凶行の夜に⑥
夜の帳もすっかり下りたころ、あれこれと押し付けられた残業をどうにか片付けてジャクソンは帰宅した。
妊婦の妻がいるのだから、少しは仕事を減らしてくれてもいいだろうに、ジャクソンの机には毎日彼がやらなくてもいい書類が山を作っている。ベンダーの更迭後何年経っても、彼と仲の良かったジャクソンへの嫌がらせは止まない。
最近は落ち着いていたのだが、ここ数日ベンダーを泊めていることがバレてまた余計な仕事が増えてしまったのだ。
ジャクソンが自宅に戻ると、ベンダーとアマリリアは居間で眠っていた。
(朝から祭りに行くって言ってたし、疲れたんだろうな。……セラは部屋か?)
少し不思議に思ったものの、ジャクソンはいつも通りただいまのキスを眠る妻の頬に送る。
「ただいま」
目を覚ます気配すらない妻に、ジャクソンは違和感を抱く。歴戦の戦士であるアマリリアが、たとえ相手がジャクソンだとしても触れられて起きないなんてありえない。それに、自国の伝統を大切にする彼女が、帰宅した後長く服を着ていることもおかしい。
「アマリリア?おい、ベンダー起きろ!」
呼吸はしている。肌も温かい。ただ眠っているだけのように見えるのに、その眠りが異様に深い。揺さぶっても頬を叩いても起きない彼女をいったん横たえて、ジャクソンはベンダーを強くゆする。
起きない。
舌打ちして、大きな体を台所へ引きずっていく。水瓶に顔を突っ込んでしばらくすると、じたばたと暴れながらベンダーは意識を取り戻した。
「おま……っ、意識が戻る前にあの世行きになるだろうが!」
首根っこを押さえつけるジャクソンを払いのけ、ベンダーは怒鳴りつけた。のど元を手でさすり、肩で息をしている。普段と変わった様子は見られない。
「お前たちになにが起きたんだ?どうしてアマリリアは起きない?それにセラは……」
「ああ、うっせぇ!いっぺんに色々言うんじゃねえよ。こちとらたたき起こされたばっかりだぞ」
「あ、悪い……」
手酷く扱った自覚があるだけに、ジャクソンは素直に謝った。酸欠で痛む頭を撫でさすり、「なにが起きたかなんてこっちが聞きたいくらいだ」とベンダーは悪態をつく。
「俺らが寝てたのはセラの魔法だ。赤ん坊に影響はないようにしたって言ってたから、アマリリアさんは寝かしといて大丈夫だと思う。セラは……たぶん、城に行った」
「城?」
「ああ。狙いはおそらく正妃だ。セラはそのために帝都に来た」
「何故?」
「…………」
疑問符を浮かべるジャクソンに、ベンダーは返す言葉を持っていなかった。
「とにかく、俺はセラを止めに行く」
「馬鹿、ひとりでどうやって城に入るつもりだ。一緒に行くから、アマリリアを寝室に寝かせる間だけ待て」
なにか決意している様子のベンダーを、ジャクソンは引き留めた。おそらく、ここでジャクソンがいくら問い詰めても、ベンダーはなにも話さないだろう。そうしている間に、状況は刻一刻と悪くなるに違いない。ならば、まずはセリアを止めて、アマリリアにかけた魔法を解いてもらった後でゆっくりふたりを問い詰める方が効率的だ。
ジャクソンはアマリリアを抱き上げ、寝室へ運んだ。そっとベッドに下ろして上掛けを腹に乗せる。開かない瞼に唇を落として、ジャクソンはベンダーとともに城へと向かった。
ジャクソンの自宅から城までは、徒歩で二十分ほどの距離にある。いくつか、ジャクソンしか知らない抜け道を使って、ふたりが城に着いたのは自宅を出て十二分ほど後だった。裏門の門番はジャクソンの見知った人物で、危険人物ではないと伝えるとあっさりベンダーの入城を許してくれた。
「門番としてどうなんだ」
一体いつの間に城仕えの質はここまで落ちたのかとぼやくベンダーは、すっかり主席騎士だったころの顔を取り戻している。
「まあまあ。下手に厳しいやつだったらお前止められてるんだから」
「そりゃあそうなんだがよぉ」
どうにも、ベンダーにはかつての城との違いが目に付くようだ。ずっと変化を見てきた、逆らうことなく流されてきたジャクソンには分からないことが、ベンダーには見えているのだろう。
「明日にでも上司に進言するさ」
それで矛を収めろとなだめると、ベンダーは盛大に顔をしかめ、幼い子供のように唇を突き出した。
なんだか城内が騒然としている。嫌な予感にふたりは足を速めた。
どうやら、城内が騒がしいのは、パーティーの準備で遅くまで多くの使用人が働きまわっているせいらしい。広間や執務室のある区画を離れてしまえば、喧騒は遠のいた。
「ロメオ!?」
静けさに安堵しながら皇帝一家の居住区に近い場所までやってくると、城の中からひとりの男がこけつまろびつ走ってきた。彼が向かう方には、騎士団の詰所がある。多くはないが人が待機しているはずだ。ジャクソンの声に、水色の髪をした騎士は泣きそうな顔で足を止めた。彼は今夜、同僚のハルピンと不寝番をしていたはずなのに。
「ジャクソンさん!」
「賊か?」
「は、はい!ふたり組で、ひとりは子供でした。皇帝陛下が人質になっています。ハルピンが、妃殿下の部屋を守っているはずです」
「わかった、向かおう。お前は詰所へ伝令を」
「はい!」
主席騎士のジャクソンが現れたことに、ロメオは安堵した様子だった。
ジャクソンはシュタントがすでに人質になっているという事実に頭を抱えたが、幸いマリエンまで賊の手は届いていないらしい。だが、目に涙を溜めながら詰所に走り込んだロメオを見て、本格的に彼らを鍛え直さなければと真剣に思う。
ロメオとハルピンは中堅で、剣の腕もたつ。だが、ああも有事に弱いと今後困ったことになるのは目に見えている。
「行くぞ!」
「ああ……」
どうしてこうも頭の痛いことが続くのだろう。自分は神の教えに背いたことなどないのに。神教の敬虔な信者であるジャクソンだが、生まれて初めて心の底から神を恨んだ。
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