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空き部屋の声、1986年の女  作者: ひまえび
第一章――「最上階の朝、甘い風」

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第12話――「杖の先、冷蔵庫の灯」

最上階の台所に、故郷からの電話が入る。ミン・ハの父ハイは、事故の後遺症で右半身に麻痺が残ったが、杖で歩けるまで回復していた。重い物は持てない。長く立つことも難しい。それでも、かつて果物加工の工場長をしていた経験があり、手順、記録、温度、出荷の段取りは分かると言う。尚人は本人と会い、工場を見せたうえで管理担当として迎える。夜には会社全体で歓迎会を開き、ハイの入社を盛大に祝う。宴の途中、ハイは外で電話をかける。

 夕方、最上階の台所に湯気が立っていた。


 リエン〈40〉は鍋の火を弱め、換気扇を回した。魚の出汁と生姜の匂いが窓際まで流れ、冷房の風に押し戻されている。ミン・ハ〈24〉は食器棚の前で皿を拭き、布巾を畳んだ。


 卓上の携帯が震えた。


 画面には故郷の番号が出ていた。ミン・ハは指先を布巾で拭き、電話を取った。


「お父さん?」


 電話の向こうで、息を整える音がした。少しして、低い声が返った。


「ミンか。いま大丈夫か」


「大丈夫。お母さんもいるよ」


「右の腕と脚は、まだ前のようには動かない。重い物は持てない。長く立つと痺れる。だが、杖で外を歩けるようになった。医者にも、座ってできる仕事なら始めていいと言われた」


 ミン・ハは布巾を握った。


「よかった」


 父は続けた。


「前の工場では工場長をしていた。仕入れ、洗い、切り分け、乾燥、梱包、出荷までの流れは分かっている。温度の癖も、書類の扱いも覚えている。現場で箱を運ぶことはできない。だが、記録と確認、出荷の段取り、新人に手順を守らせることならできる。もし会長の工場で働けるなら、働きたい。お前の負担も軽くなる」


 声は落ち着いていた。仕事の話になると、父は昔の調子に戻る。ミン・ハはそのことに少し救われた。


「尚人さんに話してみる。無理なら無理って言うけど、まず聞いてみる」


「頼む。失礼のないように話す。もう一度、ちゃんと働きたい」


 通話が切れたあと、ミン・ハは携帯を持ったまま、しばらく立っていた。


 リエンが鍋の蓋をずらし、横から見た。


「お父さん?」


「杖で歩けるまで戻ったって。重い物は無理だけど、座ってなら働けるって。尚人さんの工場で働きたいって言ってた」


 リエンは濡れた手を布巾で拭いた。ほっとした顔にはなったが、すぐには笑わなかった。


「会長さんに頼もう。あなたがずっと送ってきた。仕事をもらえるなら、働くべきよ」


「お母さんは心配じゃないの」


 ミン・ハが聞くと、リエンは鍋へ目を戻した。


「心配はあるよ。でも、家で座っているだけでは、あの人も駄目になる。働く場所があるなら、まず働かせる。それから考えるしかない」


 ミン・ハはそれ以上聞かなかった。


 母が何を心配しているのか、分からないわけではなかった。


 その夜、尚人〈62〉が食卓に来ると、リエンは皿を並べる手を止めた。


「尚人さん、お願いがあります。私の夫が、働きたいと言っています。事故の後、右半身に麻痺が残りましたが、最近リハビリで杖歩行まで戻りました。重い物は持てません。長く立つのも無理です。でも、果物加工の工場長をしていたので、流れと管理は分かります」


 ミン・ハも続けた。


「現場作業はできません。記録とか、出荷の段取りとか、新人の手順の確認とか。できる範囲で働きたいと言っています」


 尚人は箸を置き、2人を見た。


「働けるなら働いた方がいい。条件ははっきりさせる。重い箱は持たせない。長時間立たせない。座ってできる管理の仕事にする。現場の手は現場の者が動かす。だが、手順と記録を握る人間は必要だ」


