表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒猫呪術代行事務所  作者: 無咲 油圧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/427

第七話 約束の燈 ― 中半 ―

翌朝。


雨は完全に上がり、空は透き通るような青だった。

窓から射し込む光が、薄く揺れるカーテンを透かして床を照らす。

その上で、黒猫クロが大きく伸びをしてあくびをした。


「……んー、いい天気。昨日までの雨が嘘みたいだね」


机の向こうで書類をまとめていた零が、

小さく頷きながら答える。

「春は、雨と晴れを繰り返して少しずつ強くなる。人の心と似ている」


「ふふっ、詩人みたい」

「詩を書く趣味はないがな」


そんな穏やかな会話の中で、ソファの上の少女――灯が、

小さく身体を動かした。

「……おはようございます」

零は振り返り、柔らかい声で応じた。

「おはよう。よく眠れたか」

「はい……すごく、いい夢を見ました」


クロがぴょんと机から降り、彼女の足元まで駆け寄る。

「どんな夢だったの?」

灯は少し考えるように瞳を細めた。

「……おばあちゃんと、一緒に歩いてました。山の上の、桜の咲く道です。おばあちゃんが言いました。“ありがとう、灯。あとは、あなたが生きる番よ”って」


零の表情がわずかに柔らかくなる。

「それは、“祈りが届いた証”だ」

灯は少し不思議そうに首を傾げた。

「祈りが……届いた?」

「そうだ。お前が昨日込めた“悲しみが笑顔に変わりますように”という願いが、確かに形になった。綾女の魂は、それを見届けて安らいだのだ」


灯は小さく息を呑み、そっと箱を胸に抱きしめた。

「……じゃあ、おばあちゃん、もう痛くないんだね」

「痛みは消えない。だが、それは“祈りの痛み”に変わった。人を思う痛みは、決して悪ではない」


クロが尾を揺らしながら言った。

「ねぇ灯。もしまた誰かが泣いていたら、その箱を少し開けてみて。きっと、優しい風が吹くから」

「……はい。ありがとう、黒猫さん」


昼下がり。


事務所の外は、春の光に包まれていた。

窓辺には、小さな影が二つ。

零と灯が並んで外を眺めている。

クロは机の上で丸まりながら、ゆらゆらと尻尾を動かしていた。


「……黒乃さん」

「なんだ」

「この場所って、不思議ですね。外から見ると普通のビルなのに、中は、なんだか“夢の中”みたい」


零は少しだけ笑った。

「そう見えるのは、君が強い想いを持ってここに来たからだ。黒猫呪術代行事務所は、想いが導く場所だ。“助けたい”という心がなければ、扉は見えない」


灯はその言葉を聞いて、小さく頷いた。

「……じゃあ、私、助けたかったのかな。おばあちゃんのことも、あの箱の中の誰かのことも」

「きっとそうだ。それが“灯”という名の意味でもある」


窓の外で、桜の花びらが風に舞った。

零はその光景を見ながら、

“春”という季節の持つ不思議な力を思っていた。

別れと出会いを、同じ手の中に抱く季節。

祈りと呪いが同じ根を持つように、

悲しみの中にこそ、再生がある。


午後になり、灯は帰る支度を始めた。

クロが名残惜しそうに彼女のスカートの裾をくわえる。

「もう帰っちゃうの?」

灯は笑ってクロの頭を撫でた。

「うん。お母さんが心配するから。でも、また来てもいいですか?」

「もちろん。お前が誰かの涙を見た時、その祈りを箱に込めたら、いつでもここに帰って来られる」

「本当?」

「ああ。黒猫は嘘をつかない」


クロは胸を張って言った。

「そうだよ!あたしたちは約束は破らないから!」


灯は少し照れたように笑い、

箱を胸に抱いて言った。

「約束、ですね」

零は頷いた。

「――ああ、“約束の灯”として」


少女の足音が階段を降りていく。

扉のベルが鳴り、春風が一瞬だけ吹き込んだ。

その風が、机の上の書類をそっと揺らした。


クロが窓辺に飛び乗り、外を覗き込む。

「……行っちゃったね」

零は静かに頷く。

「行かせてやらなければ。祈りを継ぐ者は、留まってはならない」


「うん……でも、ちょっと寂しいね」

「それもまた、祈りの一部だ」


零は窓の外を見つめた。

灯の小さな背中が、角を曲がって見えなくなる。

その瞬間、空の雲が切れ、

光が差し込んだ。


クロが目を細める。

「零、見て。光の中に……!」


その光の中に、一瞬だけ、綾女の姿が見えた。

彼女は優しく微笑み、

その手に抱いた祈り箱を胸に当てながら消えていった。


零は小さく頭を下げた。

「……ありがとう、神崎綾女」


クロがぽつりと呟いた。

「ねぇ、零。綾女さん、最初の“祈り箱”を作った時、どんな気持ちだったんだろうね」


「恐らく、“守りたい”という想いだ。呪いの連鎖を断つには、憎しみを封じるのではなく、“愛の形に変える”しかなかった」


クロはしばらく黙り、

やがて小さな声で言った。

「ねぇ、零。あなたも、誰かを“愛して”た?」


零は少し目を伏せた。

「……ああ。だが、その愛は、今では痛みとして残っている」

「香澄さん、でしょ」

零は驚かずに頷いた。

「お前は、なんでも知っているな」

「だって、あたし、あなたの“記憶の傍”にいるから」


零は小さく笑い、クロの頭を撫でた。

「……それでもいい。痛みがある限り、俺は人でいられる」


夜。


事務所の灯がひとつ、ふっと揺れた。

零はその光を見上げる。

「クロ……見えるか?」

「うん。あれ、“灯”の祈りだよ。ほら、窓の外にも……」


窓の外に、無数の小さな光が浮かんでいた。

蛍のように淡く揺れ、街の上を漂っている。

零は静かに呟いた。

「……あれは、“祈り箱”の欠片だ。灯の願いが、風に溶けて人の心に届いている」


クロは目を細め、

「綺麗……」と呟いた。


零は立ち上がり、窓を少し開けた。

夜風が入り、光がひとつ、室内へと流れ込む。

それは蝋燭の炎に触れ、

淡く揺らめいて――消えた。


クロがぽつりと呟く。

「零、これって……奇跡、だね」

「違う。奇跡じゃない。“人の想い”だ」


零はそっと目を閉じ、

その言葉を自分の胸の奥に刻むように呟いた。


「――祈りは、いつだって人が作る。そして、灯が受け継ぐ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