3話 恐怖の灼熱サウナ
体感にして30分ほど歩くと、街外れに出る。丸太造りの大きな建物が見えてきた。
「ここがこの街の公共サウナだよ」
「へー。お金はかかるの?」
「年に一回徴収されるけど、毎回はかからないよ」
重くて大きい扉を開くと、暖かい空気がぶわっと空中に散らばるのを感じる。慌ててドアの隙間から、中に滑り込む。中にはしわしわのおばあさんと、痩せた20代後半くらいの女性がいた。
「あれまあ」
しわしわのおばあさんは、よれよれと立ち上がりこちらに歩いてきた。見ていて不安になる。この人どうやって歩いてきたんだろう。
「タチアナ婆さんじゃないか。相変わらずいつ見ても死にそうだね」
カーチャがげはげはと笑う。
「ちょ、ちょっと、カーチャ」
流石にブラックジョークが過ぎるのではないか。
「こおりむすめかえ。元気だね」
「あ、はい」
思いのほか喋りはしっかりしていたので少し驚いてしまう。
「まあ、うちの婆さんは10年以上前から死にそうな見た目だからね」
痩せぎすの女性がつつつと近寄ってくる。
「オリガ、これ、この通りモニカが起きたんだから、服を返してやっとくれ」
「もうちょっと貸してくれない?うちの商品をなんでも持っていっていいからさ。あの肌色の布と下履き、すっごい興味深いんだよ。ガラスの飾りもさ。あんなのを着ている妖精なんてどんな本にも載ってない。まあ、仕立て自体はちょっと素人っぽいけど……あと、胸当ては一番すごい。これは手縫いじゃないと思うけど」
あ、この人が仕立て屋のオリガなのか。私の衣装、すっごくお気に召したようだ。うちのお母さんの手作りなんだけどね。
「バラバラにしないならいいですよ。でも、午後に子供たちとスケートして遊ぶので、その時は返してほしいんですけど」
「そうなの?あの服を着て踊るところ、あたしも見たいわ。ついていっていい?ちょうど、仕事もないしさ」
オリガはぐいぐい私に近寄ってくる。
「い、いいですけど。お風呂に入ったあとで」
「わかった。じゃあ、一緒に帰ろう」
ぎゅっと手を握られたので、握り返すと痩せた狐みたいな顔がちょっとだけにこやかになった。
「オリガは服の事になると、周りが見えなくなるから。あんまり愛想良くすると、質問攻めにされるよ」
そこまでフレンドリーに接したつもりはなかったんだけど、日本人特有の愛想笑いがそう見せるのかな。
「まあ、あの服じゃ生活できないし、代わりの服をくれるなら……」
私はもそもそと、着込んだ服を一枚ずつ脱いでいく。
「あんた、裁縫はできるのかい?編み物は?」
「まったく」
不器用ってほどでもないと思うけれど、真剣にやってみようと思ったことはない。
「なるほどね。じゃあ、オリガからかっぱらった服と合わせて、足りない分はあたしが仕立て直してあげよう」
「なにから何までお世話してもらって、ありがとう」
ここまで来ると、優しさが逆に怖い。この後何かの生贄に差し出されたりするんだろうか。
「なに、あたしも期待しているのさ。氷娘が運んでくる幸運、ってやつをね」
そう言って、全裸のカーチャはウィンクをした。真っ白でふよふよとした体に、薄ピンクの乳首が眩しい。
カーチャのタプタプとしたお尻を眺めながら、奥のドアへ向かう。木で作られた小さい部屋だ。ここは全然暑くない。壁際がベンチになっている。休憩スペース的な感じだろうか。
ベンチに置いてあるバケツには、束ねた木の枝が入っている。何に使うんだろ、これ。
「ほい。これを被りな」
フェルト状の頭巾を手渡される。これからサウナに入るのに、これ何に使うんだろう。そう思ったけど、郷に入っては郷に従え。他の3人にならって、頭巾を頭に乗せる。
ちらりとオリガを見ると、ニヤリと含みのある笑顔を向けられる。
「その様子だと、サウナに来るの初めてなんだ。うちの婆さんがくたばる前に、一緒に入れてよかったじゃん」
「……???」
わけがわからないまま、室温程度の水が入ったバケツを渡され、頭からかぶる。ちょっと冷たいけど、女は度胸だ。
小さい部屋の奥にはさらに小さいドアがあり、その中がサウナだった。腰をかがめて中に入る。薄暗く、天井が低い。かなり高温のサウナだけど、予想より湿度は低い。
「あっついね」
あっという間に熱が体中に回っていく。この帽子は、頭を熱から守るやつなんだ。タオルの代わりなのかこれ!
