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空き部屋の声、1986年の女  作者: ひまえび
第六章――「灰の東京、母と復員兵」

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第7話(後編1)――「王宮の白熱灯、王の認定」

 ポルティチの港を白い電気の光で照らした直樹は、ナポリ王宮へ招かれる。ただ説明をするだけでは、王宮に集まる者たちを動かすことはできない。直樹は王宮の夜そのものを変えるため、モロー電光工房の名で白熱灯を大量に作ることを決める。ベッラヴィスタ家は資金と職人と馬車を出し、カルロッタは帳簿と支度を整える。直樹はイタリア王へ白熱灯を献上し、その技術がナオキ・モローのものだと王に認めさせようとしていた。

 王宮からの招請状が届いた翌朝、ベッラヴィスタ家の屋敷はいつもより早く動き始めた。


 庭の石畳には、まだ火山灰が白く残っている。葡萄棚の葉も、井戸の縁も、門柱の上も、細かな灰をかぶっていた。だが、屋敷の空気は噴火直後の重苦しさから変わっていた。使用人たちは足早に廊下を行き来し、港から呼ばれた男たちは裏手の作業場へ工具を運び込んでいた。


 直樹は書斎で、ドメニコとカルロッタを前にして、王宮へ持っていく光の説明をした。


「港で灯した白い光は、広い場所を照らすには向いています。けれど、王宮の広間や廊下には強すぎます。人の顔を照らすには眩しすぎるし、長く見せるには荒い。王に献上するなら、もっと静かで、室内に合う光が必要です」


 ドメニコは腕を組んだ。


「別の灯りを作るのか」


「はい。白熱灯を作ります」


 カルロッタは聞き慣れない言葉に、少し身を乗り出した。


「白熱灯とは、どのような灯りですの?」


「細い炭素をガラス球の中に入れ、電気で熱して光らせます。炎ではありません。油も芯も使いません。港の光より柔らかく、王宮の食卓、廊下、広間に向いています」


 ドメニコの目が鋭くなった。


「作れる数は?」


「40個作ります。そのうち王宮で使うのは36個。残りは予備です」


「3日で40個か」


「作れます。ベッラヴィスタ家の職人と港の機械工が動けば、間に合います」


 ドメニコはしばらく直樹を見ていた。


 以前なら、若い異国人の大言に聞こえたかもしれない。だが、直樹はすでにポルティチの港を白く照らしていた。町の新聞はその名を載せ、王宮は招請状を送ってきた。ドメニコはもう、直樹をただの客人として見ることはできなかった。


「よし。やろう」


 ドメニコは机の上の呼び鈴を鳴らした。


「ガラス職人を3人、金物屋を2人、港の機械工を6人呼べ。倉庫の作業台を裏庭へ運び込む。銅線、真鍮、ガラス、木箱、工具、何でも必要なだけそろえろ。今日から屋敷の裏手をモロー電光工房にする」


 使用人が返事をして走っていった。


 カルロッタは帳簿を開いた。


「材料、人件費、馬車代、王宮への運搬費、すべて記録いたします。父上、支払いはベッラヴィスタ家の出資として扱いますわね」


「そうしろ」


 ドメニコはうなずいた。


「ナオキは王宮で何を求めるつもりだ。ただ光を見せて帰るわけではあるまい」


 直樹は静かに答えた。


「白熱灯をイタリア王に献上します。そのうえで、これはナオキ・モローとモロー電光工房の技術であると、王に認めていただきます」


 カルロッタの手が、帳簿の上で止まった。


「陛下に、発明者として認めていただくのですね」


「はい。王が受け取り、王が認めれば、この光はただの見世物ではなくなります。王宮の記録にも残ります。新聞にも載ります。モロー電光工房は、王が認めた技術を持つ工房になります」


 ドメニコは口ひげを撫でた。


「王を相手に、ずいぶん大きく出るな」


「王宮を明るくするのです。そのくらい求めてもよいはずです」


「なるほど」


 ドメニコは低く笑った。


「ナオキ。お前は、王に頭を下げに行くのではないな。王に自分の名を刻ませに行くつもりだ」


「その通りです」


 カルロッタは直樹を見ていた。


 昨夜、彼女は直樹の腕の中にいた。その温もりはまだ体に残っている。だが、今の直樹は恋人の顔ではなかった。王宮を相手に、自分の名と技術をどう通すかを考えている男の顔だった。