 リエンは背筋を伸ばした。


「ありがとうございます」


 尚人はミン・ハへ視線を移した。


「明日、本人と話す。工場の中も見せる。できることと、できないことを本人の口で確かめる。そのうえで、管理担当として入ってもらう。ミン・ハ、お前の送金も少し楽になるだろう」


 ミン・ハはうなずいた。


「はい」


「ただし、家族だから甘くはしない。できる仕事は任せる。できない仕事はさせない。そこを間違えると、本人にも周りにも悪い」


「分かりました」


 食後、ミン・ハは父へ短いメッセージを送った。


 会って話すことになった。


 それだけを書いた。送信表示が出ると、ミン・ハは息を吐いた。父が働けるかもしれない。そのことはうれしい。だが、胸の奥に残ったものが、すべて消えたわけではなかった。


 リエンも同じ顔をしていた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、インターホンが鳴った。


 モニターには、帽子を手にした男が映っていた。ミン・ハが扉を開けると、父ハイ〈44〉が立っていた。左手に杖を握り、右肩が少し落ちている。歩幅は小さい。だが、足の置き方は慎重で、目は相手を見ていた。


 ハイは帽子を取り、深く頭を下げた。


「グエン・ヴァン・ハイと申します。本日はお時間を頂き、ありがとうございます」


 尚人が玄関に出た。


「尚人だ。中へ。座って話そう」


 リビングの椅子に腰を下ろすと、ハイは杖を膝の横に立てた。水のグラスに手を伸ばす動きは少し遅い。だが、手元は落ち着いていた。


 尚人は先に確認した。


「重い物は持てない。長く立つと痺れる。右手の細かい作業は遅い。ここまでは聞いた」


「はい。事実です。ですから、現場作業はできません。けれど、座ってなら記録と確認ができます。手順を見て、止めることもできます。私にできる範囲で働かせてください」


「前はどんな仕事をしていた」


 ハイは顔を上げたまま答えた。


「果物加工の工場で工場長でした。仕入れ、洗浄、切り分け、乾燥、梱包、出荷までの段取りを見ていました。温度、乾燥時間、ロット、出荷先の控えも扱っていました。事故のあと戻れず、雇い止めになりました。娘が送金し、妻も働いています。私は家で座っているだけでした。回復して杖で歩けるようになり、医者からも座ってできる仕事なら始めていいと言われました。会長の工場で、私に役目があるなら、雇って頂きたいです」


 必要なことは言えている。言い訳も多くない。仕事の経験も本物らしい。


 尚人は立ち上がった。


「工場を見よう。見てから決める」


 外へ出ると、朝の熱気が顔に当たった。車はすぐに渋滞へ入り、バイクが左右をすり抜けた。排気の匂いが窓から入り、信号ごとに車列が詰まる。ハイは杖を両膝で挟み、揺れに合わせて体を固めすぎないようにしていた。


 工場の入口に着くと、甘い果物の匂いと消毒液の匂いが混ざっていた。換気扇が回り、床には水が乾きかけた跡が残っている。冷蔵庫の表示灯が点き、扉のゴムは少し白く曇っていた。


