外伝15 トイレの花子さん ― 前半 ―
午後四時過ぎ。
冬の気配が濃くなった薄曇りの空の下、黒猫呪術代行事務所の扉が小さく鳴った。
「……あの……すみません……!」
勢いこそあるが、戸惑いと怯えをまとった声。
零が目を向けると、制服姿の少女が駆け込むように立っていた。
肩までの黒髪が揺れ、顔は青ざめている。
クロは黒猫姿でストーブの前にいたが、少女を見た瞬間、耳がぴんと立った。
零は淡々と問う。
「用件を言え。」
少女は深呼吸を繰り返し、震えながら名乗った。
「……く、来栖ゆあ……です……!
た、助けてください……!“学校のトイレに……人がいるんです……!”」
クロは零のそばに歩いてきて、小さく首をかしげる。
「学校のトイレ……?」
ゆあは、涙のにじむ目で零を見た。
「花子さん……って、知ってますか……?」
零の筆がわずかに止まった。
クロがぴくっと反応する。
「……まさか、その“花子さん”が……?」
ゆあは強く頷いた。
「はい……。都市伝説とかじゃなくて……本物なんです……!声がして……ドアを叩いて……“いるよ”って、返事が返ってきて……!!」
クロはぞわりと毛を逆立てた。
「学校の怪談系って……普通の怪異より質悪いよ……“人が作った恐怖”に、勝手に魂が寄ってきて……本物になっちゃうから……」
ゆあの肩が震える。
「それだけじゃ……なくて……“出てこようとしてる”んです……!今日の放課後……女子トイレで……個室の扉が、外側から勝手に“開いた”んです……!」
クロが零を見上げる。
「あれって……基本、こっちに来ない怪異でしょ……?なんで……出てこようとしてるの……?」
零は静かに立ち上がり、ゆっくりと少女を見つめた。
「ゆあ。花子に“呼ばれた”のはお前一人か。」
ゆあは唇を噛みしめる。
「……わ、分かりません。でも……私……一度だけ……“名前を呼ばれた”んです……」
零の目が細くなる。
「名前を……?」
「はい……“ゆあちゃん、遊ぼ?”って……誰もいないトイレで……声だけが……私の後ろから……」
クロの尾がぴんと立つ。
「それ、完全に目つけられてるじゃん……!」
雨の夜に現れる怪異でもない。
呪われた土地でもない。
だが──
都市伝説が、形を持ち、人を“指名して呼ぶ”。
零は淡々と結論を述べた。
「本物だな。“形を得た悪霊”だ。」
ゆあの目から涙がこぼれた。
「……お願いです……学校に来てください……あのままじゃ……誰かが花子さんに……連れていかれます……!」
クロは零の足元からひょいと跳ね、少女の頬にそっと頭を寄せるようにすり寄った。
「大丈夫。零が行けば……ちゃんと終わるから。ね、零?」
零は筆を手に取り、コートを羽織る。
そして短く告げた。
「案内しろ。」
ゆあは涙を拭き、こくりと頷いた。
玄関で一度だけ振り返った零に、クロが寄り添いながら言う。
「零……今回の相手、強いよ。“人の想像が作った怪異”って……本物の怨霊より厄介だよ……」
零は小さく答える。
「分かっている。だが──放っておけば学校全体が呪われる。」
クロは一瞬だけ少女に姿を変え、零の後ろを歩く足取りに寄り添った。
「うん……じゃあ行こ。花子さんの本性、暴いてあげよう。」
外の夕空は薄く赤く染まり、少女の案内で、二人は“学校”へと向かっていく。
そこではすでに──
個室の扉がひとりでに揺れ、静かに“開く音”が響いていた。