 カルロッタは、そのことを寂しいとは思わなかった。


 むしろ、誇らしかった。


「わたくしも参ります」


「もちろんです」


 直樹はすぐに答えた。


「あなたには、王宮でこの光を最初に見ていてほしい」


 カルロッタは胸元の真珠のブローチに指を添えた。


「約束を忘れていないなら、結構ですわ」


 その日から、ベッラヴィスタ家の裏手は本当に工房になった。


 馬車小屋の横に長机が並び、倉庫から工具箱が運び込まれた。ガラス職人は熱したガラスを吹き、丸く薄い球を作った。金物屋は真鍮の口金を削り、機械工は銅線を巻き、木工は運搬用の箱と仮設の支柱を作った。


 直樹は中央に立ち、職人たちを動かした。


「ガラス球は厚すぎないようにしてください。厚いと光が鈍ります。口の部分は揃えてください。真鍮の口金が入らなくなります」


「炭素にする糸は、これより細いものを使います。太いと電気を食いすぎます」


「銅線は曲げる前に擦らないでください。傷が入ると、そこで熱を持ちます」


 職人たちは最初、半信半疑だった。


 ガラス球の中に細い炭素を入れ、それを電気で光らせる。説明を聞いても、すぐには信じられない。だが、直樹は迷わず指示を出し、失敗したものを見て、すぐ次の直し方を言った。職人たちは次第に黙って従うようになった。


 1個目はすぐに黒くなった。


 2個目は赤くなるだけで、部屋を照らすほどにはならなかった。


 3個目は一瞬だけ光り、すぐに切れた。


 ガラス職人が不安そうに言った。


「本当に、これで王宮を照らせるのですか」


「照らせます」


 直樹は答えた。


「今の失敗で、どこを直すべきか分かりました。次は炭素を短くします。ガラスの口はもっと丁寧に閉じてください。空気が入ると、すぐに黒くなります」


 職人たちはまた動いた。


 カルロッタは帳簿を書きながら、その様子を見ていた。失敗しても、直樹は苛立たない。成功するまでの道筋を知っている者の落ち着きがあった。職人たちもそれを感じ始め、工房には次第に熱が生まれていった。


 夕方、11個目の試作品が灯った。


 小さなガラス球の中で、細い炭素が赤くなり、やがて黄色みを帯びた白い光を放った。港で見せた鋭い白光とは違う。もっと柔らかく、室内の家具や人の顔を自然に照らす光だった。


 職人たちは息を呑んだ。


 テレーザも、料理を運んできた手を止めた。


「まあ……」


 彼女は小さく呟いた。


「これは、蝋燭よりずっと上品ですね」


「王宮向きです」


 直樹は言った。


 ドメニコも夕方に工房へ来た。机の上で灯る白熱灯を見て、しばらく黙っていた。


「港の光は町を驚かせる光だった。これは、王の食卓に置ける光だ」


「そうです」


「作れ。できるだけ多く作れ」


「40個そろえます」


 その夜から翌日にかけて、工房は止まらなかった。


 ガラス球は次々に吹かれ、口金が削られ、炭素の糸が準備された。失敗したものも多かったが、成功品は少しずつ増えていった。灯りの強さが足りないもの、長く持たないもの、ガラスが曇りやすいものは予備に回した。王宮へ持ち込むものは、直樹が1つずつ点検した。


 カルロッタは夜遅くまで帳簿をつけた。


 テレーザは職人たちへ食事を出し、使用人たちに湯と布と灰を払う箒を用意させた。イザベッラは屋敷の婦人たちをまとめ、王宮へ出るための服や馬車の支度を整えた。マルコは白熱灯が灯るたびに廊下から顔を出し、子どものような顔で笑った。


 出発前夜、40個の白熱灯がそろった。


 完全なものは36個。残りの4個は予備である。


 直樹は、木箱に並べられた白熱灯を見た。ガラス球は布で1つずつ包まれ、口金にはモロー電光工房の小さな印が入っていた。直樹が命じたのではない。カルロッタが金物屋に頼んで刻ませたものだった。


