第8話(中編2)「工房に灯る光、滋養の食卓」
エレノアが最初の夜を越えた翌朝、モロー邸は動き出す。直樹は作業棟で電灯の試作を始め、メアリー、エレノア、ルイーザもそれぞれの役目に入る。支出の見方、食事の段取り、客選びは、まだ最初から整っているわけではない。それでも3人は直樹を支えようと動き、直樹も若い男として、彼女たちを女として意識する。中編2では、モロー電光工房の最初の光が灯り、夜には年齢順で二番目となるメアリーが、直樹の寝室へ入る。
翌朝、モロー邸の食堂には、早くから湯気とインクの匂いが混じっていた。
エレノアは少し遅れて食堂へ出てきた。髪はきちんと結い直している。灰色のドレスも乱れていない。だが、階段を降りる足取りには、昨夜までの彼女にはなかったやわらかさがあった。
直樹が顔を上げると、エレノアは一度だけ目を合わせ、すぐに視線を下げた。
「おはようございます、モローさん」
「おはようございます。無理をしていませんか」
「大丈夫です。少し体が重いだけです」
言ってから、エレノアは自分の言葉に気づいたように頬を赤くした。
台所の入口で、メアリーが皿を持ったまま立っていた。彼女は何か言いかけたが、すぐに飲み込み、直樹の前へ朝食を置いた。
「温かいうちに召し上がってください。今日は作業棟で長く立つことになるでしょう」
卵、厚く切ったベーコン、牛肉と腎臓の煮込み、黒パン、バター、濃い紅茶。朝の食卓にしては量が多い。直樹は皿を見て、少し目を丸くした。
「朝から、ずいぶん多いですね」
「足りなくなるよりはよろしいと思います」
メアリーは丁寧に答えた。言葉は控えめだったが、皿の量にはまったく遠慮がなかった。
ルイーザが紅茶を注ぎながら、静かに笑った。
「メアリーは、昨夜からモローさんの食事の量を考えていました。工房を動かす主人が空腹では、屋敷全体が困りますもの」
「その通りです」
メアリーは直樹に向けて頭を下げた。
「昼は工房、夜は屋敷です。薄い粥だけでは、お体がもちません」
直樹は苦笑し、素直にフォークを取った。
エレノアは椅子に座り、机の上に置かれた見積書を引き寄せた。昨夜のことを忘れたわけではない。むしろ、忘れられるはずがなかった。だが、直樹が今日から本格的に工房を動かすなら、自分もぼんやりしてはいられない。
「モローさん、この金属部品の見積もりですが、少し高いように見えます」
エレノアは紙を指で押さえた。
「そこは削れません。接点が悪いと、光が安定しません。台座も弱いと、何度か使ううちに壊れます」
「紙の上だけでは判断できませんね」
「作業棟で実物を見てください。どこに金をかけるべきか、分かると思います」
「承知しました。今日は工房を見ます」
エレノアは素直に頷いたが、少し悔しそうでもあった。数字だけなら自分の領分である。だが、電灯の部品となると、まだ直樹の方がよく知っている。そのことを認めるしかなかった。
食事のあと、ルイーザが直樹の前に立った。
「襟が少し曲がっています」
ルイーザは直樹の襟元を直し、上着の肩を払った。距離が近い。直樹はその香りに誘われるように、彼女の腰へ手を回した。
ルイーザは逃げなかった。
直樹が抱き寄せると、彼女は自分から顔を上げた。口づけは短くはなかった。ルイーザの指が直樹の肩にかかり、整えた顔が少しだけ崩れる。
エレノアは見積書へ目を落とした。メアリーは皿を下げながら、一度だけ2人を見た。
ルイーザは直樹の唇から離れると、乱れた襟をもう一度整えた。
「今はここまでです」
「続きは」
直樹が小さく聞くと、ルイーザは目を伏せて笑った。
「順番があります。今夜はメアリーです」
その言葉で、食堂の空気が少し変わった。
メアリーは皿を持つ手に力を入れたが、顔はそらさなかった。エレノアも紙から目を上げた。昨夜を越えた女として、今度はメアリーの番を見届ける側に回っている。
直樹はメアリーを見た。
