Evangelium04-3:夕べの祈り
いつの間にか眠りに落ちていた倉島は、遠くで短い電子音が聞こえたような気がして目を覚ました。頭をかきながら体を起こし、手探りで枕元の眼鏡を見つけてかける。
すると、また電子音がした。それは隣の独房から聞こえてきた。
「ヒロト君、何かあったのか?」
言いながらベッドから下りた時、すぐ近くで電子音がした。独房の扉を見て倉島は自分の目を疑う。電子錠のランプが、赤から緑に変わっていた。それはつまり、ロックが解除されていることを示している。
倉島は一体何が起きているのか思考しながらも、立ち上がって扉に近づく。格子に手を当てて力を入れると、それはゆっくりと外側へ開いていった。
「いったいどうなっている……」
倉島は独房の外に出ると、すぐに隣の独房を覗き込んだ。ベッドの上には伏見が横たわっていて、寝息を立てている。その独房のロックも解除されていたので、倉島は伏見の独房の中に入った。
「おい、ヒロト君」
声をかけながら体を揺すると、小さく呻きながら伏見は目を覚ました。
「……倉島博士」
「何か様子がおかしい。独房のロックが解除されている」
伏見はあくびをしながら体を起こし、両腕を上げて伸びをした。体の後ろで伏見の腕を拘束していた装置も、今はベッドに転がっている。
「果報は寝て待て、ってやつですかね」
特に驚く様子もない伏見を、倉島は疑わし気に見た。
「……何か仕掛けたのか?」
「さて、どうでしょう。魔法は専門外ですか?」
伏見はいたずらっぽく笑いながら言った。それからベッドの上に散らばっていた錠剤を拾い集め、ケースに収めていく。
「どうするつもりだ?」
「もちろん、ここから逃げます。イヴたちを連れてね。道案内、お願いできますか?」
「……いいだろう。だが、私にはまだやり残したことがある」
「やり残したこと?」
「この研究施設には、第二ロットのゼノイドたちがいる。まだ子供だ。……今度こそ、及川の好きにはさせない」
伏見は険しい顔で頷き、二人は懲罰房を出た。
「間に合うといいのだが……」
急ぎ足の倉島の後ろを、伏見はついて歩く。
「人気がほとんどありませんが、警備の人間は?」
「この時間、警備員は仮眠を取っている。君をここに連れてきてすぐに、宿直室へ戻っただろう」
二人が角を曲がると、左手にガラス張りの部屋が現れた。伏見は中の様子に目を奪われ、立ち止まる。部屋の中には筒状のガラス容器が並べられていて、容器に満たされた液体は、細かな粒子によって白く濁っている。薄暗い部屋の中、内部の状態をモニタリングしているらしい端末のディスプレイが淡く光っていた。
「ここは……」
「XNAを使ったタンパク質の精製を行っている区画だ」
「……イヴたちも、ああやって生まれたんですか」
「ああ。子宮内の状態を再現した専用のフラスコで、人工的な受精卵を精製する。……不快かね」
「……行きましょう」
見るからに気分を害した様子で、伏見は歩き出した。
しばらく歩くと、二人は開けた空間に出た。そこはエレベーターホールになっていて、二基のエレベーターと一基の大型エレベーターが並んでいた。
「ここは地下のようですが、どれくらい深いんですか」
「ここは最下層の地下三階だ。おそらくイヴたちは地下二階の第一居住区にいる」
「行きましょう」
二人はエレベーターに乗り込み、B2のボタンを押す。扉が閉まるとエレベーターはすぐに上昇を始め、地下二階へと到着した。
扉が開いて、伏見は瞬時に危険を察知した。前に立っていた倉島の腕をつかみ、エレベーターの奥へと引き込む。エレベーター内に侵入してきた巨大な手のようなものは、倉島の頭があったところで空を握りしめた。
伏見はその手の持ち主が呆けている隙に、倉島の腕を引いてエレベーターから飛び出した。エレベーターホールの中央まで距離を取って、それを振り返る。
「なんですか、あれは……」
エレベーターの前で立ち尽くしていた男は、その巨大な手が何も握り潰していないことに気づく。手を顔の前にもっていって何度から閉じたり開いたりすると、退屈そうな顔で伏見たちの方へ体を向けた。伏見は、その切れ長の目に見覚えがあった。
「捕まえそこねたかあ」
中国語だった。
「あなたは……横浜の娼館の……!」
「世話になったなあ、兄ちゃん」
ハオは引きつった笑みを浮かべており、涙や鼻水が顔を濡らしている。そして、イヴがあの日折った左腕は、今や人間の腕にはとても見えなかった。表面は爬虫類のように鱗のようなものに覆われ、通常の二倍近い大きさの手からは鋭い爪が伸びている。何もかもが常軌を逸していた。
「まさか、移植したのか……」
倉島はハオの様子を冷静に観察して言った。
「移植?」
「DNAポリメラーゼによって複製可能なXNAが生み出された今、ゼノ核酸を利用して作った臓器や部位を人間に移植することも、理論的には可能だ」
「そんなことまで……」
「私は一切関わっていないがね。まったく美しくない。私は神が生み出した人間という造形を軽視したりはしないよ」
ハオはゆっくりと伏見たちに歩み寄る。
「待ってください、なぜあなたがここに? どうしてそんな体にされてしまったんですか?」
「金、もらった。もっとたくさん。私、警備する」
以前よりさらに不自由な日本語で言うと、ハオは人間の右手で指笛を吹いた。すると、様々な通路からエレベーターホールに人が集まり始めた。ただしそれらはすべて、体の一部にゼノ細胞によって形成されたパーツを移植されている。ハオ同様正気ではなかった。
「私のあずかり知らぬところで難民を捕まえて実験していたようだな。まったく、美しくない」
「愚痴を言ってる場合じゃないですよ。囲まれました」
「もう一度寝て待ってみるかね?」
「二度と起きられませんね。……もっと口止め料奮発しておくんだった」
軽口を叩きながらも、伏見の表情に焦りが浮かぶ。今や完全に退路は断たれていた。ハオの手が伏見に迫る。
覚悟を決めて伏見がコートのポケットに手を入れたその時、背後の通路の奥から、乾いた破裂音が立て続けに聞こえてきた。
この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。
http://colonseries.jp/




