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プロローグ



「もうやだ! 疲れたから、ちょっと話をつけてくる!」


魔族と人類が激突する、長きにわたる泥沼の戦争。

その最前線――。

常に魔族軍からの苛烈な攻撃に晒されている人類側の最終防衛砦、その一室で。

ついに一人の少女が、魂の底からの悲痛な叫び声を上げた。


少女の名は、エステル・オリオン。

人類が誇る最高戦力の一角。

あまりの強さから「魔族と戦うために神から遣わされた」とすら噂される、類稀なる剣技の持ち主。

人々から【剣の聖女】と称えられ、畏怖される少女である。


雪の精霊を思わせる、透き通るような白磁の肌。

光を孕んだ淡い金糸の髪。

そして、引き込まれるほどに美しく澄んだ蒼の瞳。

その容姿だけを見れば、泥と血に塗れた戦場などとはおよそ無縁の、儚げで可憐な美少女にしか見えない。


だが――。

現在の彼女の瞳には、その可憐さを完全に吹き飛ばすほどの、凄まじく禍々しいまでの光が宿っていた。


「話をつけるって……いったい何をする気なんですか!?」


エステルのすぐ隣で、負傷兵の傷口に必死で治癒魔術をかけていたシスターが、顔を跳ね上げて声を荒らげる。

だが、即座に自らの発言を撤回するように叫び直した。


「いえ、やっぱり言わなくていいです! 聞きたくないです!」


嫌な予感がした。

それも、これまでの人生で味わったことがないほど、とびきり破滅的な嫌な予感が。


「どうせまた碌でもないことを考えているんでしょう!? だったらその考え、今すぐ頭の片隅から叩き潰して捨ててください!」

「嫌だ」

「即答!?」


あまりにも迷いのない、コンマゼロ秒の返答だった。

エステルは胸の前でぎゅっと腕を組み、ぷくりと頬を膨らませる。


「だって私、気づいちゃったんだもん!」

「何にですか!?」

「この戦争が、いつまで経っても終わらない本当の理由に!」


その一言が出た瞬間、ガタリ、と室内の空気がわずかに緊張を帯びた。

痛みに耐えながら治療を受けていた兵士たち。

血まみれの搬送担架を運び込んでいた衛生兵。

額に汗を浮かべながら治癒魔術を行使していた魔術師たち。

その場の誰もが、呼吸を止めてエステルへと視線を向ける。


エステルはそんな周囲の視線など露知らず、両手で固く拳を握りしめた。


「この戦争……いくらなんでも長引きすぎなんだよ!」


その声には、これまで数年間積み重なってきた限界ギリギリの疲労と、抑えきれない苛立ちが色濃く滲んでいた。


「何年戦ってると思ってんの!? 前線じゃ毎日のように仲間が死んで、怪我人が山ほど運ばれてきて、兵士たちはみんな目の下にクマ作って疲れ果ててる! ……っていうか、これ絶対に魔族側だって同じでしょう!?」

「……まあ、それは……確かにお互い様でしょうけど……」

「なのに!」


エステルはびしっと、湿気でカビの生えた砦の天井を力強く指差す。


「安全な後方にふんぞり返ってる、一度も前線に来たことのない一部の汚物どものプライドのせいで! 戦争がいつまで経っても終わらないの!」

「聖女様!?」

「エステル様、言葉! 言い方! もう少しオブラートに包んでください!!」


慌てて手振りを交えて止めようとするシスター。

しかし、一度爆発した聖女の勢いは誰にも止められない。


「こっちは何人死んだと思ってんの!? 何人腕や足を飛ばされたと思ってんの!? それなのに『人類の威信がどうの』『魔族に屈するわけにはいかない』『大義のために死ね』って! バッカじゃないの!?」


エステルは頭を抱え、盛大に、そして重々しいため息をついた。


「知らないよ、そんな大人の事情」


そして――。

すべてを諦めたかのように、天使のような愛らしさで、にっこりと笑った。


「だから、もう現場の独断で戦争を止めてやる!」


「…………」

「…………」

「…………」


静寂。

静もり返る救護室。

だが――次の瞬間だった。


コクコクコクコクコクコク……!!


