第一話
駆ける。
ただ、駆ける。
ひたすらに、ただひたすらに駆ける。
彼女が足裏で大地を踏みしめるたび、爆音とともにクレーターができ、膨大な土煙が巻き上がった。
凄まじい速度で駆け抜ける少女の身体が空気を超音波のごとく切り裂き、周囲の風景を爆風で薙ぎ倒していく。
森へ入れば、巨木群の枝葉がまるで嵐が来たかのように大きく激しく揺れ。
鳥たちは生命の危機を察知して一斉に悲鳴を上げて飛び立ち。
たまたま進行方向を横切ってしまった哀れな魔物たちは――。
「邪魔ぁぁぁあ!!」
ドゴォンッ!!!!!
「ギャッ――!?」
問答無用で、弾丸以上の衝撃で撥ね飛ばされていった。
幸いにも、彼らはエステルの進行軌道から綺麗に外側へ弾き飛ばされただけで、骨が数本折れる程度で済んでいる。命に別状はない。
……たぶん。運が良ければ。
そんな殺傷能力の高い迷惑行為を撒き散らしながら、エステルはひたすら走り続けていた。
泥を巻き上げ、風を裂き、一直線に。
目指すは世界の最果て――魔王城。
人類最強の一角。
【剣の聖女】エステル・オリオン。
その背中に後光が差すような神々しい走り姿は、間違いなく絶望の戦場に舞い降りた『人類の希望』そのもの――。
「……あれ?」
――だったのだが。
ふと。
音速を超えて走りながら、エステルの脳裏にぽつりとそんな疑問が浮かんだ。
「私って……ここまで死ぬ気で頑張って何かを成し遂げようとしたの、人生で何回目でしたっけ?」
風を切る音の中で、少しだけ過去を振り返る。
そして。
「……二回目、くらい?」
自嘲気味にそう呟いた。
エステル・オリオンには、前世の記憶がある。
この異世界とは何の関係もない、どこにでもいるような平成生まれの一般人。
特別な才能もなければ、裕福な家柄でもない。
言ってしまえば――どこにでも転がっている「凡人」だった。
そんな彼女が、不慮の事故でこの世界に転生した。
そして神様()から与えられたのが――。
【剣の聖女】という、この世界にただ一人しか存在しない、あまりにも規格外で特別なチート能力。
最初は戸惑った。
だが、やがて心が震えた。
前世では何者にもなれなかった自分にも、何か役に立てることがあるのかもしれないと。
自分という存在に、生まれて初めて期待することができたのだ。
あの日。
『私がこの世界に生まれてきた意味』を見つけたと思った。
だから頑張った。
血を吐くような努力もした。
民のために、世界のためにと、頑張って、頑張って――。
「……でもさぁ」
エステルの可憐な口元が、ひくりと引きつる。
「それがブラック企業も真っ青な『年中無休・過労死確定の超重労働』の始まりだなんて、誰が思うんですかぁぁぁぁぁ!!!!」
絶叫。
静寂な深い森の中にバリバリと響き渡る、魂の底からの怨嗟の声だった。
空を飛んでいた鳥がショック死して落ちてくる。
魔物が恐怖で泡を吹いて逃げ出す。
たまたま近くで警戒中だった魔族の精鋭部隊まで「何事!? 敵の大軍!?」と真っ青になって退却を始める。
だが、エステルの暴走と叫びは止まらない。
「だって普通! こういう神様転生ものってさあぁぁぁ!」
脳裏に蘇る、前世で読み漁ったライトノベルの知識。
圧倒的なチート能力!
縛るもののない自由な生活!
スローライフでまったり開拓&グルメ三昧!
可愛いヒロインやイケメンたちとの楽しい学園生活!
気が向いた時だけ冒険者として無双して、面倒事は全部「やれやれ」でスマートに解決!
――そういうお約束だと思ってたのに!!
