Evangelium04-2:夕べの祈り
施設内の資料室。
イヴはカインに渡された端末で、中東に関する記事を見ていた。“混沌とした戦場に現れた神の使い”、“悪しき武装勢力を葬った天使たち”、“姿なき正義の執行者”。どの記事も、イヴたちがしてきたことを肯定的に取り上げていた。イヴは表面上安堵した様子を見せるが、心中では違和感を覚えずにはいられなかった。
記事を読み進めるうちに、その違和感の正体に気がつく。
「偏りすぎている……?」
呟きながら、伏見に見せられた記事を想起する。確かにあの記事ではイヴたちを痛烈に批判していた。しかしその一方で、良い影響があったと考える人々がいることも伝えられていた。それに比べ、この記事はどれもが肯定的すぎた。
「“すべての存在は二律背反。どんな考えにも逆説は存在する”……」
伏見の言葉が、口をついて出る。
「イヴ」
声をかけられて、イヴは我に返った。制服に着替えたカインが、いつの間にか傍に立っていた。
「納得しましたか? これが真実です」
「え、ええ……。ありがとうございます」
イヴは端末の電源を切り、カインに返した。
「そろそろ夕食の時間です。食堂へ行きましょう」
カインの案内で、イヴは薄暗い研究施設内を歩く。モナドアカデミーによく似た無機質な白い廊下が続いていたが、どこにも窓はなかった。
廊下の突き当りを曲がると、少し開けた空間に出た。そこには清潔な長机が三つ並べられていて、ほとんどの席は制服姿の男女で埋まっていた。
「カイン、イヴ。こっちです」
アベルに手招きされて、イヴとカインは空いている席に腰を下ろした。
机の上にはすでに食事が用意されていた。プラスチックのプレートの上に載せられた、ペーストと三枚のクラッカー、薄い色のスープ。食べ慣れたレーションだった。
全員が揃って、カインはイヴに視線を送る。イヴは頷くと、手を組み合わせて目を閉じた。カインたちもそれに倣う。静かになったのを確認して、イヴは口を開いた。
「父よ、あなたの慈しみに感謝して、この食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、私たちの心と体を支える糧としてください。父と子と、精霊のみ名において。アーメン」
続いて、全員が「アーメン」と唱えた。食前の祈りが終わり、それぞれがスプーンを手にする。
イヴもスプーンを手にして、いつも通りペーストをすくい取り、口に運んだ。
「う……」
思わず吐き出しそうになるのを、イヴはなんとかこらえた。口に手を当てて無理矢理それを飲み込む。
「どうしました?」
カインはクラッカーを咀嚼しながら、顔をしかめるイヴを不思議そうに見た。イヴは首を横に振り、平静を装う。しかし、それ以上食べ進める気にはどうしてもならなかった。
不味い。正確には無味無臭なだけであったが、口にした瞬間から不快感がこみ上げてきた。しかし、周りの仲間たちは平気でそれを食べている。外の世界で口にしたものが、あまりに美味しすぎたのだということにイヴは気づく。それに舌が慣れてしまっていた。
ペーストを諦めてクラッカーを口にするが、これもなんの味もしなかった。食べられないというほどではなかったものの、ただ口の中の水分を奪われるばかりだった。続けてスープを啜るが、わずかに塩気があるだけで、ほとんど白湯に近い。
イヴはたまらず、スプーンを置いた。
「お腹が空いていないのですか?」
「……カイン。これは美味しいですか」
質問に質問で返されて、カインは手にしたクラッカーを一瞥する。
「ええ。食べ慣れたものですし、美味しいと思いますが」
「私は、もっと美味しいものを食べました。焼いた魚や、甘いおしるこ。カルボナーラという料理を、あなたたちは知っていますか?」
声をかけられて、周りで食事をしていた仲間たちは顔を見合わせた。
「私たちが知らないだけで、世界には色々な美味しいものがありました。こんな味のしないものを食べているのは、きっと私たちだけです」
カインの隣に座っていたアベルは、哀れむような目でイヴを見た。
「イヴ、やはりあなたはあの男に誘惑されてしまったのですよ。以前のあなたなら、そんなことを言うはずがない」
