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空き部屋の声、1986年の女  作者: ひまえび
第六章――「灰の東京、母と復員兵」

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第7話(中編1)――「モロー電光工房、社長直樹」

 ベッラヴィスタ家の応接室に、蝋燭でも油でもない白い火が灯る。直樹が作った電気の光は、ドメニコ、カルロッタ、テレーザ、職人たちに大きな衝撃を与える。だが直樹は、その技術をただ差し出すつもりはなかった。翌朝、港で公開したいと望むドメニコに対し、直樹はモロー電光工房を作り、自分が社長として技術と経営権を握ると宣言する。ベッラヴィスタ家は最初の出資者となり、カルロッタはその場で、直樹が父の家に使われる客人ではなく、自分の力で立つ男だと知る。

 金細工師ジュゼッペが帰った日の夕方、直樹はベッラヴィスタ家の裏手にある小さな作業部屋へ入った。


 そこは本来、壊れた燭台や馬具の金具、扉の蝶番などを直すための部屋だった。壁には古い工具が掛かり、木の作業台には鑢、金槌、小さな万力、油差し、針金、真鍮の部品が置かれていた。窓の外では、灰をかぶった葡萄棚が夕方の薄い光に沈んでいる。遠くのヴェスヴィオは、まだ低く唸っていた。


 直樹は、昼に得たリラの一部を使い、銅板、亜鉛板、細い銅線、ガラス瓶、陶器の皿、木炭、真鍮の支柱、薬屋から取り寄せた酸をそろえさせていた。


 カルロッタは、入口に立ってそれを見ていた。


 胸元には、直樹が留めた真珠のブローチがあった。黒いドレスの上で、白い真珠が静かに光っている。


「ナオキさん、これは何を作るためのものですの?」


「光です」


「光?」


「蝋燭でも、油のランプでもない光です」


 カルロッタは作業台の上を見た。


 銅、亜鉛、酸、木炭、ガラス。どれもこの時代にあるものだ。だが、それらがどうして光になるのかは分からなかった。


「火を使うのですか」


「少し違います。火に似て見えますが、油も芯も使いません」


「ますます分かりませんわ」


「夜になれば分かります。ただ、危ないので、近づきすぎないでください」


「わたくしを呼んでおいて、近づくなとおっしゃるの?」


「見てほしいんです。けれど、酸が跳ねる場所には立ってほしくありません」


 カルロッタは直樹の顔を見た。


 若い男が婦人の気を引くために珍しいことをする顔ではなかった。何かを本当に作る者の顔である。昨日、金細工師を相手にした時とは違う。今の直樹は、町の相場を知らない異国人ではなく、頭の中にある形を、目の前の材料で組み上げようとしていた。


「分かりましたわ。では、わたくしは少し離れて見ています」


「お願いします」


 直樹は作業台に向かった。


 右手にはまだ包帯が残っている。そのため、細かな作業は左手と、動く範囲の右指で行った。銅板と亜鉛板を交互に並べ、酸で湿らせた布を挟む。何組も重ねて木枠で押さえ、端に銅線をつなぐ。長く使えるものではない。だが、短い時間だけなら強い電気を取り出せる。


 次に直樹は、硬く焼いた木炭を削った。


 黒い炭素棒を2本作り、真鍮の支柱に向かい合わせに取りつける。背後には磨いた反射板を置く。ガラスの覆いは完全なものではないが、火花と煙を少しでも抑える役には立つ。


 ドメニコも、途中で作業部屋をのぞきに来た。


「ナオキは、何をしている」


「光を作るそうですわ」


 カルロッタが答えると、ドメニコは口ひげの下で笑った。


「太陽でも作るのか」


 直樹は顔を上げた。


「太陽は無理です。ですが、夜の部屋を昼のように見せることはできます」


 ドメニコの笑みが少し薄くなった。


「本当にできるのか」


「試作品です。長くは持ちません。危険もあります。ですが、1度は灯せます」


 ドメニコは、作業台の銅線と酸の瓶を見た。


 船会社を率いる男である。蒸気機関も電信も知っている。だが、屋敷の応接室に油を使わない光を灯すなど、すぐに信じられる話ではなかった。


「よし。見せてもらおう。ただし、子どもを近づけるな。酸の瓶には誰も触らせるな。火と水も用意しておけ」


「ありがとうございます」


 直樹はうなずいた。


 夜になると、ベッラヴィスタ家の小応接室に、限られた者だけが集められた。


 ドメニコ、カルロッタ、イザベッラ、テレーザ、金物屋の職人、ガラス職人たちである。マルコ本人はまだ寝台から動けない。だが、弟を救った異国人が何かを見せると聞き、屋敷の中は落ち着かなくなっていた。


