あいつのことも愛すの
「どゆこと?ゼミで会った時が初対面じゃなかったの?」
「うん。」
「いつから、てかなんで俺のこと知ってたの?」
「こっち向いて」って愛菜が言うから身体を愛菜の方に向けた。賢治の薄っぺらい胸に顔を埋めたまま、愛菜は口を開いた。
「小学五年生から。いや、五年生からっていうより、五年生のときだけ。その時から私、家にいたくなくて近くの公園で一人で時間を潰してたの。明るい時間は友達といられても、十七時、十八時ってなるにつれて一人、また一人ってお家に帰っていって、最後はいつも一人でブランコに座ってた。でもある日、男の子が泣きながら公園に入って来て、私のいるすぐ隣のブランコに座ったの。」
「え、それがもしかして。」
「そう、それが賢治君だった。あまりにも声をあげながら泣くから、心配で何でそんなに泣いてるのか聞いたの。でも教えてくれなくて、そんなに泣きじゃなくる君を見てると、私も段々悲しくなって、二人でブランコに座りながら一緒に泣いたの。今思うと私たち二人とも可愛いね。そこから君は毎日陽が落ち切るぐらいの時間に公園に来て、私とブランコをしたり、追いかけっこをしたり、お喋りしたりして笑いながら夜を過ごしていたの。あぁ、楽しかったなぁあの時。夜なのに、君が来ると世界が少し色鮮やかになって明るくなるの。この時間だけ、この公園だけが世界で、この世界には君と私だけ。嫌なことなんて全部忘れられて、ずっとこの時間が続けばいいのにって思ってた。」
愛菜の話を聞いていると、頭がズキズキと痛かった。脳みそが記憶を思い出しているのだろうか。
部屋を包んでいた色は青から白に変わっていた。朝が終わった知らせだ。
「その時間は、何で終わっちゃたんだ?」
「ある日から、急に賢治が来なくなったの。十九時、二十時って待っても来なくて、それは次の日も、その次の日も、ずっと続いた。ある日いつも通り、君が来ないかなって思って公園に行くと、黄緑色のジャンパーを着た町内会の大人が二人いて、声をかけられたの。」
「何て言われたの?」
「『ここに来ていた少年が記憶喪失になったんだかなんだかで、今日からここは立ち入り禁止だよ。不審者になんかされた可能性もあるからね。ほら、君もとっととお家に帰りな。』って。不審者なんて見たこともなかったし、何より君が記憶喪失になってるなんてもっと訳が分からなかった。でも当時は携帯も持っていなかったし、君と連絡を取れることもできなかった。公園には立ち入り禁止のロープが貼られて、そのタイミングでママとパパが離婚して、私はそのまま別な場所に引っ越したの。君がなんで泣いていたのかも、記憶喪失のことも分からずに、最後の挨拶もできないまま。」
賢治は何も言えなかった。何も言えなかったけど、愛菜のことを強く抱きしめた。何も思い出せないけど、目の前の彼女が辛いことだけは分かった。
「でもね、ジョニーのゼミに配属になって君と会った時、すぐに賢治だって分かった。大人になって、なんか少しチャラついてたけど、でもあの時公園でずっと遊んでいた君だってすぐに分かった。君は、私のこと完全に忘れてたけどね!」
「ごめんて、記憶喪失だから許してよ。」
アハハ、と愛菜が笑った。
「ごめんごめん、冗談。記憶喪失だからなのか、昔のことだから忘れてるのかは分からないけど、でもいいの、また会えたから。最初は久々に会う君に緊張して上手く話せなかったけど、今はお酒飲んだりしてまた笑えたり、こうして話したりできて嬉しい。だからいいの。」
そう言って愛菜は笑いながら嗚咽混じりに鼻を啜った。胸元がどんどん湿っていくのを感じた。
「ねぇ、教えて?君の記憶のこと。君はなんであの日、泣いてたの?」
そう言う愛菜を今度は賢治が強く抱きしめた。強く、強く。思い出しつつある記憶を、もう二度と失わないようにするかのように。
「まだ、全部を完全に思い出した訳じゃなないんだけどね。」
「うん。」
「愛菜の家の話を聞いていると、なんでだか自分のことみたいにしんどかった。」
「うん。」
「俺も、同じだった。」
「うん。」
「俺は、祖母だった。俺も、虐待、を、されてた。もう過ぎたことだからどうでもいいと思う反面、でも、会ったらやっぱり許せない気がするんだ。」
雲が太陽を隠したせいで、部屋の中がトーンダウンしていく。太陽も雲も、時間も何もかもが止まって、この瞬間のまま進まなければいいのに。このまま何も知らないで、愛菜と居れたらなんて、無理だと分かっていても叶えばいいのにと思った。
「話してくれてありがとう。」
「ううん、こちらこそ聞いてくれてありがとう。」
「私ね。」
「うん。」
「私、父親のこと本当に嫌い、憎い。」
「うん。」
「でも、でもね、私、あいつのことも愛すの。意地悪で自己中で、人の気持ちなんて一ミリも考えられない、私の大事な物を馬鹿にするようなあいつのことも、愛すの。私、もしかしたら弱いのかもしれない、いや、弱いの。だから、誰かのこと悪く思うと、悲しい、辛い。だから、誰かに対して毒のある気持ちを持ちたくないの。それに、誰かのことを憎んだり、復讐したりしても、何も生まないのね。私、馬鹿だからそれに気づくのにもたくさん時間かかっちゃった。今までたくさんの人を傷つけてきちゃった。やってしまったことは、もう変えられないの。半端な覚悟の償いは、償いじゃなくてエゴだって思うから、私、まだ償いはできない。私ができる償いは、今から全部を愛して、愛しきって生きて、そして死んだら全部取り上げられて呆気なく地獄に落ちることだと思うの。つけた傷は治してあげられないから、同じかそれ以上の傷を負わなきゃね、、。人間として生きたいなんて贅沢言わないから、我儘を言っていいのなら、人間として死にたい。」
そう言うと愛菜は胸元から顔を上げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの下手くそな笑みを浮かべた。本当に馬鹿で、不器用な人だ。本当に馬鹿で不器用で、誰よりも優しくて誠実な人だ。




