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黒猫呪術代行事務所  作者: 無咲 油圧


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第七十三話 黒い手紙と再びの襲撃 ― 中半 ―

事務所の空気が変わったのは、“赤い手形”が窓から消えた直後だった。


まるで、世界そのものが少しだけ暗く沈んだような──

空気の密度が変わり、音が遠ざかったような感覚。


クロは猫の姿に戻り、零の足元にまとわりつく。

尻尾が膨らみ、背中の毛が逆立っている。


「れ、零……これ……ほんとうに“挨拶”だったの……?」


零は窓を閉じ、カーテンを引いた。


「そうだ。本当の“狩り”は、これから始まる。」


クロは不安そうに見上げる。


「ねぇ……その“呪術狩り”って……どんな存在なの……?」


零は静かに語った。


「呪術狩り(ハンター)は──呪術を使う者の“因果の流れ”を断ち切る存在だ。」


クロは首をかしげる。


「い、因果……?」


零は頷いた。


「呪いとは『意志を刻む力』。祈りもまた『願いを刻む力』。それが因果となって対象に流れ込む。」


「う、うん……」


零は黒い手紙を指先で弾いた。


「呪術狩りはその因果の流れを“逆流”させて、呪術師そのものを殺す。」


クロの目が大きく見開かれた。


「え……じゃあ、零が術を使ったら……逆に零の体が壊れる……!?」


零は表情を変えず答えた。


「普通ならそうだ。だが俺には“逃げられない理由”がある。」


クロは必死に言う。


「ねぇ零……今回は戦わなくても……」


零はクロの言葉を遮らなかった。

むしろ、クロの声が震えていることを静かに受け止めているような表情だった。


「クロ。」


「……?」


「俺を狙う者がまた増えた。もし俺が逃げれば、狙われるのは──お前だ。」


クロはその場で硬直した。


時が止まったように、瞳が大きく揺れる。


「わ、わたし……!?わたし……狙われるの……?」


零は淡々としているが、その声の奥には“優しさ”が混じっていた。


「呪術狩りは“零が守っているもの”を狙う。それが一番、俺を追い詰められるからな。」


クロは零にしがみついた。


「そんなの……そんなの……!絶対やだよ!!零を追い詰めるために……わたしを……!」


零はクロの頭を軽く撫でる。


「大丈夫だ。お前は俺が守る。」


クロの喉が震え、小さく鳴き声が漏れた。


そんなとき──

外の空気が、ひやりと変わった。


風向きが急に変わり、窓の外を通り過ぎる音が一度だけ“消えた”。


ただの静寂ではない。


“存在ごと消されたような沈黙”。


クロが涙目のまま震える。


「い、今の……なんか……いやな……気配が……!」


零は即座に筆を構えた。


だが、その筆先は震えていない。

恐怖も焦りも一切ない。


ただ“闘う者の瞳”。


──ドンッ!!


事務所の外壁が強く叩かれた。


クロが悲鳴をあげる。


「きゃっ……!!れ、零……!!」


続けざまに、今度は反対側の壁。


──ドンッ……ドンッ……


壁そのものが“呼吸するように揺れる”。


零は小さく呟く。


「外に……来ているな。」


クロが零の服を掴む。


「来てるって……もしかして……“呪術狩り”……?」


零は頷かなかった。


ただ、窓の方へ視線を移すだけ。


窓は閉じている。

カーテンも閉じている。


だが──

そこに“人影”が立っている。


映り込んだ黒い影は、胸から上だけしかなく、輪郭がゆらゆらと揺れている。


クロの声が震える。


「な、なんで……窓の外なのに……影だけ……“室内側に”あるの……?」


零の声は低い。


「入り込む準備だ。」


影がゆっくりと手を上げる。

その手は細く、骨だけのように痩せ、指が異様に長い。


クロは完全に零の背中に隠れ、小さな声を震わせる。


「れ……零……わたし……怖い……ほんとに怖いよ……!」


零はクロの頭に手を置き、低く短く言った。


「守る。絶対に離れるな。」


影が、窓のガラスを指先でなぞった。


──ギ……ッ……


金属の摩擦のような、耳に刺さる音。


影はゆっくりと“ガラスの外側から内側へ手を滑り込ませようとしている”。


クロは悲鳴のように叫んだ。


「零っ……!!もう入ってくる……!!」


零の筆が光る。


結界筆けっかいふで反遮はんしゃ!」


筆の軌跡が光になり、窓全体に符の網を張る。


影の手は網に触れると──


──バチィィン!!


焼けるような音を立て、弾き飛ばされた。


クロが肩を落として大きく息を吐く。


「はぁ……はぁ……よかった……!零の結界……効いて……」


だが零の表情は変わらない。


むしろ、僅かに険しくなっていた。


「クロ。お前はまだ気づいていない。」


クロが顔を上げる。


「え……?」


零は窓を指差した。


「“あれ”は影ではない。」


クロは見た。


窓の向こうに立つ“黒い何か”。


ゆらゆら揺れるその姿は、影のようで影ではない。


その中心──


ガラス越しに、“赤い一点”が光った。


それは目でもなく、炎でもなく、呪符の赤でもない。


“殺意そのものの色”。


そして零が言った。


「“呪術狩り”は……影を使わない。」


クロの息が止まった。


「じゃあ……あれは……何……?」


零は筆を構え直した。


おとりだ。本体は別にいる。」


その瞬間。


事務所の天井に亀裂が走った。


クロの悲鳴が響く。


「上……っ!!零……上だよ!!」


零は即座にクロを抱き寄せ、横に跳んだ。


天井の一部が破壊され、黒い人影が静かに降り立つ。


足音もなく、息遣いもなく。


まるで“死そのものが歩いてきた”ような存在。


クロの目から涙がこぼれた。


「こわい……こわい……零……零……!」


零はクロを腕の中に抱えたまま、ゆっくりと立ち上がる。


黒い人影が、首のない身体のように歪んだ形で近づいてくる。


零の声は静かだった。


「ここからは──“俺だけ”の戦いだ。」


クロは首を振り、必死に叫んだ。


「やだ!!一緒にいる!!零のそばにいる!!」


零はクロを抱きしめる。


「俺は絶対に死なない。──お前を守るために。」


黒い影が迫る。


そして零は筆を逆手に持ち、静かに呟いた。


「来い。呪術狩り。」


世界が、戦いの前の無音に沈んだ。

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