第八十二話 夜だけ開く古書店 ― 後半 ―
黒雷が日記の内部世界を貫いた瞬間、空間そのものが震え、黒い手が弾き飛ばされた。
だが──
ドロォ……
影の子どもを覆う黒い闇は、零の一撃では完全に消えていなかった。
クロはひかりの前に立ち、両手を広げる。
「だいじょうぶ……零がいるから、絶対に守るから!」
ひかりは震え、涙が浮かんでいる。
「ぼ、僕……し、死にたく……ない……でも……あの子……どうして……こんな……」
零は黒い雷を払いつつ、視線を影の子どもへ向けた。
「“日記に囚われた魂”──お前が誰で、なぜここにいるのか。それを見極めない限り、呪いは晴れない。」
影の子どもは震え、ひび割れた声で呟く。
──いやだ……でたくない……こわい……
──また……あのひが……くる……
クロは眉をひそめる。
「“あの日”……?」
零は一歩前に出た。
「見せてもらうぞ。お前の“死んだ日”を。」
その瞬間、日記の空間がぐにゃりと歪み──
色のない白黒の街並み。
雨も風も止まった、異様に静かな路地裏。
そこに、小学生ほどの男の子が立っていた。
影の子ども──その本来の姿。
そして、路地の奥から足音。
“ドッ、ドッ、ドッ……”
クロがひかりの手を握りしめる。
「……零……あれ……!」
路地の奥から、大きくねじれた“人影”が現れた。
人間に見えるが、顔だけが縦に割れ、本をめくるように“ぱらぱら”と皮膚が開閉している。
ひかりが叫びかける。
「な、なんだよ……あれ……!」
零は短く答える。
「この子を殺した“呪術師”だ。」
クロは震える。
「零……あの顔……本のページみたい……!」
零の表情は変わらない。
「“ページ剥ぎ(ページはぎ)”。記憶を“本のように剥がして奪う”呪術師。」
クロは絶望の色を浮かべる。
「つまり……この子の記憶を奪って……殺した……?」
零は頷く。
「そうだ。そして奪った記憶を使って“呪物の日記”を作った。」
ひかりは固まる。
「じゃあ……僕が買った日記って……この子が殺された“記録”で……僕の未来を、勝手に……ねじ曲げて……?」
零は淡々と言う。
「人の未来を奪う呪いは、必ず“過去の犠牲”で作られる。」
記憶の中の路地で、ページ剥ぎが子どもを壁際に追い詰めた。
──やめて……
──おうち……かえる……
──ママ、まだ……まってる……
ページ剥ぎは、顔の“ページ”を一枚開き、子どもの記憶を吸い込むように奪っていく。
零の拳がわずかに震えていた。
クロは零の袖を掴む。
「零……こんなこと……許せない……!」
「当然だ。俺は“呪術師による呪術犯罪”を最も許さない。」
ページ剥ぎが、日記の原型となる“白い冊子”を取り出し、子どもの胸に突き刺した。
──たす……けて……
──たすけ……
そして、子どもの魂は“日記の中”へ引きずり込まれた。
クロは涙目になりながら叫んだ。
「もう見てられないっ!!零!!あいつを……倒して!!」
零は筆を構える。
「倒す。この“記憶”の中であいつを殺し、日記の呪いごと壊す。」
ページ剥ぎが、現実のように零の方へ振り向いた。
その顔の“ページ”がばらばらに逆立つ。
──……じゃま……する……な……
零は空中に式を描く。
「“黒呪・刃雨”。」
黒い雨粒が刃となり、ページ剥ぎの身体を切り刻む。
しかし、ページ剥ぎは自分の“顔のページ”をめくり、攻撃された部分を別の“ページ”に差し替えて再生した。
クロが叫ぶ。
「きゃ……!あいつ、自分の体を“本みたいに入れ替えて”再生してる!!」
ひかりは零の後ろで怯えながら言う。
「零さん……勝てるんですか……!?」
零は低く笑った。
「当然だ。再生を許さない“呪い”で殺す。」
ページ剥ぎが詰め寄り、腕を刃のように変化させ、零へ斬りかかる。
零は筆を構え、空間そのものを切り裂くように文字を刻む。
「“呪滅・黒頁断”。──ページ(おまえ)ごと、消えるがいい。」
黒い呪力の奔流が走り、ページ剥ぎの顔の“ページ”をすべて閉じさせた。
再生ができなくなる。
ページ剥ぎは絶叫する。
──やめろ……
──まだ……ぬすむ……きおく……が……
──あ……あ……あああ────!!
零はその身体を完全に呪滅し、
日記の空間ごと崩れ始めた。
影だった子どもは、涙を流しながら零に近づく。
──ありがとう……
──ぼく……ようやく……でられる……
クロがそっと子どもの手を握る。
「もう大丈夫……つらかったね……ずっと一人で、怖かったよね……」
子どもは泣きながらクロに抱きついた。
世界に、ひかりの“死の予言”が刻まれたページが舞う。
零はその全てを手で掴み、静かに呪式を唱えた。
「──“運命書換”。」
黒い紙が光に包まれ、風に溶けて消える。
ひかりは涙を流した。
「……生きていいんですか……僕……本当に……?」
零は淡々と答える。
「依頼を受けた以上、俺が死なせるわけがない。」
クロは微笑み、ひかりの背を優しく叩いた。
「うん。今日からが“本当の未来”だよ。」
子どもの魂が光となって昇っていく。
──ありがとう……
──ぼく、やっと……かえれる……
そして日記の中の世界は静かに崩れ去った。
古書店の中へ戻ると、店主の老人は姿を消していた。
破れた“書”の看板だけが、床に落ちている。
ひかりは深く頭を下げた。
「零さん、クロさん……本当に……ありがとうございました……!」
零は軽く背を向ける。
「二度と呪いの店に近づくな。未来は“自分で書くもの”だ。」
クロは微笑んでひかりを見送った。
雨は降っていない。
静かな夜だった。
二人は並んで歩き出す。
「ねぇ零。あの子……救えて、よかったね。」
零は静かに頷いた。
「……ああ。日記に囚われた者はもういない。これで“未来”は晴れた。」
クロは零の袖をそっと掴む。
「ねぇ零……じゃあ私たちの未来も……晴れるかな?」
零は答えなかった。
しかし、ほんの少しだけその瞳に柔らかい色が宿っていた。
その夜、呪われた古書店は二度と現れなかった──。