砦の中にいた者たちの9割以上が、恐ろしい勢いで首を縦に振り始めた。

治癒魔術師も。

全身血まみれの兵士も。

激痛でベッドに寝かされていた重傷者までもが、目を輝かせて無言で深々と頷いている。


「お前ら……!」


シスターが、信じられないものを見る目で周囲を見回す。

だが、誰一人として彼女と目を合わせようとはしなかった。全員の目が「いけ、聖女様。俺たちの代わりにぶちのめしてこい」と物語っている。


「……はぁ。まあ、言いたい気持ちは痛いほど分かりますけどね!?」


周囲の裏切りに頭を抱えるシスターを余所に、エステルはすっと立ち上がった。


「そういうわけだから――」


腰に佩いた愛剣――神銀の輝きを放つ【聖剣】の鞘をトントンと軽く叩き、抜刀に支障がないか確認する。準備は完璧だ。


「魔王城、行ってくる!」


「ちょっ――」


シスターの顔が見る見るうちに引きつっていく。


「えっ!?」

「魔王城に行ってくるね!」

「いや聞こえましたよ! 滑舌よくはっきり聞こえましたけど、そうじゃなくて!」


シスターは膝をガクガクさせながら慌てて立ち上がる。


「何を言ってるんですか、エステル様!?」

「だから、戦争を止めに行くの」

「どうやって!?」

「魔王と膝突き合わせて話をするの」

「だからどうやって魔王城に行くんですか!?」

「足で。歩いて。時々走って」

「そういう物理的な移動手段を聞いてるんじゃありません!!」


シスターの血吐くような絶叫が、頑丈な石造りの砦中にバリバリと響き渡った。


「魔王城の周りには強力な結界と魔物の群れがあって、いまだかつて誰一人としてたどり着けた者はいないんですよ!? 人類の悲願なんですよ!?」

「知ってる」

「だったら無理でしょう! 作戦も補給もなしに行けるわけないでしょう!」

「でも私なら行ける」

「なんでそんな根拠のない自信満々なんですか!?」

「だって私、剣の聖女だし」

「その肩書きで世界の理が全部解決すると思わないでください!!」

「じゃあ――」


エステルはうーんと顎に手を当て、少し考える素振りを見せた。


「人類最強の一角だから?」

「余計に駄目です!! 脳筋の発想です!!」

「むぅ……」


エステルは不満そうに、これ見よがしに頬を膨らませた。


「とにかく、私は行くの。もう決めたの」

「駄目です!」

「行く!」

「駄目です!」

「行くったら行く!」

「駄目ですってば! 長官に首を跳ねられます!」


しばしの不毛な押し問答。

そして――。


「……ふんだ」


エステルが、ぷいっとそっぽを向いた。


「嫌だね!」

「子供ですか!?」

「嫌だね! 私はもう嫌なんだよ! 毎日毎日、早朝から魔族を斬って、昼に怪我人を運んで、夜にまた魔族を斬って……私だってたまには美味しいパン食べて泥のように眠りたいんだよ!!」


怒涛の不満をぶちまけると、彼女はくるりと鮮やかに背を向けた。


「もう、いい加減に全部終わらせる!」

「あっ――」


シスターが危険を察知して手を伸ばした時には――すでに遅かった。

エステルの両脚に、目視不可能なほどの高濃度魔力が集約される。


「じゃ、行ってくるね!」

「ちょっ、エステル様――!?」


次の瞬間。


ドォンッ!!!!!


まるで砦の床と空気そのものを爆破して蹴り飛ばしたかのような暴風が吹き荒れ、エステルの身体が窓枠を粉砕しながら砦の外へと飛び出していった。

ビューン、という音すら置き去りにする異次元の初速。


「エステル様ァァァ――!?」


シスターが髪を振り乱しながら、吹き飛んだ窓枠から身を乗り出す。

だが、そこにすでに少女の姿はない。


はるか遠く、魔王城へと続く荒涼とした地平線。

音速を超えて空間を歪めながら突き進む、豆粒よりも小さくなった一筋の青い光が見えるだけだった。


その速度は、まさしく雷光。

人類最強の一角。

【剣の聖女】。

その名に恥じない、あらゆる戦術兵器を置き去りにする規格外の身体能力であった。


「誰か! 誰でもいいからエステル様を――!」


シスターは泡を吹きそうになりながら、泣きそうになって振り返る。


「剣の聖女様を捕まえて戻してください!!」


砦に残された全員へ向かって、悲痛な叫びをあげる。


「ご乱心なさってるんです! 完全にストレスで頭のネジが飛んでるんです!!」


しかし、誰も動かない。誰も追おうとしない。

シスターは必死に手を振って訴え続ける。


「ふ、普段はあんな変な行動力のある娘じゃないんです!!」


それはいったい、誰に対する庇い立てだったのか。

そもそも――。


「……いや、普段からちょっと頭のタガ外れてません?」


ぽつり。

物陰で包帯を巻いていたベテラン兵士が呟いた。


「聞こえてますよ!!」


シスターの怒声が飛ぶ。

だが、そんなコントのようなやり取りをしている間にも。

聖女の放つ青い閃光は、猛烈な勢いで魔王領の深部へと遠ざかっていく。


「待ちなさぁぁぁい!! エステル様ぁぁぁぁ!!」


シスターの魂の叫びが、戦場に虚しく響き渡る。


こうして――。

人類と魔族の悠久にわたる戦争史上、もっとも前代未聞で、もっとも愚かで、そして後世に語り継がれる伝説の出来事が幕を開けた。


人類最強の一角。

【剣の聖女】エステル・オリオン。


彼女はたった一人で、単身魔王城へと殴り込みをかけた。

目的は――世界平和でも、魔王討伐でもない。


「もう戦争、やめようよ! 私を休ませろ!」


――ただ、それだけだった。





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