凶行の夜に⑧
その瞬間、ベンダーは自身の中になにかが入り込んだように感じた。
一瞬目を瞑って、セリアはシュタントに向かって美しいカテーシーをして見せる。月光に照らされたその姿は、神々しいまでに美しかった。
複数の重い足音が、慌ただしく近づいてくる。同時に、ベンダーは自分の意思とは関係なくジャクソンの剣を拾い、セリアと対峙した。セリアも、血と脂にまみれて切れ味の悪くなった長剣を形ばかり構えた。
「貴様らの勝手で、何度も殺されてなどやるものかッ!」
セリアの叫びは、廊下まで響いたのであろう。確かに近づいてきていた足音たちが、部屋の入り口でたたらを踏んで立ち止まった。
セリアのふるった剣を剣で受け止め、ベンダーは一歩後ずさる。力任せに弾いて、今度はベンダーがセリアに切りかかる。攻防を何度か繰り返して、最後に競り勝ったのはベンダーだった。
だが、ベンダーは一連のやり取りすべてを、まるで他人事のように遠くに感じていた。セリアに力を貸していた精霊の操り人形となっていたのだろうと、後に城仕えの精霊使いは言った。
壁際に追い詰められたセリアは、視線だけで室内の様子を確認する。シュタントはすでに応援の騎士たちに保護された。ジャクソンもだ。アルフォンスは念のため拘束され、連れていかれてしまった。
セリアは騎士たちがふたりを遠巻きにしていることを確認して、他の誰にも聞こえないように、ベンダーの耳にそっと囁いた。
「この首、うまく使ってくださいませね」
そして、少年は壊れたように笑った。
「愚かだな、ベンダー・グラッド。僕が、悪女セリアの生まれ変わりとも知らないで、ここまで連れてきたんだから!でも、セリアを殺したマリエンは死んだ!僕が殺した!聖女を失ったこの国がこれからどうなるか、実に楽しみだな!」
「黙れ!俺が愚か者だと言うのなら、責任を持ってお前を処刑してやるさ!悪女の再来め、その首を帝国の安寧のために差し出すがいい!」
まるで、三文芝居だ。なんてくだらない人形劇。
ベンダーの意思とは関係なく口は言葉を発し、腕は、足はセリアを追い詰める。
ベンダーの剣を受けた次の瞬間、セリアは笑いながら彼の腹を蹴りつけた。不意打ちに、ベンダーの体がバランスを崩してしりもちをつく。
遠巻きにしていた騎士たちが息を飲むのが背中越しでも伝わった。剣を握り直す音が、いくつも聞こえた。誰かが唾を飲み込む音すら、妙に大きく響いた。
セリアはベンダーが取り落とした剣を拾い、二ッと笑う。今まで見た中で、一番満足げな笑みだった。
「言っただろう、殺されてなどやるものか!」
「ぁっ……!」
一瞬だった。待てと叫ぶ間も、手を伸ばして止める間もなかった。
左の首に押し当てた剣は勢いよく引かれ、磨き抜かれた刃が赤く染まる。熱いほど温かい雨がベンダーの顔にも体にも降りそそぎ、どろりとした感触が顎を伝って滴り落ちた。ビクビクと体の痙攣に合わせて、血が飛び散る範囲が変わる。
ベンダーの耳元で、彼の体を操っていた闇の精霊が「ごめんね」と囁いて去った。
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