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ママの隠し事

 「ねぇ、ママ、好きな人いる?」

 「なぁに、それ。もうそんなのずっといないわよ。」

 ママは、一つのグラスに閉じ込められた氷とウイスキーと牛乳をマドラーでカラカラと回している。

 「はい、カルーアミルク。」

 「わぁい、ありがとう。ね、好きな人いる?」

 はぁ、とため息と共にママはタバコに火をつけた。

 「しつこい子ね。いないわよ。私ももう歳だし、そんな恋愛してる時期は終わっちゃったの。」

 「嘘つきだ。」

 「なに、賢治まで。」

 カラカラ、とドアベルが鳴った。

 黒いキャップを被った男の人がドアを開け、「おつかれさま」と、ママと、賢治たちにも一瞥をしてDJブースに向かっていく。

 あの人か、ママの好きな人。霞が言っていた通り黒いキャップを被っていて、大人っぽい。ママよりも年上に見えるけど、ママが若く見えるだけで多分ママと同じくらいだろうな。

 ねぇママ、あの人何歳ーー。と聞こうとママの方を向いたところ、賢治は驚くべきものを目にすることになる。

 いつも堂々としていて、落ち着いていて、酔っ払った賢治と霞を嗜めるような大人びた雰囲気のママが、顔を真っ赤にして立ち尽くしているのだ。

 「あ。」

 声なのか、音なのか分からないものがママの口から鳴った。

 「お、お疲れ様。これ、飲んで。」

 カウンターにぶつかり、バン!という音を奏で、よろけながらグラスを渡しに行った。

 「お酒?今日は飲まないよ。」

 「知ってるわよ。あなた、DJする時はお酒飲まないでしょ。コーラよ。あなたの好きなペ、ペプシの方。」

 「どっちも覚えててくれたんだ。最近来れてなかったからさ。ありがとう。」

 「あう。」

 なんだあうって。訳のわからないことを言ったママの顔は最高潮に赤くなっていた。ママの身体はよろよろふらふらと蛇行運転をしながらカウンターへと戻っていく。

 「ママ、カルーアのおかわり頂戴。」

 「あ、か、カルーアね、はい。」

 そう言ってママは軽量カップを手に持ち、お酒を注ぎ始めている。お酒の量がどんどん追加されて、更新されていくカップの側面に書かれた数値が、ママの余裕のなさと重なって見える。

 「ママ、軽量カップだよそれ。」

 「え?あれほんとね、、、。えっと、、、。」

 慌ててグラスを取ろうとしたママと目が合う。逃げるように目を逸らしたママの目線の先には霞の視線が待ち構えている。

 逃げようのない二つの目線の無言の圧力に押し潰され、ママは観念したように口を開いた。

 「ごめんなさい、嘘です、、、。」

 「ママかわいいから許したげる。」

 「ママ女の子みたい。」

 意地悪にけたけた笑う若僧二人を鋭い瞳が睨みつける。

 「うるさいっ!ガキとも!」

 何やらてんやわんやしているカウンターを見ながら、DJも笑い声をあげていた。


        *


 「今日はそろそろ帰るよ。この後、クラブでも仕事があるんだ。」

 PCやら機材やらをまとめた黒いバックパックを背負いながらDJはドアに手をかけた。

 「またね。」

 「あ、うんお疲れ様。ま、またね。」

 バイバイと手を振るDJの背中を三人で見送った。

 「忙しそうだね。」

 「そうね、彼、毎日どこかのクラブかバーに行ってDJしてるの。常に忙しそうだし、働く時間も夜ばかりだから体調崩しがちで。なのに今度大きめのイベントでDJするからって、休みもとらないでもう、、、。」

 「もう?」

 「もう私が見ててあげないと?」

 「うるさいっ、そんなんじゃないわよ。ただ、、、。」

 ママはウイスキーのロックが入ったグラスを口元で傾けて答えた。

 「好きな人は心配になるじゃない、、、。」

 好きな人のことを話している時の人はみんな子どもの頃に戻るものだ。いつもならば社会や人に揉まれて、何重にも被った仮面も、好きな人のことを考えている時にでるドーパミンの前ではあまりにも無力で、呆気なく崩れ落ちる。そしてその無機質な仮面の下から、真っ赤で可愛いニヤケ顔がお披露目される所までがお決まりである。

 ママも当然その微笑ましくて小っ恥ずかしいお決まりを担う一人であった。

 「え分かる!好きな人のことは心配になっちゃう!でも頑張ってる所には惹かれちゃう。」

 「そうよね、やっぱり頑張ってる人って素敵なの。」

 「そうだぞ、賢治少年。」

 正直何も頑張っていない賢治には耳の痛い話だ。記憶障害のことを引き出してもいいが、今はそういう時じゃない、といくら阿呆の賢治でも分かる。

 「目に見えるものだけが全てじゃないさ。」

 「人は視覚からの情報が八十?パーセントを占めてるみたいなこと会社の人が言ってたもん。」

 「じゃ、霞はそのカルーアミルクの美味しさをせいぜい二十パーセントしか分からないんだな。なんて可哀想なカルーアミルク。こちらへおいで。」

 賢治がすっ、と霞のグラスへと手を伸ばすと、つらつら口から溢れ落ちてくる屁理屈とは対象に霞のカルーアミルクは賢治の口の中へと流れていった。

 「あ!!私のカルーア!」

 「ご馳走様でした。カルーアミルクも美味しく飲まれて幸せであろう。」

 「はいはい喧嘩しないよガキども。」

 「でも、私のカルーアが!」

 膨れ面でそう怒る霞と、したり顔の賢治を見たママは呆れ顔をして、霞の前に新しいカルーアミルクを置いた。

 「ありがとう!ママ大好き。」

 「ねぇママ、いつあの人と付き合うの?」

 「なんで付き合える前提なのよ。」

 ママは静かにタバコに火をつけて、ため息をつくように煙を吐き出した。

 「好きだからって、必ずしも付き合いたいってなる訳じゃないの。ただ好きでいるだけでいい時もあるのよ。」

 「へぇ、大人はわかんねぇな。」

 「じゃあ、DJの人が他の人と付き合ったり、結婚したりしてもいいの?」

 ママは氷を放り込んだグラスにウイスキーを注ぎ込んだ。

 「もう別にいいの。誰かのことを本気で好きになるのって」

 カラ、と氷が転ぶ音がした。

 「疲れるのよ。」

 グラスと唇がキスをした。

 一度に喉元へと流れて消えていったウイスキーを、カウンターの上で空っぽのグラスが恋しそうにしている。

 「だからまだ好きが箱から溢れてこないうちに蓋をするの。もしまた裏切られて一人になるくらいなら、私は最初から一人でいるわ。」

 またって何?

 賢治は馬鹿のくせして、変なとこだけ中途半端に賢かったりした。だから、これは聞いちゃいけないことなんだろうななんて、大人ぶって口をつぐんだ。

 グラスに反射したオレンジ色の照明はあまりにも眩しくて、光が当たるママの顔は隠されていた。

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