「いつの間に」


 直樹が言うと、カルロッタは少し得意そうに笑った。


「王に献上する品ですもの。名がなければ困りますわ」


「ありがとうございます」


「礼は、王宮で成功してからにしてくださいな」


 カルロッタはそう言いながら、少しだけ声を落とした。


「ナオキさん」


「はい」


「あなたは、明日もっと遠い場所へ行く人になりますわね」


 直樹は、すぐには答えなかった。


 カルロッタは続けた。


「ポルティチの屋敷に運ばれてきた若い異国人ではなくなりました。港を照らした発明家でも、もう足りません。王があなたの名を口にすれば、あなたはイタリア中の人になります」


「それでも、私は私です」


「それは分かっています。けれど、あなたは止まらない方ですわ」


 直樹はカルロッタを見た。


 彼女は責めていなかった。むしろ、分かっているからこそ苦しんでいる顔だった。


「カルロッタさん」


「はい」


「私は、あなたを置き去りにするつもりはありません」


「その言葉を信じたいですわ」


「信じてください」


 カルロッタは、胸元の真珠のブローチに触れた。


「では、明日、王宮で見せてください。わたくしが選んだ男が、王の前でどれほどのことをするのかを」


「見せます」


 翌朝、ベッラヴィスタ家の馬車が門前に並んだ。


 1台目にはドメニコとカルロッタ、2台目には直樹と白熱灯を入れた木箱、3台目にはテレーザと使用人、4台目には機械工と工具が乗った。灰の残る道を、馬車はナポリへ向かった。


 ポルティチからナポリへ向かう道沿いには、人々が立っていた。


 誰かが「あれがモロー電光工房だ」と囁いた。別の者は「王宮を照らしに行くのだ」と言った。子どもたちは馬車の後を少し走り、女たちは窓から顔を出した。ポルティチの港を白く照らした光は、すでに町の噂になっていた。


 直樹は馬車の窓から外を見た。


 ここは1872年のイタリアである。自分が本来いるべき時代ではない。だが今、自分はこの時代の王宮へ向かっている。白熱灯を献上し、王に技術を認めさせようとしている。


 ただし、それは目的ではない。


 直樹には、どうしても作らなければならないものがあった。


 帰る道を作るためには、電気、金属、精密加工、ガラス、化学薬品、時計職人、電信技術、工業の力がいる。イタリアで王に認められれば道は開く。だが、さらに先へ進むなら、工業先進国へ行く必要がある。直樹はそのことを、まだ誰にも話していなかった。


 ナポリ王宮は、海に近い重厚な建物だった。


 高い窓、広い階段、石の柱、衛兵の立つ門。馬車が門をくぐると、石畳に車輪の音が深く響いた。王宮の中庭には、役人、軍人、宮廷の者、新聞関係者、外国使節が集まっていた。誰もが、ポルティチの夜を白く変えた若い異国人を見ようとしていた。


 直樹が馬車から降りると、視線が一斉に集まった。


 年は20歳。横浜から来た若い商人見習いという身分のはずが、すでにモロー電光工房の社長として王宮へ来ている。彼の後ろでは、白熱灯の木箱が慎重に運び出されていた。


 大広間へ案内されると、そこにはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がいた。


 大柄で、軍人のような重さを持つ男だった。豪華な王宮の中にいても、飾り物には見えない。戦場と政治を通ってきた王の顔である。周囲には軍人、役人、技師、宮廷人、そして外国の賓客が控えていた。


 ドメニコが礼をした。


 カルロッタも深く礼をする。


 直樹は、カルロッタに教えられた通りに礼をした。


 王は直樹を見た。


「お前がナオキ・モローか」


 通訳が訳した。


「はい。ナオキ・モローです。モロー電光工房の社長として参りました」


 王の眉が少し動いた。


「若いな」


「若くても、光は作れます」


 通訳が訳すと、周囲の役人たちがざわついた。


 ドメニコは一瞬だけ目を伏せたが、王は笑った。


「よい。では、王宮の夜を変えるという光を見せてもらおう」


 直樹はうなずき、職人たちへ合図した。


 大広間では、すでに仮の支柱と配線の用意がされていた。王宮の燭台とシャンデリアはそのまま残されている。そこへ、モロー電光工房の白熱灯が取りつけられていった。


 壁際に12個。


 柱の間に8個。


 王の近くに4個。


 食卓を想定した長机の上に8個。


 入口と控えの場所に4個。


 合わせて36個の白熱灯が、王宮の広間に並んだ。


 王宮の者たちは、不安と期待の混じった顔でそれを見ていた。小さなガラス球が、どうして大広間を明るくするのか。油皿も、蝋燭も、炎もない。ただ、ガラスと真鍮と銅線だけが並んでいる。


