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スバリー森林の少年①

 ここを抜ければ、ミレーネ神聖帝国の関所にぶち当たる。


 日暮れ前、ベンダーは急ぎ足で薄暗い森を進んだ。

 スバリー森林はどの国の領土でもない。空白の地と呼ばれるこのような場所は緩衝地と言って、国境近くなら必ず存在する。中でもこのスバリー森林は、どこよりも大きく危険なことで知られていた。


 瑠璃色の髪に黄色の瞳を持つ彼は、雷の加護を受けている。

 ただ、その瞳の色合いは微妙で、見る角度によっては光の加護を持つ証である金にも見える。間違われることが多いせいで、ベンダーは普段から色眼鏡が手放せない。結果、ただでさえ薄暗い森がもっと暗く、視界が悪くなる。

 魔物が出る森だ。できれば完全に日が落ちる前に関所にたどり着きたい。いっそ、森を抜けるまで外してしまおうか?そう思いながらベンダーは眼鏡のブリッジを押し上げた。


 もうじき関所が見える頃、がさりと近くの茂みが揺れた。


 息をのんだベンダーは、できるだけ音を立てないように気をつけながら腰につけた金属鞭に手をかける。口の中で小さく呪文を唱え、あと一言で召喚が完了するようにしておく。皮膚が粟立つような感覚がして、周囲の空気が変わる。ベンダーの召喚に応えるために雷の精霊たちが集まってきたのだ。


(さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……)


 茂みを割って、生唾を飲み込んだベンダーの目に飛び込んできたのは、危険な獣でも、魔物でもなく、ひとりの少年だった。十二、三歳の年ごろの少年は、射干玉の黒髪を首の後ろでちょこんと結んでいた。桜色の瞳が、ベンダーを捉えてギラリと光る。


「は?ガキがなんだってこんなところに……」

「ガキ?ガキですって?なんてはしたない言葉遣いかしら。さすが下々の者にまみれているだけありますわね」


 黒髪の少年は、茂みの向こうで盛大に顔をしかめた。まるで貴族のご令嬢のような言葉に、今度はベンダーの方が顔をしかめる。


「あ?なんだテメェ、お貴族様みたいな口ききやがって。おら、そっから出て来いよ。どこの村のもんか知らんが送ってってやる」


 喧嘩腰のくせに妙に面倒見のいいことを言うベンダーに、少年は目を瞠った。すぐに薄い唇が嘲笑の形になる。


「ご親切にどうも。でもわたくし、動けないの。送ってくださらなくて構わないからこの罠を外してくださる?それと、わたくし、貴族みたいではなく皇族でしたのよ」

「皇族?なんの冗談だ。お前さんの年ごろのガキなんざ皇族にはいねえんだよ」


 少年の言葉を鼻で笑って、ベンダーは茂みに分け入った。

 ほっそりとした少年の足首は、がっちり食い込んだトラバサミに捕らわれている。目的はウサギかアナグマか。それほど大型の獣用でない罠は、バネを壊すと簡単に外れた。


 すでに日はかなり沈んでいて、黒から赤、オレンジへとグラデーションを描く空と影と化した遠くの山。慰め程度に色眼鏡を外して目を凝らすが、傷口はよく見えなかった。言うことが多少おかしいとしても、怪我人だ。ベンダーは手探りで罠に挟まれていた辺りを探ろうとした。


「おら、外れたぞ。ケガ見せてみ――あれ?」

「手当は結構。わたくし、今は人形ですから」


 触れた手に、よく磨かれた木工細工のような感触と、ひやりと人肌にあるまじき温度が伝わってくる。おまけに、いくら探しても血が流れた痕どころかケガの痕跡すらない。得体のしれないものに触れてしまった恐怖に情けなくも腰を抜かしたベンダーに、すっくと立ちあがった少年は手を差し出した。


「情けなくてよ、ベンダー・グラッド。それでもマーシェンと肩を並べる辺境伯の息子なの?」

「な、ど、おま……っ!?」


 少年の言葉に、ベンダーは無意識に伸ばし、掴みかけていた手を振り払った。少年は振り払われた手を見て、自信満々に笑む。


「覚えているわ、ベンダー。あの日、わたくしの護衛を外した元主席騎士殿。只人に割く人員はないと言ったそうじゃない。お前の傲慢がわたくしの死の一因だったのですから、恨みつらみのひとつくらい黙って聞くべきではなくて?」


 胸を張った少年は、次の瞬間、すっと右足を後ろに引いた。右手を差し出し、左膝を軽く曲げ、後ろへ。ふらつくこともなく流れるように美しい動作でカテーシーを決める。


「『ご挨拶が遅くなりました。リーレン公が息女、セリア・リーレンと申します。グラッド卿におかれましてはご健勝のこととお慶び申しあ――』」

「やめろっ!」


 思わず、ベンダーは少年の口を塞ごうと手を伸ばした。一歩下がって彼を避け、少年はフンと鼻を鳴らした。


 それは、ベンダーが彼女と初めて対した時と同じ言葉。十五年前、居住区の外れとはいえ、警備の厳しかったはずの城で殺された女の言葉だった。

 引き合わされた時その場にいたのは、当人であるベンダーとセリア・リーレン、それからシュタントの三人だけ。それを知っているこの少年は、一体何者だというのか。


 亡霊でも見るかのようなベンダーの手を踏みつけて、セリア・リーレンを騙る少年は一瞬だけ苦いものを飲み込むような顔をした。痛みに呻くベンダーに体重をかけるのをやめて、少年はまるで恋人にするかのように熱をはらんだ目を彼に向けた。ひやりと、冷感を持って頬に触れた指先が、ベンダーから熱を奪って徐々に人肌のぬくもりを帯びる。


「あら、踏んでほしいのではなかったの?そんな所に寝そべっているから勘違いしてしまったわ。ごめん遊ばせ。でも、王宮でならゴミと一緒に掃きだしてしまうところよ?ここが森であったことを感謝なさい」


 高慢な物言いといい、見せるしぐさや表情といい、ベンダーの記憶にあるセリアとぴったり重なる。おののくベンダーを今度こそ立ち上がらせ、少年セリアはにっこりした。


お読みいただきありがとうございます。

誤字脱字などありましたら教えていただけると喜びます。

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