「自由な生活を満喫して、第二の人生を謳歌するものなんじゃないんですかぁぁぁ!!」
しかし。
現実は甘くなかった。容赦なく酷惨だった。
エステル・オリオンを待っていたのは――。
民衆からの過度な神格化と期待。
泥沼化する魔族との全面戦争。
休む間もない連日の血みどろの戦闘。
国の上層部から湯水のように押しつけられる書類仕事と極秘ミッション。
次から次へと砦に運ばれてくる、悲鳴を上げる負傷兵たちの治療。
そして。
一日――『十九時間労働』。
「誰がそんな地獄想像できるんですかぁぁぁ!? 労働基準法を連れてこい!!」
疾走しながら、思わず目元に涙が滲んでくる。
転生した初日。
彼女を温かい笑顔と涙で迎えてくれた人々。
『おお……! これが神に選ばれし【剣の聖女】様か!』
『人類の希望だ!』
『聖女様! 我々をお救いください!』
あの頃の自分は、本当に純粋だった。ウブだった。
誰かに期待されることが、たまらなく嬉しかった。
誰かの役に立てることが、誇らしかった。
人々を救える自分の力が嬉しくてたまらなかった。
だから頑張った。限界を超えて頑張ってしまった。
その結果が、これだ。
「自由な生活!? なにそれ美味しいんですかぁぁぁ!?」
エステルは天を仰ぎ、叫び散らす。
「私が欲しかったのはスローライフなの! 温泉に入って、美味しいフレンチトースト食べて、昼過ぎまで二度寝する生活なんですけどぉぉぉ!!」
当然、異世界の空は黙って雲を流すだけで、何も答えてはくれない。
「しかも……!」
エステルは怒りで足の踏み込みをさらに強め、音速の壁を破る。
「上層部のトップどもが、揃いも揃って救いようのないクソったればかりってどういうことなんですかぁ!?」
――それが、今の彼女の溜まりに溜まった最大のブチ切れポイントだった。
幸い。
現在地は魔族領のど真ん中。
周囲に人類の兵士は一人もいない。
監視の目も、教会のスカしたバカどももいない。
つまり――「清廉潔白で慈愛に満ちた聖女」の外面を取り繕う必要など、どこにもなかった。
エステルの仮面は、完全に粉々に砕け散っていた。
「そもそもですよ!?」
誰に聞かせるでもなく、エステルは猛烈な勢いで毒を吐き続ける。
「この緊急事態に、人類側にまともに会話が通じる指導者が『三人』しかいないってどういう政治体系なんですかぁ!?」
人類の上層部。
その実態は、吐き気がするほど腐敗していた。
権力闘争。
公金の横領。
不毛な派閥争い。
現場への責任の擦り付け合い。
前線に一度も足を運んだことがないくせに、安全な玉座から口だけは一丁前に挟んでくる老害ども。
そして、自分たちの判断ミスで兵士が数百人死んでも、絶対に責任を取らない面の皮の厚さ。
「よく今まで国が滅びてないですね!? 奇跡ですか!? 奇跡なんですね!?」
エステルは本気で呆れていた。
相手は、組織力も個の武力も圧倒的な魔族軍。
その頂点には、冷酷非情だが圧倒的なカリスマと知性を誇る魔王まで君臨しているというのに。
身内である人類側が、内側から自滅寸前まで腐り切っているのだ。
「なのに……!」
エステルは一瞬だけ走りながら首を傾げ、後ろを振り返る。
遥か遠くかすむ、人類の防衛線。
「現場の兵士たち、めちゃくちゃ真面目で良い奴らばかりなんですよねぇ……」
命を懸けて前線を維持する兵士たち。
民を守るために泥を啜りながら戦う騎士たち。
彼らの忠誠心と現場の踏ん張りだけで、戦線だけはかろうじて保っている。
なのに。
「なんであんなクソ上層相手に、誰一人として反乱を起こさないんですか……?」
心の底からの純粋な疑問だった。
「お前ら、聖人君子か菩薩の生まれ変わりですか?」
エステルは呆れ果てたように吐き捨てる。
「本当に頭が下がりますよ。私だったら、とっくに国王の面前に殴り込んで玉座ひっくり返して、机の角にアタマ叩きつけてますからね?」
むしろ。
元一般人の自分としては、よく今まで暴動を起こさずに耐えてきたものだと自分を褒めたいくらいだ。
「……いや」
エステルは少しだけ走る速度を緩め、考える。
「もしかして……私がちょっと短気で血気盛んなだけ?」
自問。
「…………」
コンマ五秒、考える。
「……ううん、違いますね!」
即座に思考を打ち切った。
「どう考えても上が100%悪い」
揺るぎない断言。
そして――。
「ファ○ク!」
鬱蒼とした森に、聖女の美声が響き渡る。
「フ○ック!!」
もういっちょ。
「ファ――――ッッ○ック!!!!! 無能どもがぁぁぁあ!!」
やまびこのように反響する、最低最悪の暴言。
聖女が口にしていい言葉では、絶対にない。
それも、人類が誇る最高戦力・最終兵器と称される少女が。
魔族領のど真ん中で。
驚異的な速度で爆走しながら。
自国のトップに対する殺意に満ちた愚痴を大声で叫んでいるのだ。
――これが【剣の聖女】の真実である。
これが、人類の希望の正体であった。
「……おいお前ら、これがお前たちの崇める人類最高戦力の生の姿だぞ」
誰に言うでもなく、エステルは投げやりにつぶやいた。
「恥ずかしくないのか。……いや」
ふと、自説を補正する。
「トップが排水溝のへどろみたいな連中だから、下がこうなるのも仕方ないか」
自分で言って、完璧に納得した。
「うん。全部あいつらが悪い。私は悪くない」
そうして。
すっかり心の鬱屈を叫び散らしてスッキリした彼女は、再び正面を見据えた。
遠く。
遥か彼方。
魔族領の最深部。
立ち込める暗雲を貫くほどに巨大な、禍々しい漆黒の居城が見えていた。
魔王城。
数千年の歴史の中で、ただの一人も人類が足を踏み入れることすら叶わなかった、魔族の絶対不可侵領域。
エステルは、その威容をまじまじと見つめる。
「……さてと」
ここまで来たら、もう手ぶらで帰るつもりは毛頭ない。
魔王とサシで話をつける。
そして、このくだらない戦争を今すぐ終わらせる。
何としても――。
「これ以上、私にサービス残業をさせないためにも!!」
エステルは腰の聖剣の柄に手をかけ、ぎち…と握りしめた。
そして。
「魔王さんには、同業者として、ちょっと私に協力してもらいましょうか」
極上の、そしてとびきり凶悪な笑顔を浮かべた。
――人類最強の聖女が魔王城を目指す理由としては。
あまりにも不純で、あまりにも切実すぎる動機であった。
なお、魔王城到着まであと三十分ほど。
エステルの相手、頑張れよ…魔王様。