 直樹は発電機を回す機械工に合図した。


 車輪が動き、銅線を巻いた機械が低く唸った。


 まず、王の近くの1灯が灯った。


 ガラス球の中で細い炭素が赤くなり、やがて柔らかな白い光を放った。


 次に、壁際の灯りが順に灯る。


 2個、3個、4個。


 光は広間の壁をなぞるように広がった。


 さらに柱の間の灯りがつき、長机の上の灯りがつき、入口の灯りがついた。


 36個の白熱灯が、ナポリ王宮の大広間を照らした。


 蝋燭の火のように揺れない。


 油の匂いがしない。


 煙で天井を黒くしない。


 白く、柔らかく、静かな光だった。


 王宮の金装飾が浮かび上がり、壁の絵が明るくなり、柱の影が薄くなった。床の模様、兵士の軍服の金ボタン、貴婦人の首飾り、王の椅子の彫刻まで、はっきり見えた。


 広間にいた者たちは、ほとんど声を出せなかった。


 港の白い電気光は、人を驚かせる光だった。だが、王宮の白熱灯は、人に未来を想像させる光だった。晩餐会、舞踏会、夜の会議、軍の作戦室、鉄道駅、港、劇場。夜に人が集まる場所のすべてが、この光で変わる。


 王は、しばらく黙って白熱灯を見ていた。


 やがて、立ち上がった。


「蝋燭ではないな」


「はい。蝋燭ではありません」


「油でもない」


「油も使いません」


「煙も出ない」


「ほとんど出ません」


 王は、灯りの下へ歩いた。


 白熱灯は王の顔を横から照らした。太い眉、刻まれた皺、軍人のような首。王は手を伸ばし、ガラス球の近くで止めた。


「熱はあるのか」


「あります。触れれば熱いです」


「火ではないが、熱はある。面白い」


 王は笑った。


 その笑いで、広間の空気が少し動いた。


 直樹は、木箱から献上用の白熱灯を取り出した。


 それは、他のものより丁寧に作られていた。ガラス球は丸く、口金には小さく「Moro」と刻まれている。カルロッタが前夜に確認した品だった。


 直樹はそれを両手で持ち、王の前へ進んだ。


「陛下。この白熱灯を、イタリア王へ献上いたします」


 通訳が訳すと、広間は静かになった。


 直樹は続けた。


「この光は、ナオキ・モローが作り、モロー電光工房が王宮へ持ち込んだ技術です。ベッラヴィスタ家は、その最初の出資者です。陛下にこの光をお受け取りいただき、この技術をナオキ・モローとモロー電光工房のものとしてお認めいただきたいのです」


 通訳の声が広間に響いた。


 役人たちは王を見た。軍人たちも、宮廷人たちも、外国使節も黙っていた。ドメニコは背筋を伸ばし、カルロッタは胸元の真珠のブローチに指を添えた。


 王は白熱灯を見た。


 次に、直樹を見た。


「ナオキ・モロー」


「はい」


「この光を、イタリア王は受け取る」


 通訳が訳した瞬間、広間の緊張がさらに強まった。


 王は続けた。


「この白熱灯を、ナオキ・モローとモロー電光工房の技術として認める。ベッラヴィスタ家が最初の出資者であることも認める。王宮の記録に残せ」


 役人が慌てて紙を用意した。


 王はさらに言った。


「王宮の夜に、この光を入れる。ナポリだけではない。必要なら、港にも、鉄道にも、軍にも使う。ナオキ・モロー、お前は王国に役立つ男だ」


 直樹は深く礼をした。


「ありがとうございます、陛下」


 カルロッタは、その場で小さく息を吐いた。


 胸が熱くなっていた。


 ポルティチに運ばれてきた若い異国人が、今、イタリア王の前で白熱灯を献上し、自分の技術だと認めさせた。カルロッタはその光景を見ながら、自分が昨夜この男を選んだことを、改めてはっきり思った。


 この男は、ただの恋人ではない。


 時代そのものを動かす男だった。


 王宮の広間では、その後もしばらく白熱灯が灯り続けた。


 役人は記録を取り、軍人は夜の港や兵舎での利用を話し合い、宮廷の女たちは煙のない光に驚いた。技師たちは仕組みを尋ね、直樹は堂々と説明した。炭素、ガラス、電気、熱、発電機。聞かれたことには答えた。王が認めた技術である。こそこそ隠す必要はなかった。