メアリーは頬を赤くしたが、きちんと頭を下げた。
「今夜、私が参ります」
「分かりました」
直樹は答えた。
それ以上、誰も言わなかった。言葉を重ねなくても、十分に伝わっていた。今は工房へ行く時間である。
◇ ◇ ◇
作業棟には、朝から職人たちが集まっていた。
金属工、ガラス工、時計職人、電信に触れたことのある男、見習いの少年、細かい作業を任せる女工たち。まだ誰もモロー電光工房の仕事に慣れていない。台の上には、銅線、ねじ、ガラス片、金具、絶縁に使う材料、番号札が雑然と置かれていた。
直樹は作業台の前に立った。
「今日から、仕事を分けます。金属工は口金と台座。ガラス工は球と封じ。時計職人は接点とねじ。電信を知る者は配線。女工は細線巻きと検査。少年は番号札と道具運びです。部品を混ぜないこと。寸法をごまかさないこと。分からなければ聞くこと。誰か一人の腕に頼る工房ではなく、同じ品を何度も作れる工房にします」
職人たちは顔を見合わせた。
古い親方仕事とは違う。だが、直樹の声には迷いがなかった。作業台の上に置かれた部品を指で示しながら、どこを測るか、どこを削ってはいけないかを一つずつ教えていく。
エレノアは横で見ていた。
実物を見ると、朝に自分が削ろうとした金属部品の意味が分かった。細い接点がわずかに歪むだけで、光は安定しない。安い部品を使えば、あとで壊れ、交換と苦情でさらに金が出ていく。
「先ほどの見積もりは、そのまま通します」
エレノアは静かに言った。
「分かりましたか」
「はい。安く見せかけて、あとで高くつくところでした」
悔しそうではあったが、言い訳はしなかった。直樹は頷き、次の作業台へ移った。
そのころ、メアリーは昼食の段取りでつまずいていた。
工員たちにスープを出すつもりで大鍋を用意したが、人数を見誤った。見習いの少年が予想より多く、パンも器も足りない。台所を手伝う女工が、困った顔でメアリーを見た。
「足りません」
「分かっています。パンを薄く切ってください。肉は小さくして鍋へ戻します。湯を足して、塩を少し強く。少年たちには先にパンを渡してください。大人は少し待ってもらいます」
メアリーは慌てたが、立ち止まらなかった。声は荒くなりかけたが、直樹の屋敷で働く女として、人前で取り乱すわけにはいかない。手を動かしながら、足りない分をどうにか補っていく。
直樹が様子を見に来ると、メアリーは申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません、モローさん。人数を少なく見ていました」
「助かっています。明日から増やせばいい」
「はい。明日は多めに作ります。モローさんの分も、別に取っておきます」
「私の分もですか」
「はい。工房で立ちっぱなしなら、なおさらです」
そう言って、メアリーは直樹の皿に肉を少し多めに入れた。敬意は崩さない。だが、世話を焼く手つきには、すでに妻のような遠慮のなさがあった。
ルイーザも順調とは言えなかった。
彼女は午前のうちに、自分の手帳から劇場主、銀行家、ホテル経営者の名前をいくつも抜き出していた。直樹が試作台を見た時点で首を振る。
「まだ呼ぶには早いです」
「光れば、見せられます」
「見せるなら、最初の相手を絞ります。相手が多すぎると、こちらの値打ちが下がります」
ルイーザは少し不満そうに扇を閉じた。
「では、誰にも見せませんか」
「見せます。ですが、口の軽い客は避けたい。金を持ち、驚きすぎず、噂をこちらに都合よく流せる相手を選んでください」
ルイーザは黙った。
それから、手帳の名前を何人も線で消した。
「劇場から一人、銀行筋から一人、ホテルから一人に絞ります」
「それでお願いします」
「急ぎすぎました」
「急ぐのは悪くありません。見せる順番を間違えなければいい」
ルイーザは小さく笑った。
「では、順番を整えます」
