夢の話 in 〈ホーネス〉
「最近、変な夢を見るんだ。」
水曜日の午後八時ごろ、賢治とママしかいない〈ホーネス〉で賢治が呟いた。〈ホーネス〉は相変わらず薄暗くて、この薄暗さが安心感を与えてくれる。
空いたグラスを片付けながら、ママは賢治の方をちらりと見た。
「変な夢って、どんな?」
「どこかの密室にいる夢なんだ。なんだかあまり思い出せないけど机とか棚みないな家具が少し置いてあって、たまに鳥の鳴き声みたいなのが聞こえる。あと、部屋の外からもインターホンの音とか、色々聞こえる夢。」
「ふぅん」と、ママがグラスを棚に戻す。均一に揃えられたワイングラスは、何度見ても透明という色を欲しいままにするぐらい美しい。弄ぶように、オレンジ色に差し込む照明を反射させていた。
「変な夢なんだ。しかも、それが一回じゃないのが不思議というか、不気味というか。」
「なるほどね」と、ママがコースターの上にハイボールの入ったグラスを置いた。先程のワイングラスとは別物だが、このグラスも美しい。厚く縁取られたガラスが、大きくさせたり小さくさせたりと中の氷のお色直しをしている。
この店にあるグラスはどれも美しかった。先程のワイングラスも、ロックグラスも、霞が悪ふざけでたまに使うショットグラスまでも全てが。一体どんな手順を踏めばこんなにも美しいガラスの入れ物が作れるのだろうか。賢治には皆目見当もつかなかった。
氷が溶けて、カラン、と音を立てる度、グラスに差し込む照明の光り方が変わっていく。
〈ホーネス〉のお酒が美味く感じるのは、実際の酒の味以上にこういった視覚的なものが大きいのかもしれないな、と思った。ママには絶対言えないが。
「なんだか不気味な夢ね。どこかで行った場所とかではないの?」
「多分違うと思う。まぁ、記憶が抜け落ちてるからなんとも言えないけど。」
ママには記憶障害のことをだいぶ前に話していた。
一年ほど前、霞とママが自分たちの幼少期についての話で盛り上がっていたときのことだ。「賢治はどんな子だった?」と霞に聞かれて、正直に「覚えてない。」と答えた記憶がある。何かやましいことがあるとでも思われたのだろうか、しつこくどういうことか問い詰めてくる二人に、別に隠していることでもなかったからそのまま記憶障害のことを全部を話した。
その時のママは罪を犯したみたいに気まずそうな顔をしていたが、今ではそんなこと忘れたように「あぁ、あんた記憶ないもんね」とか言ってくる。別に気にしてないが、もう少し罪を償ってもいいのではないか。
「あぁ、あんた記憶ないもんね。」
キュウカンチョウみたいに、たった今頭の中で再生されていたママの声がまんま繰り返された。なんだかそれが面白くて、ハイボールを飲むふりをして上向きの口角を隠した。
「なに、にやにやしてるの。まぁ、でも夢って記憶を整理するために見るらしいわよ。自分が意識的に体験したことも、無意識のまま見たり聞いたりした覚えていないようなことまで。もちろん、過去のこともね。」
ジュッ、とタバコが灰皿に押し付けられる音がした。
「だから、もしかしたらその夢は、あんたが抜け落ちた記憶を思い出そうとしているのかもね。」
あの不可解な夢たちは、賢治の抜け落ちた過去かもしれない。二十三歳の今頃になって、幼少期の頃の記憶が自分の頭の中でできていく。そう思うと、まるでタイムスリップをしているみたいで変な気分だった。
というか、なんで夢の中で自分はいつも密室にいるのだ、監禁でもされていたのか?思い出したいような、思い出したくないような曖昧な感情を流すように、ハイボールを喉元へと入れた。
「記憶整理するのはいいけど、夢なんて見せないでほしいわよねぇ。前の恋人なんかが出てくると、まだ私あの人のこと忘れてないのって、憂鬱になっちゃう。」
ギャギャッ、とDJのスクラッチに失敗した音が、〈ホーネス〉に響いた。