「ここだ。あなたは荷に触らない。立ちっぱなしにもさせない。管理をやってもらう。できるか」


 ハイは入口の温度表示を見たあと、尚人へ向き直った。


「会長、よろしければ1つだけ。温度計が入口に近いです。人の出入りで数字が揺れます。庫内にも1つ置くと、判断がぶれません」


「それは今日中にやる」


 ハイは事務机の前に腰を下ろし、記録用紙の束を手に取った。紙の端が少し湿っている。


「記録が湿る場所に置かれています。数字が滲むと追えません。乾いた棚を決めて、そこだけに置きたいです。私が管理します」


「任せる」


 奥では、作業員が袋を熱で封していた。ハイはしばらく見てから、尚人に目で確認した。尚人がうなずくと、ハイは作業員の方へ向いた。


「失礼します。封をしたあと、端を指で一度だけ触って確認してください。空気が入ると、あとで全部が無駄になります」


 作業員が手を止めた。尚人が言った。


「今のは聞け。確認してから次へ行け」


 ハイはラベルを見た。書式がまちまちで、数字の位置も揃っていない。


「ロットの書き方が乱れています。問い合わせが来たときに追えません。日付、品目、乾燥回数、担当の印。これだけに統一したいです」


「それもやれ」


 一通り見終えると、尚人は事務所の椅子にハイを座らせた。ハイは右脚を少し伸ばし、痺れを逃がした。無理をした顔は見せないが、身体の限界は見えていた。


 尚人は決めた。


「雇う。肩書きは管理担当だ。現場の手は現場が動かす。あなたは止める。記録を残す。出荷の判断をまとめる。条件は厳守だ。重い物は触らない。立ちっぱなしはしない」


 ハイは深く頭を下げた。


「ありがとうございます。会長の工場で恥をかかせることはしません。身体の条件も守ります。できることを増やし、結果で返します。娘と妻の負担を減らしたいです」


「今日から来い。座れる机を用意する。記録棚を決めろ。形式を統一しろ。困ったら連絡しろ。ただし、毎回呼ぶな。自分で止めて、自分で直せ」


「はい。まず、記録と温度の管理から整えます」


 ミン・ハは父の背中を見ていた。リエンは唇を結んでいた。


 ハイは仕事の顔をしていた。その顔だけ見れば、頼れる男に見える。実際、工場には必要な人材だろう。


 だが、リエンはまだ安心していなかった。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、尚人はハイの入社歓迎会を開いた。


 場所は大通り沿いの大きな店だった。入口には水槽があり、海老と魚が泳いでいる。店内には、蒸した魚、焼いた肉、にんにく、唐辛子の匂いが混ざっていた。個室には丸い卓が2つ用意され、白い皿とグラスが人数分並んでいる。


 集まったのは、ミン・ハ、リエン、ハイ、アン、フイ、ミーリン、ミン、タイン、マイである。前の歓迎会で会社の仲間になった者たちに、今度は管理担当のハイが加わった。


 ハイは杖を椅子の横へ置き、少し緊張した顔で座っていた。昼間の工場では落ち着いていたが、宴席では酒の瓶や他の卓の声に何度か目を向けた。リエンはそれを見ていたが、何も言わなかった。


 尚人は席の中央に立った。


「今日は、ハイの入社歓迎会だ。ハイは現場で重い箱を持つために来たわけではない。温度、記録、出荷、手順を見るために入る。工場には、手を動かす人間も必要だが、止める人間も必要だ。間違いを見つけて止める。数字を残す。出荷の前に確認する。そこを任せる」


 ハイは頭を下げた。


「ありがとうございます。精いっぱい働きます」


 尚人は続けた。


「うちの会社は、まだ小さい。果物加工から始めたばかりだ。だが、俺はここで終わらせるつもりはない。食品加工、冷凍、流通、輸出入まで扱う会社にする。最初の仲間が増えるたびに、会社の形が決まる。今日も、その1日だ」


 アンやフイは真面目に聞いていた。タインとマイも背筋を伸ばしている。前の歓迎会を経験した2人には、尚人の言葉が前よりも現実に聞こえていた。


「ハイ、家族に迷惑をかけた分は、言葉ではなく仕事で返せ。ミン・ハとリエンに頼りきりになるな。管理担当として、工場の役に立て」


 ハイはもう一度頭を下げた。


「はい。必ず返します」


 リエンはその言葉を聞いていた。嬉しさはある。だが、顔の奥に残った不安までは消えなかった。


 店員が料理を運び始めた。


 青いパパイヤの和え物、海老の塩焼き、白身魚の蒸し物、牛肉の香草巻き、空芯菜炒め、鶏のレモングラス焼き、海鮮鍋。卓の中央には、湯気の上がる鍋が置かれた。スープにはレモングラスと生姜が効いており、魚介の匂いが強かった。


