震える声で言った。
「助けてください……!彼女も……僕も……どうか……!」
零はスマホに手を伸ばし、画面の奥に潜む呪気を確認する。
その瞬間、
──ビッ、と画面が光った。
そこに映ったのは、
涙を流しながら何かを訴えようとする“女の顔”。
クロが震えながら呟く。
「……ミオ、さん……?」
画面の中のミオは、まるで“誰かに押しつぶされるように”顔を歪め、
そして──
『……みつけて……はやく……ころされる……』
零は即座に呟く。
「……これは、“生者の呪い”だ。」
黎央の瞳が揺れる。
「え……生きてるんですか……?」
零は答える。
「まだ死んでいない。だが、“死の座標”に閉じ込められている。助けなければ……近いうちに、本当に殺される。」
クロが零の袖をつかむ。
「零……ミオさん……助けよう……!」
零は立ち上がり、黒い外套を羽織った。
「行く。スマホがある限り、繋がっている。」
黎央に向けて言う。
「黎央。お前は後ろへ下がっていろ。これは“殺人鬼の呪い”だ。」
そして零は静かに告げる。
「ミオをさらった者を探し出し、呪いを断つ。」
クロは震えながらも、決意を込めて頷いた。
「うん……!絶対に……助けよう!」
スマホの画面には、なおも泣き続けるミオの姿。
彼女がいる“死の座標”へ。
零とクロは、踏み込む準備を始めた──。




