外伝6 八尺様 ― 中半 ―
深夜の民宿。
障子の向こう側で響く “コツコツ” という異常な高さのノック音。
その高さは──
天井のさらに上 だ。
クロは零の背にしがみつき、震えた声を漏らした。
「れ、零っ……あんな高いとこ叩ける人……いない……!」
零は筆を構えたまま答える。
「人ではない。あれは……“八尺様”」
『ぽ……ぽぽぽ……ぽ……』
その声は、男のようにも──
女のようにも聞こえる不気味な声。
そして突然。
障子の向こうから、零の声 が聞こえた。
『……クロ。こっちへ来い』
クロが顔を上げ、青ざめた。
「ぜ、零!?零の声が……!」
零は即座に言う。
「あれは俺ではない。俺の声を真似ているだけだ」
『クロ……おいで……助けてやる……ここに……おいで……?』
クロは耳を塞ぎ、泣きそうな声で叫ぶ。
「零!!やだ……やだぁ……!聞こえる、零の声で……!」
零の手が、そっとクロの頭に乗る。
「クロ。聞け」
零はゆっくり、確かな声で言った。
「俺は“お前を呼ぶとき”──こんな弱い声は出さない。絶対にな」
クロは目を大きく開いた。
(……ほんとだ……零の声って、いつだってまっすぐで……こんな風に濁ってない……)
クロの震えが少しだけ止まる。
だが──
障子が“ミシッ”と強くきしんだ。
まるで巨大な手が外側からなぞるように触れている。
影が、障子の上をゆらりと横切る。
クロは再び震えた。
「零……!あれ、どう見ても……“人間の高さじゃない”……!」
零はうなずく。
「八尺様の身長は八尺──およそ240cm。見た者によって姿が変わるが……“高さだけは”絶対に変わらない」
その時──
障子の隙間から、“白い布” がゆらりと揺れた。
スッ……と。
ゆっくり。
そこに立つ者が、“障子の上部” にいると分かるほどに。
クロが叫ぶ。
「零!!白い……ワンピース……!」
『ぽぽぽ……クロ……かわいいクロ……こっちへおいで……』
零が低く睨む。
「……俺の声と、お前の名前を混ぜてきたか」
クロは震える手で零の袖をつかむ。
「こ、こんなの……出て行ったら終わりだよ……!」
「出て行かずとも入ってくるぞ。“呼び声を聞いた時点”で、行動を開始している」
零の言葉通り、障子が揺れる。
バサッ……バサァ……!
まるで細長い腕が障子を叩いているような音。
クロは泣きそうな声で叫ぶ。
「零ぃ……わたし、どうしたら……」
零はクロを抱き寄せるように後ろへ下がらせ、静かに言い切った。
「大丈夫だ。俺がいる。それで十分だろう?」
クロの目から涙がこぼれた。
(……零がいる……それだけで、本当に大丈夫な気がする……)
だがその時──
大きな破壊音 が響いた。
「──ッ!?」
民宿の外のどこかで、石が砕けるような音。
零は即座に窓へ走る。
クロも続く。
零が窓を開けると、冷たい夜風とともに──
白いワンピースの裾が、ゆらりと数十メートル先の道に見えた。
しかしその影より恐ろしいものがあった。
村に入る際に見た“地蔵”。
それが──
完全に倒れ、砕け散っていた。
クロは息を呑んだ。
「あっ……あれ……地蔵……なくなってる……!」
零の表情が険しくなる。
「……結界が消えた。八尺様を村に縛っていた唯一の封は……もう無い」
『ぽ……ぽぽぽ……』
その声は、距離が離れているはずなのにすぐ耳元で囁かれるように響く。
クロが零の服を必死で掴む。
「零……これ、やばい……やばいやつ……!」
「間違いなくな」
零は筆を握り、クロを抱えるように腕を回す。
「クロ。今から言うことを覚えておけ。“八尺様は姿を見せたら最後”だ」
クロが震えながら黙って頷く。
零は続ける。
「近づけば、音を真似し、声を真似し、手を伸ばしてくる。気に入った相手は──必ず取り殺す」
クロが涙を滲ませながら叫ぶ。
「……じゃあ……わたし……!」
「だからこそ守る。絶対に」
その時。
民宿の廊下の端から──
ガガッ……ガサガサッ……!
異様なほど高い位置からの足音 が近づいてきた。
クロの顔が蒼白になる。
「零……廊下……上を歩いてる……!天井のすぐ下……!」
『ぽ……ぽぽ……ぽぽぽ……』
声は楽しそうで、悲しそうで、人間のものではなかった。
少女の姿のクロは震え、零に抱きついた。
「零ぃ……どうしたらいいの……!」
零はクロの腕を取ると、決意を宿した瞳で言う。
「逃げる。この村から離れれば、八尺様は追ってこない」
クロが大きく目を見開く。
「村を……出る……?」
「そうだ。この怪異は“地域限定”だ。この村の外に出れば、狙うことができない」
クロは零の胸元を掴んだ。
「じゃあ早く……!!行こう!!ここから出よう……!!」
零はクロの頬に触れる。
「だが──数分でも遅れれば、お前は八尺様に“連れていかれる”。その覚悟はあるか?」
クロは震えながら息を吸い、零を見つめた。
そして──
涙をこらえながら頷いた。
「ある……!!零と一緒なら……どこまででも行く……!」
零はわずかに笑い、クロの頭を撫でた。
「よし。行くぞ、クロ」
その瞬間──
廊下の奥から、長い影が“にゅるり”と曲がりながら現れた。
肩が天井につきそうなほどの高さ。
白いワンピースが揺れ、頭には“何か”が乗っている。
八尺様が、“こちらを覗き込んでいた”。
『ぽおおおお……クロ……いっしょに……いこう……?』
クロは絶叫した。
「零っっ!!!!」
零はクロを抱き寄せ、筆を構えた。
闇の廊下で──
祈り屋と八尺様の“死の追走”が始まる。




