↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒猫呪術代行事務所  作者: 無咲 油圧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
118/427

第三十三話 芦屋綺羅の過去 ― 中半 ―

風が止んだ。

マンションの古い廊下は、不自然なほど静かだった。


芦屋綺羅はただ一人、零とクロを真っ直ぐに見つめていた。


涙の跡が残る瞳。

それなのに、声は冷たく濁っている。


「……私の“救い”を……佐久間さんは奪ったのです」


クロは一歩踏み出し、震える声で尋ねた。


「救いって……どういうことなの……?」


綺羅はゆっくりと視線をクロへ移し、淡々と語り始めた。


「あなたは知らないでしょうね。芦屋の家がどんな場所なのか」


零は視線を細めた。


クロは喉がひりつく。


「私は……昔から“弱い子”でした。呪術の家に生まれながら、力は兄より劣り、家族は兄ばかりを見ていました」


綺羅の声は抑揚のないまま、ただ淡々と過去をなぞる。


「出来損ない。いらない子。使い物にならない」


クロは胸を締めつけられた。


(こんな言葉……子どもに言っていいわけない……)


綺羅は微笑すら浮かべず続ける。


「私はいつも、家の隅で文字を書いていました。公式も知らず、呪式も知らず、ただ……自分だけの“言葉”を書いて」


零は静かに頷いた。


「……それが、あの“弱い結界”の正体か」


綺羅は零の言葉に小さく反応したが、否定はしない。


「でも……その言葉を初めて褒めてくれた人がいました」


クロは少し息を呑む。


(……まさか……)


「佐久間さんです」


綺羅は、ほんの少しだけ表情を緩めた。


それは幸福を思い出すような微かな笑み──

しかしすぐに闇に塗りつぶされる。


「会社で初めて会った時、私がメモを書いていたら……

“綺麗な字ですね”って……」


クロは胸が痛くなる。


(それだけで……そんな言葉で……救われるくらい……孤独だったの?)


「私は、あの言葉で……初めて“自分がいてもいい”と思えたんです」


綺羅は笑わない。

ただ事実を述べる。


「でも──それは間違いでした」


クロの眉がぴくりと揺れる。


「間違い……?」


綺羅の声がわずかに震えた。


「佐久間さんは……優しいから。誰にでも優しいから。

私だけに言った言葉じゃなかった」


クロは静かに首を振る。


「それは……綺羅さんが悪いんじゃないよ。優しい人って、そういう人だもん」


「だから……許せなかったんです」


クロは目を見開く。


「許せなかった……?」


綺羅の瞳に、初めて“怨念の光”が宿った。


「私を救った人が、私の手の届かない幸福にいることが」


「幸せそうに、誰かと笑っていることが」


「私の世界には、一度も与えられなかったものを平然と持っていたことが──許せなかった」


クロの喉が詰まる。


(……こんなの……あまりにも……苦しい……)


綺羅の声は、願うようでも怒るようでもなく、ただ静かだった。


「だから……“呪った”。あの人を。失いたくないからじゃない。奪われたからでもない」


綺羅は零の目を見た。


「“私の世界に引きずり込むため”に」


零の瞳が鋭く揺れた。


クロは愕然とした。


「え……?自分の世界に……?」


「ええ。幸せな人間が“私と同じ場所”に落ちてくれたら──私は孤独じゃなくなるんです」


クロは叫びそうになるのを必死に抑えた。


(そんな理由で……人を殺していいわけない……!でも……綺羅さん……孤独すぎる……)


零が一歩、綺羅へ近づく。


「芦屋綺羅。お前の呪いは“歪み”だ」


綺羅は静かに頷く。


「分かっています。私はおかしい。でも──止められない」


「佐久間さんを死なせるまで、私の呪いは終わりません」


クロは必死に声を張った。


「どうして……!どうしてそこまでしなきゃいけないの!?綺羅さん、佐久間さんに救われたんじゃないの!?」


綺羅の目が揺れた。


ほんの一瞬。

悲しみの色が差す。


しかし──

すぐに消えた。


「救われたからこそ、“戻れなくなった”のです」


クロは息を止めた。


「幸せを知ってしまった者は、それを奪われると──

誰よりも深く恨むのです」


風が吹き、綺羅の黒髪が揺れた。


零が冷静に、しかし深く言い放つ。


「……芦屋綺羅。お前は今──“自分自身の呪い”に呑まれている」


綺羅は静かに微笑した。


その微笑みは、涙のように儚かった。


「呑まれてもいい。私の願いは止まらない」


クロの心が張り裂けそうになる。


(この人……本当に壊れちゃってる……でも……孤独のせいで……こんなに苦しんで……)


そのとき。


廊下の奥で、黒い影が“ぬるり”と立ち上がった。


綺羅の背後に寄り添うように。


クロの背筋が凍る。


「あれ……昨日の影と違う……もっと……濃い……!」


零は即座に筆を構える。


「綺羅。お前は今も呪いを流しているな」


綺羅は振り返らない。


「ええ。止めていません」


黒い影が、綺羅の足元から立ちのぼった。


それは──

佐久間だけを狙う影ではない。


“綺羅の内から生まれた影”だった。


クロは声を失う。


(なに……これ……身体の中の“怨み”が……形になってる……!?)


綺羅は静かに告げた。


「次の呪符は──“明日・死ぬ”です」


クロの心臓が跳ねた。


「明日……!?そんなの……もう時間がない……!」


綺羅のまつげが震えた。


「だから今、止めに来たのでしょう……?」


零がゆっくりと筆を構え直す。


綺羅の影が広がり、廊下を黒く染めていく。


魂が震えるほどの呪力。


零は静かに呟いた。


「……綺羅。このままだと、お前が先に死ぬ」


綺羅は悲しげに笑った。


「それでもいい。私の願いが届くなら……死んでもかまわない」


クロは悲鳴をあげた。


「そんなの……違う!!そんなの……間違ってるよ!!」


しかし綺羅は、もうこちらを見ていなかった。


ただ──

壊れた願いだけを抱きしめていた。


廊下の灯りが一斉に落ちた。


真っ暗な中、綺羅の影だけが赤く揺れ続けていた。


“送り主”の影はついに姿を現した。


そして、これが佐久間誠の“最終の死”を告げる前日となる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。