 小応接室の窓は閉められ、厚いカーテンが引かれていた。外では、灰を踏む馬車の音が時折聞こえる。遠くの港からは、夜の作業をする男たちの声がかすかに届いていた。ヴェスヴィオは暗い山の形を黒く残し、時々、低い唸りを夜へ落としている。


 室内には、まだ燭台が灯っていた。


 蝋燭の火は黄色く揺れている。壁の絵も、銀の杯も、カルロッタの顔も、その揺れに合わせて少しずつ色を変えた。これが、この時代の夜だった。油の匂い、蝋の匂い、火の揺らぎ。人が夜に集まる時、そこには必ず火があった。


 直樹は、丸卓の上に試作品を置いた。


 木の台。銅線。真鍮の支柱。2本の黒い炭素棒。小さなガラスの覆い。部屋の隅には、銅板と亜鉛板を重ねた電池が置かれている。陶器の皿からは、酸の匂いがわずかに立っていた。


「ナオキさん」


 カルロッタが言った。


「危険はありませんの?」


「あります」


 直樹は答えた。


 室内の空気が少し固まった。


「だから、誰も触らないでください。火花が出ます。眩しいです。長くは灯しません」


 ドメニコが低く笑った。


「それで安心しろと言うのか」


「安心ではなく、準備です」


 直樹は銅線を確かめた。


 右手の包帯が白く見える。カルロッタはそれに気づき、思わず近づきかけた。


「手は大丈夫ですの?」


「短い時間なら大丈夫です」


「無理をなさる方ですわね」


「最初に見てほしい人がいますので」


 カルロッタの目が、そこで止まった。


 周りには人がいる。だから彼女は何も言わなかった。ただ、胸元のブローチに指を添えた。


 直樹はテレーザに言った。


「蝋燭を消してください」


 テレーザは少し迷い、ドメニコを見た。ドメニコがうなずくと、テレーザは1本ずつ蝋燭を吹き消した。


 火が消えるたび、部屋の隅が暗くなった。最後の1本が消えると、小応接室はほとんど夜に沈んだ。廊下から漏れるわずかな光だけが、家具の輪郭を残している。


 人の息が聞こえた。


 カルロッタのドレスの布が、静かに擦れた。


 直樹は、炭素棒の先をほんの少し近づけた。次に、電池から伸びる線を接続した。


 最初は何も起きなかった。


 部屋の誰かが息を吸った。


 直樹は、支柱の小さなねじを回し、炭素棒の距離を変えた。


 次の瞬間、ぱち、と乾いた音がした。


 黒い炭素棒の間に、小さな青白い火花が走った。


 それは一瞬で消えた。


 イザベッラが小さく声を上げた。テレーザが胸の前で十字を切った。職人たちは身を乗り出した。


 直樹は表情を変えず、もう1度ねじを動かした。


 ぱち。


 今度は火花が長く伸びた。


 そして、2本の黒い炭素棒の間に、白い弧が生まれた。


 火ではなかった。


 炎の形をしていない。芯もない。油もない。風に揺れない。ただ、2つの黒い先端の間に、強い白い光が張りつき、部屋を一気に照らした。


 眩しさに、何人かが目を伏せた。


 小応接室の壁が、昼のように浮かび上がった。ナポリ湾の絵、銀の杯、椅子の脚、カルロッタのブローチ、テレーザの鍵束、ドメニコの白い口ひげ。すべてが黄色ではなく、白く見えた。


