普通 5
中田がハト教で1日を過ごしている間。剣狼は渡されたタブレットを使って、黒田や豊島と連絡を取り合っていた。
「お嬢、飯は食ってくれているんだな」
「それだけは俺も安心している。本人に生きる意思があるって事だからな」
だが、気の迷いで何をするか分かった物ではない。1日中気を張っていても問題ないのは、怪人が持つポテンシャルの賜物だろう。
「芳野のお嬢さんにまで何かがあったら、俺は親父に顔向けできねぇよ。買い出しとかは若い奴らに言え」
「助かる。また、何かあったら連絡を取る」
通話を切った。広々とした居間で、1人食器を洗い風呂なども湧かし、洗濯物も畳む。自分の日常は殆ど一般人と変わらない物になっていた。
誰かを傷つける事しか知らなかった頃が懐かしく思える。以前は、アレほど憎んでいたレッドの事を考える時間も減っていた。今の平穏に馴染もうとしているのか、あるいは敗北した恐怖が思い出させない様にしているのか。
「うん?」
不意にギシリと言う音が聞こえた。歩幅や臭いから、誰がこちらに向かって来ているのかは分かっていたので、家事を続けていた。現れたのは芳野だった。
「……あのぅ」
「どうした?」
「アイス。取って良いですか?」
どうぞ。と短く告げると、冷凍庫に入れていたカップアイスを取った。部屋に戻る訳ではなく、居間でチビチビと食していた。暫くは、互いに無言だったが、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「皆さん、心配していましたか?」
「していた。声でも聴かせてやれば喜ぶと思うぞ」
「……今は、まだ」
完全に回復した訳ではなかったが。話が出来るだけでも大きな進歩だと思った。無言の静寂に耐え切れず、彼女はテレビを付けた。
現在の皇で放送されているニュース以外の番組の殆どは、ドラマの再放送かアニメだった。BPOの監視が厳しくなった理由は言うまでもない。
「もう、葬儀場の件は報道されていないんですね」
「今は、どんなニュースでもさっさと流すからな」
一つのニュースを取り上げ続けると、関係者に危険が及ぶ可能性が高くなる。話題にしている場所があるとすれば、PV数やアクセス数稼ぎのゴシップサイト位だった。……彼らもまた、制裁を食らっているが。
チャンネルを変えると、アニメが放送されていた。日常系とでも言うのか、低刺激のふんわりとした内容で、可愛らしい女の子達が他愛の無い話をしているだけの物だった。今の、芳野にとっては有難かった。
「昔はですね。こういう日常系アニメの何が良いのかって全然分からなかったんですよ」
「今は分かるのか?」
「はい。私も、こんな風に日々を過ごせたら良かったなぁって」
誰にとっても遠ざかってしまった日常が繰り広げられていた。学校内では誰もが楽しく談笑していて、帰りには寄り道をして買い食いしたり、ウィンドウショッピングを楽しんだりと。
こういった映像に癒されるのは、疲れ果てた社会人だけかと思っていたが、自分まで該当するとは思わなかった。
「……俺には何が良いかが分からないが、芳野が憧れている事だけは分かる」
「そう思ってくれるだけで充分ですよ。日常に憧れるってのも、変な話ですから」
寂しさや悲しみを紛らわす様に、芳野は視聴しているアニメの話をしていた。剣狼も内容が分かっていた訳ではなかったが、相槌を打っていた。彼女が食べていたアイスクリームは溶けかかっていた。
~~
ハト教からの帰り。二人の間には気まずい雰囲気が漂っていた。桜井はどうにかして、この空気を打開する方法を考えていた。
「(元々、リーダーと美樹は相性が良くないのは分かっていたけれど)」
勤め先で慰問に来ていた議員を殺害し、お局を殺そうと居場所を聞き出そうとして、彼女に断られた直後にヒステリーを起こした。間一髪で桜井が助けに入ったが、もしも入らなかったらと思うと。今でもゾッとする。
無法者として野垂れ死ぬかと思っていたが、今や皇を騒がす集団のトップとして君臨しており、彼女達を雇用する施設を用意できる程の力を持っている。
「先輩」
「え? なに?」
どの様に声を掛ければ機嫌を直してくれるかと考えていた矢先、先に声を上げたのは富良野の方だった。
「先輩にとって。私と大坊さん、どっちの方が大事ですか?」
「どっちって……」
大事のベクトルが違うのだから比べようがない。
大坊は共に青春を駆け抜けた友人であり、気心の知れた仲間ではあるが、恋愛などとは無縁の関係にあった。
一方、富良野は自分が一番辛い時に心身面と経済面の両方から支えてくれた相手であり、友人を超えた関係にあるとは思っている。
「私。先輩がヒーローに戻って欲しくないんです。もしも、大坊さんの所に行ったら、二度と戻って来ない気がして……」
桜井は、富良野が不機嫌から黙っていた訳ではないことに気付いた。注視すれば、彼女の手が震えている。
あの時は、大坊の勧誘に乗るだけの理由が無かったが、今の彼には強大なバックボーンが付いている。もしも、桜井がヒーローに戻るというのなら富良野には引き留めるだけの力が無い。
「大丈夫よ。リーダーとは久々に話をしただけ。今の私は、エスポワールピンクじゃなくて、桜井だから。今の日々は気に入っているのよ」
本心からの言葉だった。世直しをするだけの気力もなければ、顔も知らない他人を信じられるだけの勇気もない。目の前の日常を守って、堪能することだけが精一杯な自分がヒーローに戻れる訳がない。
「えへへへ。そうですか! よっし! じゃあ、今日はハト教で貰った野菜を使った料理にしましょうか!」
富良野がいつもの調子を取り戻したのを見て、胸を撫で下ろしていた。リーダーと自分は違う道を選んだ。今、会ったとしても昔を懐かしむだけの関係だ。
以前の様に職場を追われる必要もない。悪の組織が何をしようとも、自分達に関係はないし、万が一自分達に手を出してきた場合。レッドの激怒を買うことになるだろうという考えもあった。
「(私はもう普通の市民だから。これ以上、皇の行く末を左右するなんて大仰な事に関わる必要も無いの。これからもずっと……)」
だが、本人がどう思おうと。彼女がエスポワールピンクであったことは消すことのできない過去であった。駅へと向かう彼女達は、鞄を提げた男性から『すみません』と尋ねられた。
「何でしょうか?」
「ハト教に向かいたいんですが、ここを真っすぐ進めば大丈夫でしょうか?」
「はい。その通りです」
「ありがとうございます。ひょっとして、貴方達もハト教関係者でしょうか? もしも、そうならお話を伺いたいのですが」
スッと名刺を差し出して来た。社名の横には『反町』と言う名前が綴られていた。胡散臭さも相まって、桜井達は顔を見合わせた。
「すみません。私達急いでいるんで」
「それは、申し訳ありませんでした。道案内、ありがとうございます」
食い下がる様な真似はせず、反町はハト教に向かって行った。時間帯的にも不自然さを覚えはしたが、桜井達は自宅への帰路を急いだ。




