第三十二話 送り主の影 ― 前半 ―
黒猫呪術代行事務所。
夜明け前の薄暗い空気が部屋全体に溶け込んでいる。
零は机に向かい、昨夜砕いた呪符の欠片を丁寧に並べていた。
その横でクロは少女の姿のまま、椅子の背にもたれながら眠そうに目をこすっている。
「零……もう朝だよ……寝なくて大丈夫なの?」
「まだ一つ、片づいていない」
零は砕けた呪符の破片を指先でつまみ、透かすように眺めた。
墨の流れ。
線の癖。
筆圧の凹み。
どれも、昨夜の死の呪符と一致している。
──書いた者は同じ。
クロは零の肩に頬を寄せながら、まだ眠気の残る声で尋ねる。
「“送り主”……つまり、あの呪符を書いた人……」
「そうだ。書いた者を突き止める」
クロは身体を起こし、机の欠片を見る。
「昨日みたいに……また佐久間さんを狙うの?」
「狙うだろうな。今回の呪いは“一度きりの恨み”ではない。呪符の字の並びが……“繰り返し”の形をしている」
クロは眉を寄せた。
「繰り返し……?」
「そうだ。死の固定符は本来一回で終わる。だが今回のは違う。“何度も試す”ために作られた形式だ」
クロは息を吸う。
「じゃあ……佐久間さんを殺したい誰かが……
何度でも呪いを仕掛けるってこと?」
零は視線だけで頷いた。
「呪いの送り主が目的を達成するまでな」
クロは少し震えた声で呟く。
「……執念深い……ってレベルじゃないよ……」
零は砕いた欠片の中から一本だけ赤黒く染まった線を取り出す。
「これだけ色が違う。“呪いの筆”によるものだ」
クロは覗き込む。
「呪いの……筆……?」
「呪術師が特別な呪いを書くときに使う。血や骨の粉を混ぜ、書き手の“魂の癖”が線に残る」
クロは息を呑んだ。
「じゃあ……送り主は“祈り屋”とか“呪術師”みたいな人なの?」
「素人ではない。呪いに慣れている。……そして、この線の癖は……」
零は一瞬、表情を曇らせた。
クロはその変化にすぐ気づいた。
「……零……?」
零は小さく息を吐き、机の上の赤い線を指でなぞる。
「──“知っている癖”だ」
クロの瞳が大きく揺れる。
「えっ……知ってる……ってことは……零の知り合い……?」
「知り合いではない。ただ……過去に何度か見たことがある」
零は立ち上がり、外套を羽織った。
「行くぞ、クロ」
クロは不安げに立ち上がる。
「どこへ……?」
零の答えは短い。
「呪符が置かれた“会社”だ。佐久間誠の職場。
送り主は必ず“現場”に残している」
クロは零の後を追いながら、影に怯えるように言った。
「また……何か出る……?」
零は歩きながら淡々と答えた。
「出る。送り主が仕込んだ“第二の呪い”だ」
クロはぎゅっと拳を握る。
「昨日より……強いの?」
「強い。昨日のは前触れにすぎない」
クロは息を飲む。
そして、零は言い切った。
「“送り主”は、佐久間が生きていることに気づいた。次は確実に殺しにくる」
事務所の扉が閉まる音が響いた。
歩き出す零の背を、クロは不安と決意の入り混じった目で追いかけた。
「零……送り主って……本当は誰なの……?」
零は振り返らずに答えた。
「まだ断定はしない。だが──“佐久間本人じゃない”」
クロが立ち止まる。
「本人じゃない……?じゃあ……身内……?
友達……?」
「そこを探る。そのために佐久間の“過去”も見る必要がある」
クロは小さく息を呑んだ。
(零が……曇った顔をするなんて……ただの呪いじゃない……)
零は軽くクロの肩を叩いた。
「怖がる必要はない。お前がいるなら影の侵入を防げる」
クロは頬を赤くして微笑む。
「……うん。ぜったい零の役に立つ」
そのまま、二人は朝の薄闇の中へ歩き出した。
向かう先で、“送り主の影”はすでに動き始めていた。
零の知らぬ場所で、新たな呪符に“赤い線”が落ちる。
『七日後に死ぬ。今回こそ、確実に。』
送り主は静かに微笑みながら、新たな呪いを完成させていた。