 蝋燭の夜ではない。


 ランプの夜でもない。


 部屋の中央に、小さな昼が生まれていた。


「聖母様……」


 テレーザが震える声で呟いた。


 ガラス職人は口を開けたまま、光を見つめていた。金物屋の職人は、真鍮の支柱ではなく、直樹の手元を見ている。ドメニコは立ったまま動かなかった。港で蒸気機関を見てきた男でさえ、自分の応接室にこの光が灯るとは思っていなかったのである。


 カルロッタは、何も言わなかった。


 光は彼女の顔を真正面から照らしていた。黒に近い髪の線、頬の白さ、胸元の真珠。蝋燭では隠れていたものまで、白い光は容赦なく見せた。けれど、カルロッタは目をそらさなかった。


 彼女は光を見ていた。


 次に、直樹を見た。


 直樹は、光の強さと炭素棒の減り方を見ながら、支柱のねじを少しずつ動かしていた。眩しさに目を細めても、手元は揺れない。右手の包帯が、白い光を受けてさらに白く見えた。


 この男は、本当に夜を変えた。


 カルロッタはそう思った。


 金細工師を相手に値を上げさせた若者。自分の胸にブローチを留めた若者。マルコの熱を下げた若者。その同じ男が、今、屋敷の夜を白く変えている。


 直樹は30秒ほど光を保った。


 炭素の匂いが立ち、細い煙がガラスの中にこもった。酸の匂いも強くなった。電池の容器がわずかに泡立っている。これ以上続ければ危ない。


 直樹は線を外した。


 白い光が消えた。


 部屋は、一瞬で暗くなった。


 誰もすぐには声を出さなかった。


 テレーザが慌てて燭台に火を戻した。


 黄色い火が灯った。だが、さっきまで当たり前だったその灯りは、もう貧しく見えた。小さく、揺れ、煙を出し、部屋の隅を暗いまま残す光だった。


 ドメニコが、ようやく口を開いた。


「ナオキ」


「はい」


「今のは、何だ」


「電気の光です」


「電信に使う、あの電気か」


「同じものです」


 ドメニコは椅子に座った。力が抜けたようにも見えたし、頭の中で金の計算を始めたようにも見えた。


「これを、港で灯せるのか」


「今のままでは無理です。電池が弱い。炭素も悪い。熱も危険です。ですが、蒸気機関で銅線を巻いた機械を回せば、もっと強くできます」


「蒸気で、光を作るのか」


「はい」


 ドメニコは、しばらく直樹を見た。


 やがて、静かに言った。


「明日の朝、食堂で話そう」


「分かりました」


 カルロッタは、直樹を見つめていた。


 彼女はもう、直樹を父の客人としてだけ見ることができなくなっていた。


 翌朝、ベッラヴィスタ家の食堂には、いつもと違う緊張があった。


 庭にはまだ火山灰が残っている。男たちは石畳を水で流し、女中たちは窓枠と手すりを布で拭いていた。葡萄棚の葉は白い粉をかぶり、馬車小屋の屋根にも灰が薄く積もっている。だが、屋敷の中で話題になるのは、もう灰ではなかった。


 昨夜の光である。


 蝋燭でも油でもない、白く揺れない光。小応接室にいた者は、誰もそれを忘れられなかった。テレーザは台所で何度も十字を切り、ガラス職人は朝早くから門の前へ来て、もっと丈夫な覆いを作らせてほしいと頼み込んだ。金物屋の職人は、自分の削った真鍮の支柱があの光を支えたことを、酒場で話したくてたまらない顔をしていた。


 ドメニコ・ベッラヴィスタは、食堂の席で直樹を見た。


「ナオキ。昨夜の光を、港で見せたい」


 ドメニコは率直に言った。


 直樹は、すぐには返事をしなかった。


 テーブルには硬いパン、チーズ、オリーブ、卵料理、薄い葡萄酒が並んでいる。窓の外から入る朝の光は、灰でまだ弱い。直樹は左手でカップを置き、ドメニコの顔を見た。


「見せることはできます」


「なら、準備をしよう。港の倉庫を使う。蒸気機関もある。人も職人も出す」


「その前に、決めておくことがあります」


 直樹の声は静かだった。


 ドメニコの目が少し細くなった。


「何を決める」


「モロー電光工房を作ります。社長は私です」


 食堂が静かになった。


 イザベッラは驚いたように直樹を見た。テレーザは皿を下げる手を止め、すぐに目を伏せた。カルロッタだけは、直樹から目を離さなかった。


 直樹は続けた。


「昨夜の白い火は、ベッラヴィスタ家の応接室で灯しました。今日からは、港で大勢に見せる話になっています。そうなれば、ただの余興では済みません。商売になります。名誉にもなります。だから、先に権利をはっきりさせます」


