間話5 零とクロの年末
――年の瀬。
街は慌ただしさと浮き立つ空気が混ざり合い、普段は静かな黒猫呪術代行事務所にも、かすかに人のざわめきが届いていた。
零はいつものように書類机に向かい、依頼記録の整理を黙々と進めていた。
その横では、真っ黒な猫がふわりと丸くなり、しっぽだけ楽しげに揺らしている。
クロだ。
今日はなぜかご機嫌で、零の足元から離れようとしない。
「ねえ零。今日ってさ、“年末”ってやつなんだよね?」
零は筆を止めずに答える。
「正確には大晦日だ。世間は一年の区切りに騒がしい。」
クロは前足を揃えて胸を張る。
「だから! 今日はわたしも“人の姿”で手伝うんだよ。」
ぱちん、と空気が揺れ──
黒猫だった姿が淡く光り、雪のようにほどけていく。
次の瞬間、そこには
黒髪の少女──人の姿のクロが、ふわりと着地していた。
「……はい、変身できた。どう? 零。」
零は視線をわずかに上げる。
「……落ち着け。まだ変身直後だ。」
「いいじゃん、年末くらい。零だってちょっと楽しそうだよ?」
「どこをどう見ればそうなる。」
クロは机の上を覗き込み、呪符の束をぱらぱらとめくる。
「これ……全部今年整理するの?」
「明日になれば去年の書類になる。区切りは重要だ。」
「つまり……ぜんぶ今日中にやるってこと?」
「その通り。」
クロは肩を落とした。
「……零のそういうとこ、ほんと真面目すぎ。」
零は淡々と返す。
「お前が適当すぎるだけだ。」
夕方。
ふたりは近所のスーパーに年越しの食材を買い出しに出ていた。
クロは、時折はしゃぎながら零の袖を引く。
「零零零! これ! “年越しそば”だって!」
「知っている。買う。」
「じゃあこれは!? “黒豆”だって!」
「……正月の準備物だ。それも買う。」
「これは!? 」
「要らん。」
「えぇー!? 見てもないのに!?」
買い物かごを抱える零の後ろで、クロはくるくると回り続ける。
黒猫の時よりさらに感情表現が大きい。
店員にも声をかけられた。
「あらお嬢ちゃん、彼氏さんと買い物? 仲良いわねぇ。」
クロは満面の笑みで、
「うん! 零はね、いつもわたしの隣にいて──」
零が即座に遮る。
「違います。家族です。」
「えっ!?」
クロは頬を膨らませながら零をつつく。
「家族って言った……!」
「言わないと誤解される。」
「誤解でも良かったのに……」
最後の小声は聞こえないふりをした。
夜。
事務所兼住居に戻ったふたりは、年越しそばを食べ終え、静かな時間を過ごしていた。
テレビの紅白の音が遠く聞こえる。
事務所の窓から見える街は、年末特有のゆるさを帯びていた。
クロは人の姿のまま、零の隣に座る。
膝を抱えて、ぽつりと言った。
「ねぇ、零。今年一年……ありがと。」
零は少しだけ視線を向けた。
「礼を言われるほどのことはしていない。」
「あるよ。いっぱいあるよ。」
クロは続ける。
「呪いから守ってくれたり、一緒に依頼してくれたり……怖い時、そばにいてくれた。嬉しい時も、悲しい時も……全部零と一緒だった。」
零の手が一瞬だけ止まった。
クロは、微笑みながら続ける。
「だからね……来年も……零の隣にいたい。」
静かな沈黙が落ちる。
ほんの数秒の沈黙。
けれど零にとって、それはとても重い時間だった。
零は視線を落とさずに言った。
「……勝手に離れるな。」
クロの顔がぱっと明るくなる。
「うん!! 絶対離れない!!」
零は淡々と補足した。
「お前が勝手な行動をして呪いに巻き込まれたら困る。」
「はいはい、照れ隠し照れ隠し。」
「照れていない。」
クロはくすくす笑いながら、零の肩に小さく寄り添う。
人の姿の時だけ見せる、柔らかい温度。
そのまま、零の袖をそっと掴んだ。
「零……来年も、よろしくね。」
零はひとつだけ小さく頷いた。
「……ああ。」
外の風が止み、年越しの花火が遠くで上がった。
ふたりは静かにそれを眺める。
黒猫と呪術師──
血と呪いに縛られたふたりの年末は、誰よりも穏やかだった。
そして零は知らない。
クロが人の姿のまま、そっと呟いた言葉を。
「来年も……その先も……わたしはずっと、零と一緒に生きたい。」
その声は、花火に隠れて零には届かなかった。
だがクロは満足そうに笑った。
この年末が、来年への願いになると信じながら。