そう言って手帳を閉じた。直樹と目が合うと、ルイーザはほんの少しだけ指先を伸ばした。直樹はその手を取ったが、抱き寄せる前に、メアリーが工員へ食器を渡す姿が目に入った。
今夜はメアリーである。
直樹はルイーザの手を軽く握るだけにした。
「あとで頼みます」
「はい。今は仕事を進めましょう」
ルイーザは目だけで笑い、応接室へ戻った。
◇ ◇ ◇
午後、最初の試作電灯が組み上がった。
ガラス球はまだ不揃いで、金具にも荒さがあった。だが、配線は通り、接点も動いた。直樹は発電機を回す男に合図し、作業棟の窓を少し閉めさせた。
職人たちが黙った。
細い光が、ガラスの中に生まれた。
最初は頼りない線だった。だが、すぐに明るさを増し、そのまま消えずに残った。蝋燭とは違う。ガス灯とも違う。煤の匂いも、炎の揺れもない。作業棟の中に、白い光が静かに広がった。
見習いの少年が、小さく言った。
「火じゃないのに、明るい」
誰も笑わなかった。
ハリントンは、光を見たまま言った。
「これは売れます。ロンドンの夜を変えます」
ルイーザの目も変わっていた。
「劇場は欲しがります。ホテルも銀行も。貴族の屋敷なら、晩餐の話題になります」
エレノアはすぐに紙を開いた。
「電球だけを売ってはいけません。設置費、発電機、配線、点検、交換部品、操作係の教育まで含めます。売り切りにすれば、次の収入がありません」
直樹は頷いた。
「その形でいきます。設置契約を作りましょう」
「はい。今夜、草案を作ります」
エレノアはそう答えた。だが、すぐに直樹の顔を見て眉を寄せた。
「モローさん、少し顔色が落ちています」
メアリーも作業棟の入口から光を見ていたが、その言葉に頷いた。
「夕食は早めにお出しします」
「今日は食べています」
「それでも足りません。今夜は長くなりますから」
メアリーはそこだけ少し声を低くした。
エレノアは紙へ目を落とし、ルイーザは扇で口元を隠した。直樹は返す言葉を失い、光るガラス球へ視線を戻した。
◇ ◇ ◇
その夜、食堂には朝よりさらに力のある料理が並んだ。
牛肉の煮込み、卵、牡蠣、焼いた腎臓、黒パン、バター、濃い紅茶。メアリーは皿を置くたび、直樹の顔色を確かめていた。
「モローさん、まず温かいうちに召し上がってください」
「これは、かなり多いですね」
「今日はよく働かれました。お体を戻していただかないと困ります」
メアリーは丁寧に言った。だが、皿の量は容赦がない。
エレノアは食費の欄を見て眉を寄せた。
「食費は予定より増えています」
「申し訳ありません。ですが、ここは削れません」
メアリーは直樹の前では言葉を整えていたが、譲る気はなかった。
「工房で倒れられては、もっと高くつきます」
ルイーザが紅茶を注ぎながら言った。
「顔色も大事です。疲れた発明家を投資家の前に出すわけにはいきません」
エレノアはしばらく黙り、紙に数字を書き直した。余計な項目名はつけなかった。ただ、食費の予定額を少し増やした。
「分かりました。ただし、無駄は見ます」
「お願いします」
メアリーは素直に頭を下げた。
食卓の空気は明るかった。だが、嫉妬が消えたわけではない。
エレノアは昨夜の女として、少し落ち着いた顔をしていた。だが、今夜はメアリーの番である。直樹がメアリーの皿を受け取って礼を言うだけで、エレノアの指が紙の上で止まった。
メアリーも平気ではなかった。
直樹がエレノアに「今日は助かりました」と声をかけると、メアリーは皿を置く手に少しだけ力を入れた。音は大きくなかったが、ルイーザは気づいた。
「メアリー、少し力が入りましたね」
「熱い皿でしたので」
メアリーは澄ました顔で答えた。
直樹が笑うと、メアリーは少し赤くなり、直樹の皿へ肉を足した。
「笑う前に、召し上がってください」
ルイーザは2人を見ながら扇を動かしていた。自分の番はメアリーの次である。余裕があるふりをしているが、落ち着いているわけではない。直樹がその顔を見て、食卓の下でルイーザの手に触れた。