 ドメニコは椅子にもたれた。


「お前は、はっきり言う男だな」


「曖昧にすると、あとで揉めます」


「その通りだ。では聞こう。お前は何を望む」


「技術、設計、改良の判断、工房の名前、契約の最終決定権は、すべて私が持ちます。ベッラヴィスタ家には、最初の資本、港、倉庫、蒸気機関、職人、町での信用を出していただきたい。その代わり、出資額に応じた配当を出します」


「出資者として扱う、ということか」


「はい。ベッラヴィスタ家は最初の出資者です。恩人でもあります。だから粗末にはしません。ですが、工房の主人は私です」


 ドメニコは黙った。


 直樹はさらに言った。


「装置そのものは売りません。設置と管理を契約にします。港、倉庫、劇場、工場、役所。相手によって条件を変えます。利益から費用を引き、出資者には配当を出す。けれど、技術と経営権は渡しません」


 ドメニコは口ひげを撫でた。


「私の港で、私の蒸気機関を使い、私の職人を動かす。それでも、お前が社長か」


「そうです」


「ずいぶん強気だ」


「私は、この国では身分の紙も、家名も、港も持っていません。だから、ベッラヴィスタ家の信用が必要です。そこは認めます。ですが、光を作るのは私です。そこを手放すなら、港では灯しません」


 脅しではなかった。


 直樹は、ただ線を引いていた。助けてもらうことと、支配されることは違う。資本を受けることと、技術を奪われることは違う。その境目を、最初に決めている。


 カルロッタは、黙って聞いていた。


 昨夜まで、彼女は直樹を守り、自分の目の届くところに置こうとしていた。けれど今、直樹は彼女の父を相手に、自分の足で立っていた。ベッラヴィスタ家の客人ではない。発明を持つ若い男であり、自分の工房を作ろうとする者だった。


 その強さが、カルロッタの胸を深く打った。


 ドメニコはしばらく考えていた。


 やがて、低く笑った。


「ナオキ。お前はこの国では家もなく、港もなく、後ろ盾もない若者のはずだ。それなのに、交渉の線だけは船主より硬い」


「ここを曖昧にすると、後で必ず揉めます。ベッラヴィスタ家を軽く見ているのではありません。大事な相手だからこそ、最初に決めておきたいのです」


「よし」


 ドメニコは机を軽く叩いた。


「ベッラヴィスタ家は、モロー電光工房の最初の出資者になる。港、倉庫、蒸気機関、職人、材料費を出す。その代わり、最初の事業利益から応分の配当を受ける。だが、工房の社長はナオキ・モロー。技術と契約の最終決定権はお前が持つ。これでいいな」


