第三十一話 七日後に死ぬ男 ― 中半 ―
依頼人・佐久間誠の家へ向かう頃には、太陽は沈み、町は弱い街灯に照らされていた。
クロは少女の姿のまま、零の隣を歩いている。
それでも気配の読み取りは鋭く、時折ピタリと歩みを止めて背後へ視線を向ける。
「……零、さっきからずっと……“何か”ついてきてる気がする」
零は気配を探るように目を細めた。
「死の呪いの第一段階が動いている。影が揺れた時点で“死の気配”は宿主を認識した。もう逃げ場はない」
クロは唇を噛んだ。
「……じゃあ、この人……寝てても狙われるの?」
「夜は特に危険だ。死は“陰”を好む」
その言葉に、クロは佐久間の背を見つめ、不安げに小さく呟いた。
「……守らないと」
佐久間の家に入ると、まず感じたのは“重さ”だった。
普通の家屋なら感じないはずの、湿気とは違う、じっとり纏わりつくような重圧。
クロが眉をひそめた。
「……ねぇ、零。ここ、空気……変だよ」
「影が増えている。“本来ないはずの影”が混ざっている」
零は部屋の中央に立ち、ゆっくりと灯りをつけた。
しかし照明がついた瞬間、クロは息を呑む。
壁に映る影が──
揺れた。
佐久間本人は動いていない。
だが影だけが、不自然に肩を震わせ、ゆっくりと首を傾ける。
「……っ、零……あれ……!」
「視るな。影に“呑まれる”」
クロは零の背に隠れ、揺れる影を視界の端に追いやった。
佐久間は恐怖で足をすくませている。
「これ……これが……読んでからずっとついてきた……!」
零は深く息を吐き、佐久間へ指示を出す。
「家の中を案内しろ。呪いの媒体が残されているはずだ」
佐久間は震える足で階段を上がる。
クロは零の袖を掴んだ。
「零、影……ずっとこっちを見てるよ……」
「無視しろ。影は“恐怖心”を餌に形を得る。怯えれば怯えるほど近づく」
クロは零の背に顔を埋め、小さく頷く。
階段を上る途中、零はふと足を止めた。
鏡台が置かれたホール。
その鏡の中に──
佐久間の“別の姿”が映っていた。
どす黒い眼孔。
痩せこけた頬。
肩が落ち、背は丸まり、まるで死体のような姿。
クロは息を呑み、思わず鏡に近づきそうになる。
「……零……あれ……未来の……?」
零がクロの肩を掴み、引き戻した。
「近寄るな。鏡は“死の姿の入り口”だ。接触した瞬間、魂を引きずり込まれる」
佐久間は鏡から目を逸らしながら呟く。
「いつも……あれが映るんです……生きてる自分が写らなくて……」
クロは拳を握りしめた。
「ひどい……こんなの……絶対許さない……!」
零は鏡台を軽く指で叩く。
二度、三度。
すると、鏡の奥から“コツン”と小さな音が返ってきた。
クロは驚く。
「……今、返事……した……?」
「“死の気配”が映りに反応しただけだ。本体ではないが、それに近い」
零は鏡に背を向け、階段をさらに上へ向かう。
佐久間の寝室へ入ると、零はまず床を確認し、棚、机、そしてカーテンの裏を確かめる。
クロは部屋の隅を巡っていたが──
そのとき、ひゅ……と風でもないのに、髪が揺れた。
クロが振り返る。
「零……今、なにか……通った……」
「見たか」
「姿は見えない。でも……寒い……息が……白くなる……」
クロの吐く息は、夜のように白く煙った。
零の表情が険しくなる。
「死の気配がこの部屋に集まっている。“最初の兆し”が始まるぞ」
佐久間が震えながら質問する。
「ど、どうやって……対処……?」
零は筆を抜きながら、冷静に言った。
「まず“呪いの根”を探る。この家の中にあるはずだ。送られた呪符だけでは足りない。必ず“もう一つ”仕込まれている」
「もう一つ……?」
「呪いの『核』だ。それを壊せば、命の固定は外れる」
クロが問いかける。
「零……どこにある?」
零は部屋の中央に立ち、空気の流れを読むように目を閉じた。
「……上だ」
クロが天井を見上げる。
佐久間もつられて上を向く。
「屋根裏……?」
「そこだ。行くぞ」
零は天井の点検パネルを押し上げ、梯子を引き出した。
暗い穴の中に冷気が流れ出す。
クロはその冷気に思わず肩をすくめ、零の腕に手を添えた。
「零……いやな匂いがする……」
「あそこに“核”がある」
佐久間は青ざめて震えた。
「ま、まさか……上に……死の……“本体”が……?」
「本体ではないが、死を呼ぶ媒体が置かれている」
零は梯子を上り、クロも続く。
暗闇の屋根裏。
ほこりと古い木材の匂い。
しかしその奥に──
死者の気配が、濃密に漂っていた。
クロは思わず零の袖を掴む。
「零……いる……何か……いるよ……」
零が静かに筆を構えた。
「見つけるぞ。“呪いの核”を」
屋根裏の奥で、暗闇がゆっくりと揺れた。
影は、黒ではない。
“赤黒く”、濡れたように光っていた。
そして──
ひとりでに笑った。
『……七日後が楽しみだ……』
クロは息を止め、零にしがみついた。
零は筆を構えたまま、低く告げた。
「始まったな。“第一夜”だ」
暗闇が、音もなく二人へ迫ってきた──。