 だが、説明を聞いたからといって、すぐ同じものを作れるわけではない。


 炭素の細さ、ガラス球の扱い、電気の強さ、灯りを長く保つ加減。そこには、直樹が何度も失敗してつかんだ判断がある。職人たちはそれを見て、直樹がただ知識を語るだけの男ではないことを理解した。


 その時、広間の入口に新しい一団が現れた。


 英国王家の賓客と、その随員たちだった。


 先頭に立つ男は、欧州各国の王侯と交わる身分の人物であり、後ろには英国公使、海軍士官、商務に関わる者たちが控えていた。彼らは王宮の大広間を照らす36個の白熱灯を見て、すぐに表情を変えた。


 英国の男は、通訳を介して直樹に言った。


「これはイングランドでも見たい光だ」


 直樹は相手を見た。


「イングランドには、大きな工場があります」


「ある。鉄も、機械も、蒸気も、電信も、職人もいる。ロンドン、マンチェスター、バーミンガム。お前が何かを作りたいなら、あの国には材料も人もそろっている」


 その言葉に、直樹の胸が静かに動いた。


 自分が本当に作らなければならないもの。


 白熱灯は大きな成果だった。王宮を照らし、王に名を認めさせた。だが、それは直樹の最終目的ではない。帰る道を作るためには、もっと精密な金属加工、電信、電池、絶縁材、時計職人、化学薬品、ガラス、そして大規模な工業力が必要になる。


 イングランドなら、それがあるかもしれない。


 カルロッタは、直樹の横顔を見ていた。


 彼の目が、白熱灯ではなく、もっと遠い場所を見たことに気づいた。


 英国の男は言った。


「ナオキ・モロー。イングランドへ来る気はないか。お前の光を、工業の国で見せてほしい」


 広間の空気が変わった。


 イタリア王が直樹の技術を認めたばかりである。その場で英国側が声をかけたのだ。役人たちは顔を見合わせ、ドメニコは黙って直樹を見た。カルロッタは、胸の奥に小さな痛みを覚えた。


 直樹はすぐには答えなかった。


 王の前で軽く返事をすれば、イタリア王への礼を欠く。ベッラヴィスタ家にも、モロー電光工房にも影響する。何より、カルロッタが見ていた。


 直樹は、英国の男に礼をした。


「光栄です。ですが、すぐにはお答えできません。私は今日、イタリア王へ白熱灯を献上し、モロー電光工房の技術としてお認めいただいたばかりです。ベッラヴィスタ家との仕事もあります。よく考えたうえで、お返事いたします」


 英国の男は笑った。


「よい。だが、覚えておけ。工業の未来を見たいなら、イングランドへ来ることだ」


 その言葉は、直樹の中に深く残った。


 王宮の夜は、白熱灯によって明るくなった。


 ナポリ王宮の窓から漏れる新しい光を、外の衛兵たちが見上げていた。王宮の壁が、今までと違う色で浮かび上がっている。通りかかった者たちは足を止め、あの光は何だと囁いた。


 その夜、ナオキ・モローの名は王宮の記録に入った。


 モロー電光工房の白熱灯は、イタリア王に献上され、王の技術としてではなく、ナオキ・モローの技術として認められた。


 だが直樹の心は、すでに次の分かれ道を見ていた。


 ベッラヴィスタ家とともにアルゼンチンへ向かう道。


 カルロッタと共に、新しい港と商売を作る道。


 そして、英国王家の誘いに応じ、自分が本当に作らなければならないもののために、工業の国イングランドへ渡る道。


 白熱灯に照らされた王宮の広間で、直樹はまだ答えを出していなかった。


 だが、自分の本当の目的だけは忘れていなかった。


 後編1では、直樹が白熱灯を大量に作り、ナポリ王宮の夜を明るく変えた。イタリア王は白熱灯を献上品として受け取り、それをナオキ・モローとモロー電光工房の技術として正式に認める。直樹は、ポルティチの若い異国人から、王宮の記録に名を残す発明家へ進んだ。一方、王宮にいた英国王家の賓客は、直樹の光に強い関心を示し、イングランドへ来るよう誘う。直樹はカルロッタやベッラヴィスタ家との未来と、自分が本当に作らなければならないものとの間で、新たな選択を迫られ始める。

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