「はい」


「ただし、支出は帳簿で明らかにする。港の人手、蒸気機関、倉庫、職人の賃金、材料費。すべて記録する」


「当然です」


「カルロッタ」


 ドメニコが娘を見た。


「お前は、ベッラヴィスタ家の側で帳簿を見ろ。出資者として、金の流れを確認する」


 カルロッタは静かにうなずいた。


「承知しましたわ」


 直樹はカルロッタを見た。


「カルロッタさん」


「はい」


「あなたには、工房の共同経営者になってほしいわけではありません」


 カルロッタの指が、膝の上で少し動いた。


 直樹は、言葉を続けた。


「仕事は私が決めます。出資はドメニコさんと話します。帳簿は家の仕事として見ていただく。ですが、あなた自身については、別の話をしたい」


 ドメニコが眉を上げた。


「食堂でする話か」


「本当は、2人だけで話すべきことです」


 カルロッタの頬に、わずかな赤みが差した。


 直樹は、それ以上は言わなかった。


 ドメニコは口ひげの下で息を吐いた。


「ナオキ。お前は光だけでなく、家の中まで火をつけるつもりか」


「火ではありません。光です」


「うまいことを言うな」


 イザベッラが小さく笑い、テレーザはわざと食器の音を立てて空気を変えた。カルロッタは目を伏せたままだったが、胸元の真珠のブローチに指を添えていた。


 朝食が終わると、直樹は港へ向かう準備に入った。


 それから3日間、ポルティチの小港、グラナテッロは奇妙な熱を帯びた。


 火山灰をかぶった石畳を男たちが洗い、倉庫の前には木の柵が組まれた。港の奥では、荷を上げるための小型蒸気機関が引き出され、油で黒くなった車輪とベルトが点検された。普段は樽や木箱を持ち上げるための機械である。それを光に使うと聞いて、港の男たちは半分笑い、半分本気で気味悪がった。


 直樹は、蒸気機関の横に発電機を据えた。


 鉄心に銅線を巻き、回転する軸とベルトでつなぐ。粗い作りである。音も大きい。接点も熱を持つ。だが、電池だけに頼るよりはずっとましだった。直樹は職人たちに、同じ部分を2度説明しないようにした。ガラス職人には覆いだけを作らせ、金物屋には支柱だけを削らせ、銅線を巻く細かな作業は、直樹のそばで限られた者だけにさせた。


 カルロッタは、ベッラヴィスタ家の出資側として帳簿を持った。


 彼女は港へ出る時、濃紺のドレスに灰色のショールを重ね、胸元には真珠のブローチをつけていた。港の潮、魚、油、濡れた縄、石炭の煙、男たちの汗は、屋敷の応接室とはまるで違う匂いを作っている。だがカルロッタは、そこに立った。


 誰が何を持ってきたか。何にいくら払ったか。どの職人に何を見せたか。直樹が誰に何を命じたか。彼女はそれを丁寧に記した。


 職人の1人が、銅線の巻かれた機械へ近づこうとした。


「奥様、そこがどうつながるのかを見ておきたいのですが」


 カルロッタは、柔らかい声で止めた。


「そこから先は、ナオキさんの作業です。あなたは支柱だけを見てくださいな」


「ですが、奥様」


「お代はきちんとお支払いします。ですが、モロー電光工房の中身をすべてお見せするわけにはまいりません」


 職人は黙って下がった。


 その様子を見て、直樹は近づいた。


「見事ですね」


「出資者側の帳簿係ですもの」


「それだけですか」


 カルロッタの目が一瞬揺れた。


「港でそういうことをおっしゃらないで」


「では、屋敷なら?」


「屋敷でも、場所を選んでくださいな」


 それだけ言うと、カルロッタは視線を帳簿へ戻した。だが、耳のあたりが少し赤くなっていた。


 直樹は、それを見逃さなかった。


 公開前日の夕方、最初の試運転が行われた。


 蒸気機関が動き、ベルトが回る。軸が唸り、銅線を巻いた機械が震えた。最初は何も起きなかった。港の男たちが顔を見合わせ、何人かが小さく笑った。


 直樹は気にしなかった。


 接点を磨き、ベルトの張りを変え、炭素棒の先を調整する。手元の動きは速く、何度失敗しても、次に直す場所をすぐに見つけていた。


 2度目に回した時、炭素棒の先で青白い火花が飛んだ。


 笑っていた男たちが黙った。


 3度目には、短い白い光が走った。まだ昼間なので、弱く見える。それでも、火でも油でもない光がそこに出たことだけは、誰の目にも分かった。


 港の男が、思わず言った。


「本当に、火じゃねえ」


 カルロッタは、その声を帳簿の隅に書き留めた。


 火ではない光。


 それは、明日の見出しに使える言葉だった。

 中編1では、まず応接室に白い電気の光が灯り、直樹の技術がドメニコたちの前で形になった。翌朝、直樹はモロー電光工房を立ち上げ、社長として技術と経営権を握ることを宣言する。ベッラヴィスタ家は直樹を保護する家ではなく、最初の資本と信用を出す出資者となる。カルロッタは共同経営者ではなく、出資者側の帳簿を見る立場に収まりながらも、直樹の強さと独立心に惹かれていく。ポルティチの港での公開実験を前に、直樹はすでに客人ではなく、未来の光を売る男として動き始めた。

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