 フイが笑った。


「またすごい量ですね」


 尚人は店員を呼んだ。


「肉料理をもう1皿。あと、海老も追加してくれ。今日は遠慮しないで食べる日だ」


 アンが言った。


「会長さん、毎回本当に大盤振る舞いですね」


「人が増える日は、会社が大きくなる日だ。けちるところではない」


 ハイは恐縮したように言った。


「会長、私1人のために、ここまでしていただくのは」


「1人のためではない。会社全体のためだ。あなたを迎える人間も、あなたと一緒に働く人間も、ここにいる。全員で食べるから意味がある」


 ハイは言葉に詰まり、深く頭を下げた。


 乾杯は冷たい茶とビールだった。飲む者は少しだけ、飲まない者は茶でよいことにした。


 尚人はグラスを持った。


「ハイ、入社おめでとう。これから頼む」


 全員がグラスを上げた。


「よろしくお願いします」


 声が個室に広がった。


 宴はすぐににぎやかになった。ミンが冷蔵庫の話を始め、アンが箱の積み方を説明し、フイが床の水の話で笑いを取った。タインとマイはハイに手順を聞き、ハイは箸を置いて丁寧に答えた。


 仕事の話をしているハイは、やはり悪くなかった。


 温度が上がる理由。記録が滲むと出荷先に説明できないこと。袋の封が甘いと、後から全部を開け直すこと。ひとつひとつ、経験のある者の言葉だった。


 尚人はそれを見て、管理担当としては当たりだと思った。


 食事の半ばで、尚人は紙袋を出した。


「ハイにも、仕事で使うものを用意した」


 ハイは驚いて顔を上げた。


「私にもですか」


「当然だ。座って記録を見る仕事だから、座りやすい椅子、腰を支えるクッション、温度記録用の帳面、書きやすいペン、机に置く小型の時計、それから薄い上着を用意した。冷えた場所で長くいるなら、身体を守れ」


 ハイは紙袋を受け取り、中を見た。指が少し震えていた。


「ありがとうございます。大切に使います」


 尚人はさらに封筒を渡した。


「これは入社祝いだ。給料とは別だ。家へ持って帰れ。家族で必要なものに使うといい」


 ハイは封筒を両手で受け取り、頭を下げた。


「ありがとうございます。家に入れます」


 ミン・ハは父のその言葉を聞き、少し安心したように見えた。


 リエンも、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 ◇ ◇ ◇


 海鮮鍋に麺が入るころ、ハイの携帯が震えた。


 ハイは画面を見た。すぐには出ない。茶を飲み、箸を置き、もう一度画面を見た。


「少し外へ出る」


 リエンが顔を上げた。


「今?」


「前の工場の知り合いだ。すぐ戻る」


 ハイは杖を取り、個室を出た。


 尚人は引き止めなかった。私用の電話である。宴席の中で、雇い主が問いただすことではない。


 店の外は湿った夜気で満ちていた。入口の水槽の横を抜けると、通りの音が一気に大きくなる。バイクの群れがヘッドライトを流し、歩道の端では若い男たちが煙草を吸っていた。


 ハイは店の看板の影に立ち、携帯を耳に当てた。


「後半だけでいい。2点差ならまだ返る。いや、次の試合も少し入れる。金は明日持っていく。大きくは張らない。今日は少しだけだ」


 相手の声は読者には聞こえない。


 ハイは眉を寄せ、唇を舐めた。


「分かっている。前みたいにはしない。少しだけだ。勝ったら戻せる」


 電話を切ると、ハイは封筒の入った胸元を手で押さえた。すぐに取り出すことはしなかった。だが、その手はしばらく同じ場所に残った。


 店の入口からは、笑い声と鍋の湯気が流れてくる。


 ハイは息を整え、顔を拭き、何事もなかったように個室へ戻った。


 席では、海鮮鍋の具が取り分けられていた。タインがマイの器に麺を入れ、アンとフイが追加の肉を分けている。尚人はミンと冷蔵庫の温度記録の話をしていた。リエンはハイが戻ったのを見たが、何も言わなかった。