ルイーザは一瞬だけ息を止めたが、手を引かなかった。指を絡め返し、そのまま紅茶を飲んだ。けれど、それ以上は求めなかった。
今夜はメアリーの番である。
食事が終わるころ、直樹は椅子に深く座った。
昼は工房で職人に指示を出し、午後は試作電灯を灯し、夜は3人の女に囲まれている。疲れていないはずがない。だが、空っぽの疲れではなかった。体の芯に熱が残り、目の前には食事と女たちの声がある。
メアリーは湯を用意して戻ってきた。
「モローさん、湯を用意しました」
「今日は本当に働きました」
「存じています。ですから、湯をお使いください」
メアリーは直樹の前に立った。
「今夜は私が参ります。疲れたままでは、お体に障ります」
直樹はメアリーを見上げた。
「よく見ていますね」
「台所を預かる者は、主人の腹と顔色を見ます」
メアリーはそう言い、直樹へ手を差し出した。
直樹は立ち上がると、そのままメアリーの腰を抱いた。メアリーは一瞬驚いたが、すぐに受け入れた。直樹が口づけると、彼女は正面から応じた。エレノアの時のような静けさはない。ルイーザのような上品な間合いもない。メアリーは両手で直樹の背をつかみ、少し乱暴なくらいに抱き返した。
やがて、メアリーは息を整え、直樹から少しだけ離れた。
「湯が冷めます」
「はい」
直樹が答えると、メアリーは小さく笑った。
「では、参りましょう」
メアリーは直樹を連れて食堂を出た。
◇ ◇ ◇
2階の廊下は冷えていた。
メアリーは直樹の少し前を歩いた。いつもなら台所で鍋を動かす時のように、迷わず大股で歩く。だが、この時だけは違った。足は前に出ているのに、肩に力が入っている。
直樹はその背中を見て、声をかけた。
「怖いですか」
メアリーは足を止めずに答えた。
「怖くないと言えば、嘘になります」
「無理はしなくていい」
メアリーは振り返った。
「無理をしているのではありません。自分で行くのです。そこを間違えないでください」
その言葉に、直樹は黙って頷いた。
寝室には、すでに火が入っていた。ルイーザが昼のうちに部屋を整え、エレノアが水差しと布を用意していた。メアリーはそれを見て、少し笑った。
「あの2人も、よく見ていますね」
「あなたのために整えたのでしょう」
「分かっています。だから余計に、しっかりしないといけません」
メアリーは手袋を外し、椅子の背に置いた。荒れた手が見える。水仕事で皮膚が固くなり、ところどころ赤くなっている。直樹はその手を取った。
「この手で、今日一日、屋敷と工房を支えてくれました」
「きれいな手ではありません」
「働く手です」
メアリーは目を伏せた。
「そう言われると、困ります」
「嫌でしたか」
「嫌ではありません。そんなふうに見られたことが、あまりなかっただけです」
直樹はその手に口づけた。
メアリーの肩が震えた。
広場で縄を巻かれていた時、彼女は人の目にさらされていた。笑われ、値踏みされ、要るか要らないかを言われていた。だが今、自分の手を取る直樹の目は、あの時の人垣とは違っていた。
メアリーは一歩近づいた。
「私は、エレノアのように静かにできません」
「そのままでいい」
「ルイーザのように上品にもできません」
「それも分かっています」
「では、私は私のままで行きます」
「来てください」
直樹がそう言うと、メアリーは自分から腕を回した。
口づけは深くなった。メアリーは最初から逃げなかった。むしろ、昼の間ずっと抑えていたものを返すように、直樹の背を強くつかんだ。直樹もその力を受け止めた。鍋を持ち、薪を運び、階段を上り下りする女の体には、しっかりした熱があった。
メアリーは息を乱しながらも、笑った。
「若いですね、モローさん」
「隠せません」
「隠さなくて結構です。今夜は、私が受けに来たのですから」
その言葉で、直樹の目が変わった。
