第11話――「甘い口、冷気の扉」
最上階の台所で、尚人はミン・ハとリエンの役割を決め直す。家の食事と部屋のことを任せ、加工場には新しく2人を入れる。現場では人が増える分、冷蔵庫の扉の扱いと手順の徹底が要になる。翌朝、タインとマイが加わり、仕事は「早く回す」ではなく「迷いを残さない」方向で整っていく。
尚人は食後、椅子を少し引いて背筋を伸ばした。窓の外は白い光が強く、遠くの屋上から洗濯物が風に揺れているのが見える。南の昼は仕事の音さえ、どこか軽く聞こえる。
尚人は言った。「さっきの話を、ここで決めてしまおう。ミン・ハとリエンは、もう加工場へ行かなくていい。2人には、俺の食事とこの部屋のことを頼みたい。料理人でもあるし、メイドでもある。兼務でいい。むしろ、その方が落ち着く」
ミン・ハは少し目を丸くした。嬉しさと心配が同時に出た顔だ。ミン・ハは言った。「それはありがたいです。でも、私たちが抜けたら、加工場が大変になりませんか」
尚人はうなずいた。「だから人を入れる。若い女性を2人、雇う。頼みたいのは、リエンの親戚だ。身元が分かっていて、言葉も通じるほうが早い」
リエンは手を止め、台所の窓の方を見た。扇風機が回り、カーテンがふわりと持ち上がる。リエンは笑って言った。「ちょうどいい子がいるよ。私の姪が2人いる。田舎から出てきたがっていて、仕事を探していた。2人とも19歳で、元気だけは立派だよ」
尚人は言った。「その2人に頼もう。名前は?」
リエンは指を2本立てた。「タインとマイだよ。どちらも同い年で、よくしゃべる。静かな部屋に入れたら、空気が賑やかになり過ぎるかもしれない」
ミン・ハが笑って言った。「会長さんの家は、もともと静かすぎます。少し賑やかでも大丈夫です。私がうるさくなり過ぎたら、料理で黙らせます」
尚人は肩をすくめた。「料理で黙るなら、俺がいちばん弱い。勝ち目がない」
リエンは箸を洗いながら言った。「会長さんは、食べ物に負けるのが早いね。でも、それでいい。強い顔ばかりしていると、肩が固くなる」
尚人は笑って言った。「肩が固いなら、果物より先に俺を揉んでくれ」
ミン・ハは言った。「それは冗談でも、言い方が危ないです。肩を揉む係は、まず予約が必要です」
リエンが声を出して笑った。「予約制の肩だね。高級だよ」
◇ ◇ ◇
午後、尚人は加工場へ降りた。階段の踊り場はむっとする熱気で、通りからはクラクションが短く跳ねる音が上がってくる。下のフロアに入ると、冷気が肌に当たり、さっきまでの暑さが嘘みたいに引く。
アンが手を止めて顔を上げた。尚人は言った。「今日から人を2人増やす。リエンの姪だ。2人とも19歳で、名前はタインとマイ。明日から入れるつもりだ」
アンは言った。「それは助かります。今は手が足りない時があります。箱の整理と、洗い場の補助が安定すると、作業がきれいになります」
尚人は言った。「そうだ。やり方は変えない。増えた人に合わせて手順をねじ曲げると、結局、事故が増える。最初の3日は、アンが横につく。迷ったら止める。止めたら、理由を言う。それだけ守ってくれ」
ミーリンが言った。「新しい子に、怖い顔をしないようにします。私、黙っていると怒っているみたいに見えるので」
フイが笑って言った。「それは大丈夫だよ。ミーリンは怒っている時も、だいたい優しい顔をしている」
ミーリンは言った。「今の言い方だと、私が怒る場面が多いみたいに聞こえます」
ミンが冷蔵庫の温度計を指で叩いて言った。「明日から2人増えると扉の開け閉めが増えます。開けたまま話すと温度が上がります。箱が湿るし、霜も付きます。会長さん、これ、みんなに徹底してください。冷蔵庫の前で話すなら、扉は閉めてからにしましょう」
尚人はうなずいた。「その注意は正しい。話は長くてもいい。だが扉は閉める。果物は温度に弱いからな」