「遅くなった」


 ハイはそう言って座った。


 ミン・ハが聞いた。


「仕事の話だったの?」


「ああ。前の工場の者だ。たいした話じゃない」


 ミン・ハはそれ以上聞かなかった。


 リエンも箸を動かした。


 宴はそのまま続いた。


 ハイは鍋を食べ、ミンにラベルの書き方を説明し、タインとマイへ乾燥時間の話をした。仕事の話になると、声は落ち着き、言葉にも無駄がなかった。


 ◇ ◇ ◇


 歓迎会が終わるころ、外は夜になっていた。


 店の前にはタクシーが並び、バイクの音が途切れない。持ち帰りの菓子と果物の箱を店員が運び出す。尚人は人数分の車を手配し、全員が安全に帰れるようにした。


 ハイは杖をつき、尚人の前へ来た。


「会長。今日はありがとうございました。ここまでしていただいて、感謝しています」


「仕事で返してくれ」


「はい」


 ハイは頭を下げた。


「ハイ、明日から机と記録棚を用意する。身体に無理をするな。仕事は仕事として、きちんとやれ」


「はい。必ず」


 リエンは横で聞いていた。夫が再び働けることは、やはりうれしかった。家の金が少し楽になる。ミン・ハの送金も減らせる。そう思いたかった。


 ミン・ハも父へ言った。


「お父さん、明日から無理しないでね」


「ああ。大丈夫だ」


 ハイは娘の前では穏やかな顔をした。


 その顔だけ見れば、家族思いの父に見える。


 全員を見送ったあと、尚人はミン・ハ、リエンと一緒に最上階へ戻った。


 エレベーターの中には、海鮮鍋と果物とチェーの甘い匂いがまだ残っていた。リエンは少し疲れていたが、足取りはしっかりしている。ミン・ハは父が受け取った紙袋のことを思い出したのか、少しだけ笑った。


 最上階へ着くと、廊下は冷房で冷えていた。


 ミン・ハは部屋に入るなり、尚人へ茶を出した。


「今日はありがとうございました。お父さん、喜んでいました」


「それならよかった」


 リエンも頭を下げた。


「会長さん、本当にありがとうございます。あの人、仕事の話になると昔の顔に戻ります。今日、工場を見ている時も、少し安心しました」


「管理担当としては役に立つ。そこは見えた」


「はい」


 リエンはそこで言葉を切った。


 何かを言いたそうではあった。だが、その夜は言わなかった。歓迎会が終わったばかりで、尚人も疲れている。夫の悪い癖の話をここで持ち出せば、せっかくの席が全部曇ってしまう気がした。


 ミン・ハも黙っていた。


 尚人は2人の様子に気づいたが、あえて聞かなかった。


「今夜は休め。明日から、ハイの机と記録棚を用意する」


 リエンはうなずいた。


「はい」


「身体の条件は守らせる。重い物は持たせない。立ちっぱなしにもしない。仕事はできる範囲でしてもらう」


「ありがとうございます」


 ミン・ハは少し安心した顔で言った。


「父が働けたら、私も助かります」


「そうなるようにする」


 会話はそこで終わった。


 窓の外では、夜のホーチミンがまだ動いていた。バイクの音、遠いクラクション、どこかの店の音楽。街は明るく、若い人間も多い。だが、明るい街の中にも、酒場、賭け、借金、女のいる店はある。

第12話では、ミン・ハの父ハイが管理担当として会社へ入る。工場を見たハイは、温度計の位置、湿った記録用紙、封の確認、ロット表示の乱れをすぐに見抜き、現場を止める役として使えることを示す。尚人はその力を認め、重い物を持たせず、長時間立たせず、記録と温度と出荷を任せる条件で雇う。夜には会社全体で歓迎会を開き、大盤振る舞いで迎える。ハイは全員の前では礼を尽くし、仕事の話でも頼れる顔を見せる。

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