メアリーは少しだけ息をのんだが、下がらなかった。さっき自分で言った通り、これは連れてこられた夜ではない。自分で来た夜である。かつての夫の怒鳴り声も、酒の臭いも、腰の縄も、ここにはない。
あるのは、直樹の腕と、暖炉の火と、自分の中に戻ってきた女としての熱だった。
その夜、メアリーは真正面から直樹を受け止めた。
エレノアの夜が、長く閉じていた心をほどく夜だったとすれば、メアリーの夜は、縛られていた体を自分のものとして取り戻す夜だった。彼女は何度も直樹の名を呼び、時には笑い、時には声を抑えきれず、最後には直樹の肩へすがった。
直樹も遠慮しすぎなかった。
メアリーが望んでいることを、彼は分かっていた。大切にされたい。だが、壊れ物のように扱われたいわけではない。女として強く求められたい。その思いを受け、直樹は若い体の熱を彼女へ向けた。
夜が深くなるころ、メアリーは直樹の腕の中で息を整えていた。
「大丈夫ですか」
直樹が聞くと、メアリーは目を閉じたまま答えた。
「大丈夫ではありません」
「すみません」
「謝らないでください。嫌な意味ではありません」
メアリーは小さく笑った。
「明日の朝、まともに歩けるか分かりません。でも、それでいいです。縄で引かれた女ではなく、自分で来た女として、こうなったのですから」
直樹は黙って彼女を抱き寄せた。
メアリーは直樹の胸に頬を寄せた。
「モローさん」
「はい」
「明日からも、朝食はきちんと召し上がってください」
直樹は思わず笑った。
「この状況でも、食事の話ですか」
「台所を預かった女ですから」
メアリーはそう言って、少しだけ目を開けた。
「でも、今夜は台所の女だけではありませんでした」
「はい」
「あなたの女でもありました」
「もちろんです」
その返事を聞くと、メアリーは安心したように目を閉じた。
◇ ◇ ◇
階下では、エレノアが帳面を閉じた。
もう数字は読めなかった。食堂に残る肉と紅茶の匂い、階段の上へ消えた2人の気配、暖炉の火の音。そのすべてが、昨夜とは違う形で胸に触れてくる。
「胸が痛みますね」
ルイーザが静かに言った。
エレノアは苦笑した。
「ええ。けれど、嫌な痛みではありません」
「明日は私です」
「分かっています」
「嫉妬しますか」
「します」
エレノアは隠さなかった。
「でも、あなたを責めるつもりはありません。私も昨夜、同じ階段を上がりました。メアリーも今夜、自分の足で上がりました。明日は、あなたの番です」
ルイーザは扇を閉じた。
「待つのは、思ったより落ち着かないものですね」
「ええ。ですが、順番を決めておいてよかった。決めていなければ、今ごろ私たちはもっと嫌な顔をしていたと思います」
2人はしばらく黙っていた。
モロー邸の外では、ロンドンの霧が深くなっていた。作業棟には、午後に灯した電灯の余熱がまだ残っている。食堂には、肉と紅茶と女たちの笑いの匂いが残っている。
直樹は昼に工房で光を作り、夜に屋敷で女たちの熱を受ける。休む暇は少ない。だが、今の直樹にとって、それは苦ではなかった。
メアリー、エレノア、ルイーザもまた、それぞれに失敗し、嫉妬し、笑いながら、少しずつ直樹を自分たちの男として見始めていた。
モロー電光工房の最初の光は、まだ作業棟の中だけのものだった。
だが、その光で金を稼ぐ道は見えた。
そしてモロー邸の夜は、年齢順に、確かに進み始めていた。
中編2では、モロー電光工房が初めて電灯の試作に成功する。直樹は職人たちに分業を教え、電灯を単品で売るのではなく、設置、点検、交換部品、操作係の教育まで含めた契約で稼ぐ方針を固める。メアリー、エレノア、ルイーザもそれぞれ失敗しながら、台所、支出管理、社交の役目を覚えていく。夜には、年齢順で二番目となるメアリーが直樹の寝室へ入り、縄で引かれた過去ではなく、自分で選んだ女として直樹に抱かれる。工房の光と屋敷の夜は、どちらも直樹を中心に動き始めた。