「何言ってるのさ。ここからだよ」
振り向くと、カーチャが水の張ったタライを持っている。何をするのかな?と思った瞬間、じゅわーっと言う轟音と共に、水蒸気が室内を覆った。
「あっつ!!!!!あっつい!!!!何これ!やばい!無理!」
私は全速力で段々になっているベンチの上まで這い上がった。暑い。暑すぎる。火傷はしないけど、半端ない熱風が襲ってくる。こんなの「氷娘」じゃなくても分で溶けるわ。
もくもくとした水蒸気の中から、「いっひっひっ」とおとぎ話の魔女みたいな笑い声がする。
「やっぱり、ロウリュは初めてかい。新鮮な反応だねぇ」
「ろ、ろうりゅ?」
ちょっと喋ったら、口の中が乾燥した。しばらく黙ってよ。
水蒸気が落ち着いた頃、カーチャの隣まで行こうと思ったけど、オリガにちょいちょいと指定された場所に行く。身ぶりで横になるように指示され、タオルの上にうつ伏せになる。
こんなんじゃ、すぐにのぼせちゃう。そう思った瞬間、何だかよくわからないものでばしっ!と背中を叩かれた。
「ぎゃーーーーーーっ!?何?なに?今の何?えっ!?」
私が叫んでいる間も、謎の物体でパシパシと叩かれる。痛くはない。ないけど。親にも滅多に叩かれたことなんてないのに。そう思って身を捩ると、タチアナ婆さんが真剣な顔で私をパシパシしていた。手に持っているのは、さっきの部屋にあった木を束ねたやつだ。
「???」
ぱしぱしぱしぱし。満遍なく体をはたかれる。木の良い香りがする。茫然としていると、肩を押され、最初の体制に戻る。なんだこれ。
ぺしぺしぺしと、音が狭い小屋の中で響く。再び物音がして、蒸気が部屋に充満する。
「あ、あ、あ、あついよ〜!!」
尋常ではない熱気だ。汗がだらだらと滝のように流れる。いや、蒸気かもしれないけど。ハーブのいい匂いがする。しかしそれにしても暑い。
「もう出たいよ〜!!」
全身を満遍なく叩かれながら騒いでいると、部屋のドアが開けられ、涼しい風が少し入ってくる。
「次は水風呂だよ!」
オリガに急かされ、部屋から転がるように出る。入ってきたところと違う扉を指し示され、そのドアを開けると、今度は屋外だった。
「外だよ!?」
わたし、すっぽんぽんもいいところなんですが。
「ちゃんと柵があるから大丈夫だよ」
後ろの3人に押され、嫌々ながら外の庭っぽいところに降り立つ。もちろん裸足だ。地面は雪に覆われているけれど、さっきまで暑すぎる所にいたので逆に気持ちいい。
「そこに水風呂があるでしょ?」
「え、あの池?」
外にあるせいか、風呂というより池にしか見えない。入るの?あそこに?会話しながらも、私はじりじりと池らしき場所に追い詰められていく。ちょっと薄く氷が張っているんですけど。
「そうだよ。あっついサウナからの水風呂。これを繰り返す」
そう言うなり、カーチャがざぶんと水風呂に飛び込み、タチアナもそれに続く。冷たいしぶきが全身にかかり、体が縮こまる。
「ほい、入って」
「ま、まままま待って、つめ、つめたい」
後ろからオリガに押され、ずり落ちるようにして池に落ちていく。
「ちべたいいいいいいいいいい」
スケート選手だからと言って、寒さに強いわけではない。
「ほっほ。元気な娘じゃね」
「だろ?人形みたいに眠ってたのが嘘みたいだよ」
この状況で、世間話するとは嘘でしょ。おそロシア。いやロシアじゃないんだろうけど。
「心臓が止まっちゃううううううううう」
「入っちゃえば意外と平気でしょ?」
オリガの一言でちょっと冷静になる。確かに、覚悟を決めて入ってしまえばそれほどでも……ある。
「冷たすぎて肌が痛いよー!!!」
10秒ぐらいが限界だ。私は飛び出し、雪の上を走ってサウナに戻った。後ろから「もう帰るのー?」という呑気な声が聞こえる。
「とんでもない目にあった……」
しかし、冷えた体を温めるには、もう一度灼熱のサウナに入るしかない。仕方なくもう一度中に入る。水蒸気が発生していないのでさっきよりはずっと過ごしやすい。
三人はわりとすぐに戻ってきた。
「最初の部屋に水があるから、それを飲んでもう一回戻っておいで」
たしかに水分補給は必要だ。サウナを出て、カップの水を飲み干す。中からはまたパシパシと音が聞こえてくる。あれ、なんだったんだろ。マッサージ?
おそるおそる皆の元へ戻ると、全員がマッタリしていた。
「水、美味しかった」
「あはは。そうだろう?」
カーチャの隣に座り、話を聞く。さっきの木の枝はマッサージとか、垢を落とす効果があるらしい。タチアナ婆さんはその名手だとの事。
サウナ、水風呂、サウナ、のルーティンを繰り返す。だんだん楽しくなってきて、私も木のハタキを使わせてもらった。最後に髪の毛を洗い、最初の着替えをした部屋に戻る。
「あ〜、すっきりした。サウナは最高だな〜」
「ちょっと前まで無理無理って騒いでたくせに……ところであんた、顔の割にずいぶん筋肉ついてるね」
ちょっと触らせろ、と絡むオリガの腕をすり抜け、冷えないように暖炉の前に陣取った。