アンが笑った。「会長さん、言い切ると怖いのに、言っていることが分かりやすいです」
尚人は言った。「怖がらせたいんじゃない。電気代とロスを減らしたいだけだ」
場が少し軽くなった。笑いが出ると、手が止まらない。ミンは扉を閉め、アンは箱をそろえ直した。作業場の冷気は、余計に逃げずに済んだ。
◇ ◇ ◇
翌朝、タインとマイがリエンに連れられて来た。2人とも背がすらりとしていて、髪をまとめ、目がよく動く。入口で靴をそろえるのも早い。緊張しているはずなのに、口元に少し笑いが残っている。
リエンは言った。「会長さん、連れてきたよ。こっちがタイン。こっちがマイ。2人とも19歳。口が先に動くから、仕事も先に動かしてやってね」
タインは頭を下げて言った。「初めまして。タインです。失敗しないように、分からないことは必ず聞きます。勝手に判断して迷惑をかけたくありません」
マイも頭を下げて言った。「マイです。私は覚えるのが遅いかもしれません。でも、覚えたら手は止まりません。手が止まったら、私が自分で怖いので、ちゃんと覚えます」
尚人は2人の目を見て言った。「よく来た。ここは暑い街だが、加工場は冷える。体調を崩すと、仕事がうまくても続かない。寒いと感じたら、我慢しないで言え。恥ずかしいことではない」
タインは言った。「はい。私は強がる癖があるので、そこは気を付けます」
尚人は言った。「強がるなら、強がり方を間違えるな。強がるのは、手順を守る方だ。根性でやる方じゃない」
マイが小さく笑って言った。「会長さんは怖い人だと思っていました。でも、話が分かりやすいです。安心しました」
尚人は言った。「安心していい。ただし、仕事は甘くない。甘いのは果物だけにしておけ」
リエンがすぐに言った。「会長さん、上手いことを言ったつもりだろうけど、タインとマイはまだ慣れていない。笑っていいのか迷っているよ」
タインが言った。「笑っていいなら笑います。私は笑いのルールも教えてほしいです」
ミン・ハが台所から顔を出して言った。「笑いのルールは簡単です。手を洗ってから笑ってください。果汁がついたまま笑うと、あとでベタベタになります」
マイが言った。「それは分かりやすいです。私、ベタベタは嫌いです」
尚人はうなずいた。「よし。今日は手順の説明から入る。アンが横につく。分からないことは遠慮せずに、その場で聞け。迷ったまま手を動かすと、切り方がぶれて果汁がこぼれる。箱詰めも遅れて、冷えが戻らない。そうなると傷みが早い。果物が傷んだら捨てることになる。そうなると、俺が悲しい」
タインは真面目に言った。「会長さんが悲しくなると、みんなも悲しくなります。だから聞きます」
マイも言った。「私も聞きます。会長さんを悲しくさせないために、まず私たちが恥をかきます」
リエンは満足そうに笑った。「ほらね。口が先に動く。南の子は、こうでないと」
尚人は言った。「口が動くのは構わない。だが、手も一緒に動かせ。ここは話し合いの場ではなく、作る場だ。楽しくやる。けれど、手順は崩さない。それだけ守れ」
2人は声をそろえて言った。「はい、守ります」
その返事が終わる前に、外ではクラクションがまた跳ねた。街の熱が窓の外でうねり、加工場の冷気が足首を静かに撫でた。南国の朝は、騒がしく始まって、案外、仕事に向いている。
第11話では、家と現場の配置替えがはっきり決まる。ミン・ハとリエンを最上階の台所へ置き、加工場にはタインとマイを入れる。人数が増えるほど、冷蔵庫の扉や手順の乱れが損失に直結するため、尚人は「迷ったら止める」「その場で聞く」を軸に据える。笑いが入り、空気が軽くなっても、手は止めない。南の朝の騒がしさと冷気の対比が、これからの仕事の流れを支える。




