第2話:錆びた秤と、不器用な職人
「……その箱、俺なら10金ソルドの価値をつけるがな」
埃っぽい店内の空気を、冷たく透き通るような声が切り裂いた。
カウンターの奥で、せせら笑っていた小太りの店主が喉を鳴らして動きを止める。
「……ハッ! どこの馬の骨かと思えば、ただのガキじゃねえか。それも今にも野垂れ死にそうなドブネズミが。10金だと? 貴族の年収でも言ってるつもりか」
店主は鼻で笑うが、その目は泳いでいる。
俺は一歩、また一歩とカウンターへ近づく。震える足の筋肉を、前世で培った「不敵な笑み」の仮面で隠しながら。
「あんた、商売を語る割には『目の前の小銭』しか見えていないようだな。この爺さんの持ってきた箱。装飾がないから価値がないと言ったな? それは単なる情報の履き違いだ」
俺は店主の反応を無視し、爺さんが持ってきた黒い箱を指差した。
「例えば、帝都の西にある高級住宅街。あそこに住む老貴族たちは、毎年冬になると重い喘息に悩まされている。……だが、この箱は違う。煤一つ出さず、完璧な熱だけを届ける。これを喘息に怯える老貴族に、こう言って売るんだ。『これさえあれば、春まで一度も咳き込むことなく眠ることができます』と。……さて、命惜しさの貴族が、その安眠に10金ソルドを惜しむと思うか?」
店主の喉が、ゴクリと鳴った。
彼の脳内で、俺が打ち込んだ数字が「現実的な利益」として回り始める。アンカリング――最初に提示した数字が、相手の判断基準を支配する心理テクニックだ。
「……そ、そうだとしても、それを売るためのツテがなきゃ鉄屑だ」
「だからこそ、あんたのような強欲な商人が、数銀で爺さんから買い取り、10金で貴族に売りつけるんじゃないのか? それを追い返すのは、自ら莫大な利益をドブに捨てる『無能』がすることだ」
「な……っ!」
店主は顔を真っ赤にして絶句した。
俺の言葉は、店主のプライドを完璧にへし折り、同時に彼の強欲を最大限に煽り立てた。
「……チッ、減らず口を叩きやがって」
店主は忌々しそうに吐き捨てると、カウンターの下から重々しい革袋を取り出した。そこから、鈍い光を放つ銀貨を五枚、カウンターに叩きつける。
「5銀ソルドだ! 爺さん、これで手を打て。これ以上は1鉄も出さねえ!」
5銀ソルド。日本円にして約5,000円。
スラムの住人にとっては大金だが、俺が提示した価値の「200分の1」に過ぎない。
「断る」
俺はヴァーン爺さんの横から、その銀貨を無造作に払いのけた。
「何しやがる!」
「爺さん、この箱を持って行こう。あんたの技術を理解できない『秤の番人』に、この作品を預ける必要はない」
唖然とする店主を背後に残し、俺は爺さんの背中を押して店を出た。
外は相変わらずの土砂降りだが、俺の胸の内には、不思議と冷たさはなかった。
店を出て数歩。俺は爺さんに向き直った。
「……さて。爺さん、悪いが今夜のメシは後回しだ。まずは、この最高の商品を、最高の値段で買ってくれる客を探しに行こう」
本作の貨幣価値について
本作では、マーケターである主人公の視点を通じて経済が語られるため、直感的に計算しやすい「100進法」の通貨システムを採用しています。
単位は共通して「ソルド(Soldo)」と呼び、硬貨の素材によって価値が変わります。
【貨幣価値の目安】
金ソルド:10,000ソルド(約100,000円)
銀ソルド:100ソルド(約1,000円)
銅ソルド:1ソルド(約10円)
鉄ソルド:0.1ソルド(約1円)
【換算ルール】
100 鉄 = 1 銅
100 銅 = 1 銀
100 銀 = 1 金
【読み方のコツ】
「1銀=千円」「1金=10万円」と脳内で変換していただくと、作中の金銭感覚がスムーズに伝わるかと思います。
また、作中では「5銀」「10金」といった略称で呼ばれることが多いです。
泥水の路地裏から始まった物語ですが、この単位が万単位の「金ソルド」へと膨れ上がっていくカタルシスを、今後もお楽しみいただければ幸いです!




