第18話(後編)――「百億円の告白」
1986年6月13日金曜日、都内4物件の最後の残金決済が終わる。尚人が事前に直樹へ移していた預金と賃貸料、成城の奥様方への売却代金がそろい、さらに直樹自身の残資金も加わり、直樹の手元資金は100億円を超えた。金はそろった。次に必要なのは、直樹が信じて動ける味方である。直樹は、恋人となった榎本啓子に、未来から来たこと、尚人との関係、リモコンの存在を打ち明ける。
(1986年6月13日金曜日午後3時、東京・世田谷区成城6丁目、直樹の屋敷)
午後3時ちょうど、銀行から最後の電話が入った。
浜田山の残金14億4,000万円が、直樹の口座へ入ったという連絡だった。
これで、4件すべての売却代金がそろった。
代沢は15億円。
広尾は21億円。
松濤は31億円。
浜田山は16億円。
売却総額は83億円である。
すでに、手付金8億3,000万円は5月中に入っていた。6月6日には代沢の残金13億5,000万円、6月10日には広尾の残金18億9,000万円、6月12日には松濤の残金27億9,000万円が入った。そしてこの日、6月13日、浜田山の残金14億4,000万円が入った。
尚人が万一に備えて直樹へ移していた普通預金は、19億3,496万500円である。
さらに6月2日には、尚人が持っていた賃貸物件の6月分家賃2,000万円と、横須賀の遊興ビルの賃貸料250万円が入っていた。合計2,250万円である。
直樹自身の資金も残っていた。
直樹は5月20日に、尚人から17億2,000万円を託されていた。そのうち17億円を普通預金に入れ、2,000万円を現金で受け取った。もともと持っていた100万円を加えると、手元の現金は2,100万円だった。
その後、都内5物件の取得で、直樹の普通預金から15億5,000万円を使った。したがって、直樹名義の普通預金には1億5,000万円が残っている。
現金の方は、カワサキGPZ900R Ninjaの逆輸入車を買うために、車両本体、登録費、整備費、保険、ヘルメット、上着、手袋、雨具、防犯チェーンを含めて180万円を支払った。さらに昼食代300円も使っている。
そのため、手元現金は1,919万9,700円となった。
直樹自身の残資金は、普通預金1億5,000万円と現金1,919万9,700円を合わせ、1億6,919万9,700円である。
4物件の売却代金83億円。尚人から移された普通預金19億3,496万500円。6月分賃貸料2,250万円。直樹自身の残資金1億6,919万9,700円。
すべてを合わせると、直樹の手元資金は104億2,666万200円になった。
税金や諸費用の整理は、後で税理士に任せればよい。今、直樹に必要なのは、すぐ動かせる金である。人を動かし、情報を買い、敵の足取りを追い、尚人と順子の行き先を突き止めるための金だった。
直樹は、書斎の机に置かれた通帳と入金票を見た。
金はそろった。
だが、それだけでは足りない。
直樹には、信じて話せる相手が必要だった。
書斎の向かいには、榎本啓子が座っていた。
啓子〈44歳〉は、白いブラウスに淡い灰色のスカートを合わせていた。成城の奥様としての落ち着きはある。だが、直樹を見る目は、以前とは違っていた。2人はすでに恋人同士になっていた。互いの弱さも、欲も、迷いも見せていた。
だからこそ、直樹は黙っているわけにはいかなかった。
「啓子さん」
直樹は言った。
「これから話すことは、普通なら信じてもらえない話です」
啓子は、軽くうなずいた。
「聞きます」
「僕は、この時代の人間ではありません」
啓子の表情が止まった。
「どういう意味ですか」
「僕は、未来から来ました。2026年からです」
部屋の時計の音だけが残った。
直樹は続けた。
「尚人さんは、僕の祖父です。正確には、この時代の尚人さんから見れば、僕はまだ生まれていない孫です」
啓子は、すぐには言葉を返さなかった。
直樹は机の引き出しを開け、小さなリモコンを取り出した。金属と樹脂でできた、小さな機械である。1986年の家庭用電化製品とは違う質感を持っていた。
「これが、僕をこの時代へ連れてきた道具です。時代を越えて移動できます。尚人さんも、別のリモコンを持っていました。敵が使ったのは、一方通行のリモコンです。人だけを飛ばし、リモコンは元の時代に残ります」
啓子は、リモコンを見た。
「では、尚人さんと順子さんは」
「どこかの時代へ飛ばされました。2人は生きている可能性が高いです。ただ、行き先が分かりません。行き先さえ分かれば、僕のリモコンで追えます」
「警察に話せない理由も、それなのですね」
「はい。誰にも説明できません。理恵さんたちにも、話せる範囲は限られます。敵に知られれば、また先を読まれます」
啓子は、深く息を吸った。
驚いていないはずがない。顔色は少し白くなっていた。だが、椅子から立つことも、泣くことも、問い詰めることもしなかった。
「直樹さん」
「はい」
「あなたが、私をだましていたとは思いません」
直樹は啓子を見た。
啓子は、ゆっくり言葉を選んだ。
「初めて会った時から、あなたには不思議なところがありました。若いのに、妙に世の中を知っている。1986年の学生とは思えない。けれど、嘘で人を操る目ではありませんでした」
「信じてくれるのですか」
「信じます」
啓子は、まっすぐ答えた。
「私は、あなたを愛しています。だから、あなたが背負っているものも受け入れます」
直樹は、しばらく言葉を失った。
啓子は立ち上がり、机の前へ来た。そして、通帳とリモコンを見比べた。
「金はそろいました。けれど、これをどう動かすかが大事です。100億円を超える金を急に使えば、人が寄ってきます。銀行も、税務署も、悪い人間も見ます」
「分かっています」
「なら、私が手伝います」
「啓子さんが?」
「成城の家、奥様方、銀行、不動産会社、司法書士、税理士。表の世界で動かす道は、私が見ます。直樹さんは、尚人さんと順子さんの行き先を探してください」
直樹は、啓子の手を取った。
「危険です」
「もう危険の外にはいません」
啓子は静かに言った。
「あなたを愛した時点で、私はこの道に入っています」
直樹は、啓子の手を強く握った。
「ありがとう」
「礼は、尚人さんと順子さんを見つけてからにしてください」
啓子は、少しだけ笑った。
「それまでは、私はあなたの恋人であり、共犯者であり、成城側の窓口です」
直樹は、机の上にリモコンを置いた。
その横には、104億2,666万200円を示す通帳がある。
時を追う道具と、金を動かす証拠。
直樹は、その2つを見た。
ようやく戦う準備が整った。
第18話後編では、1986年6月13日金曜日、都内4物件の残金決済がすべて終わり、直樹の手元資金が104億2,666万200円に達する。尚人が事前に移していた預金、6月分賃貸料、横須賀遊興ビルの賃貸料、4物件の売却代金に加え、直樹自身の普通預金と手元現金も合算された。これにより、直樹は本格的に尚人と順子の行方を追う準備を整える。同時に、恋人となった榎本啓子へ未来から来た事実、尚人との関係、リモコンの存在を打ち明ける。啓子は驚きながらも直樹を信じ、成城の人脈と表の仕事を支える協力者となる。