「……伏見さんが私を助けてくれた本当の理由は、確かにわかりません。誘惑されていただけなのかもしれない。でも私は、私の意思で、あの幸せを選びたいと思えます。だから――」
「大丈夫ですよ」
イヴの言葉を、カインが遮った。
「我々が揃った今、今度こそ本当にすべての仕事を終えることができます。きっと我々にも、幸せな生活が与えられますよ」
「……あなたたちの幸せとは、いったいなんですか?」
伏見と出会った時に問われたことを、イヴは仲間たちへと問う。
「私たちにこれまで、どんな幸せがありましたか? 訓練をして、良い成績を出すこと。勉強をすること。味気ない食事。ストレスケアにわずかな楽器の時間がありましたが、それ以外に何がありましたか?」
「確かに今までは厳しい生活でしたが、それの何が問題だというんですか? これから知らない幸せを与えられるのですから、それでいいじゃないですか」
反論するアベルに、イヴは首を振った。
「あなたたちは幸せを知らない。ということは、間違った幸せを与えられる可能性だってあります」
「司祭様がそんなことをするわけがないでしょう。司祭様と我々の絆を疑うのですか?」
イヴは少しためらったが、もう止まらなかった。
「……私たちに、絆などというものがあったでしょうか?」
カインは静かにイヴを見据えた。
「……今、なんと?」
「確かに私たちは、長い間共に過ごしてきました。沢山の辛いことを、一緒に経験してきました。でもそれだけです。こうして喧嘩をしたり、悩みを相談しあったり、恋をしたりしましたか?」
「……あなたは、我々よりもあの男との絆の方が大切だとでも?」
イヴはしっかりとカインの目を見つめ返し、頷いた。
「伏見さんだけではありません。私は色々な人たちに会って、とても良くしてもらいました。沢山の面白い本を読みました。みんなで野球をして遊びました。コンテナのお風呂に……友だちと一緒に入って、話し合ったりしました。私は伏見さんや、神田に住む人たちとの絆を大切に思っています」
話を聞いていたゼノイドたちが、一斉にざわめき立つ。
「イヴ、あなたは蛇に誘惑されたイヴそのものだ。悪の道へ堕ちてしまった」
「蛇は誰の心にもいます。そして、蛇が絶対的な悪であるとは限りません。この世界は、そうやすやすと白黒に分けられるものではないのです」
これまでに見たことのないような生き生きとした表情で真っ向から反論され、カインは口をつぐんだ。カインだけでなく、騒がしかった食堂が静まり返る。
イヴは全員を見渡して、柔らかに笑った。
「でも、皆さんのことももちろん大切に思っています。まだ私たちに絆と呼べるものはないかもしれませが、これから作っていくことはできます」
「……あなたは、いったいどうしたいというのですか?」
弱々しく訊ねるアベルに、イヴは表情を引き締めて答える。
「まず、伏見さんを助け出します。そして、あなたたちも。全員でここを出て、私が思う幸せを一緒に感じてみてくれませんか」
「それは……司祭様を裏切るということですよ」
「何も言わずに脱走しようというわけではありません。伏見さんと司祭様と私たちで、話し合いましょう。そして自分で考えて、本当のことを見極める必要があると思います」
イヴの説得が功を奏し、ようやくゼノイドたちの判断力が機能し始める。近くにいる仲間同士で議論が始まる中、カインが立ち上がった。
「わかりました。私は司祭様でもあの男でもなく、あなたを信じます」
イヴも立ち上がり、手を差し出した。カインはその手を握る。
「ありがとう。この恩は忘れません。早速伏見さんを探しましょう」
「今からですか? 朝になれば司祭様が来る予定です。その時でも構わないのでは」
「一刻も早く、伏見さんに会いたいんです。そして、裏切ってしまったことを謝らないと」
納得しかけていたゼノイドたちが、煮え切らない表情を見せる。
「しかし、今の時間は――」
この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。
http://colonseries.jp/




