2話 氷むすめと少年たち
次の日の朝も、同じ木目の天井が私を迎えてくれた。
「もしかしなくても夢じゃないのでは?」
そんな不安で胸がいっぱいになる。そんなファンタジーみたいなことが実際にあるだろうか。子供のころ、お化けがどうの、とかで眠れなかった事はある。でも、これは心霊体験とかそう言うのを超えていると思う。実はリンクで頭を打ってそのまま死んだとか、植物状態とかなんだろうか。
「これから、どうしたらいいんだろう」
のろのろと起き上がり、分厚いカーテンをずらし、外を眺める。石造りの、煙突の付いている家。真っ白く降り積もった雪。まだ朝日がさしているのに、雪かきをする音や子供の笑い声が聞こえる。窓にそっと触れると、冷たさが指に伝わる。ここはどこなんだろう。雰囲気だと、ロシアっぽい感じがする。タイムスリップかもと思ったけど、普通に喋れている事を考えると、やっぱり超常現象の類か何かではないかと思う。友達がどハマりして押し付けてきたライトノベルに、こんな展開があったっけ。突然死した主人公が、神様に特殊能力をもらって異世界で大活躍してイケメンにモテモテになるのだ。
「はあ……」
ため息が白く窓を曇らせる。私は昨日貸して貰ったガウンとスリッパを身につけて居間へ向かう。とは言っても、ドアを開けるとすぐ居間なんだけれど……
「おはよう。よく眠れたかい?」
「おはようございます。熟睡はできました」
私の返事を聞いたおばちゃんはにっかりと笑った。すっごい善良そうな人だ。
「そうかい。今日は、朝食を食べたら、約束通りサウナに行こうね。村の子供達が寄ってくるだろうけど、適当にあしらっていいからね」
かまどの上のヤカンからは、しゅんしゅんと湯気が上がっている。
「エカテリーナさん」
何か手伝うことはありますか。そう言おうとして彼女の目を見ると、何かを思い出したように、薄い青の目が大きく見開かれた。何を言われるのかと身構えていると、「そういえば、あんたの名前は何ていうんだい?」と今更な事を言われた。相手の名前がわかっているので失念していたが、私は一切名乗っていなかったのだ。
「萌仁香……モニカ、です」
「へえ。顔立ちが違うから、もっと変わった名前なのかと思っていたけど、案外こっちにもいそうな名前なんだね」
「世界に通用する名前を」という名目で、「萌仁香」なんてややキラッとした名前をつけられてしまったけど、まさか異世界でも通用するとは思わなかった。こういうの、「親の心子知らず」って言うのかな。違うか。
「家名はないのかい?」
「モニカ・ナカエです」
「うーん。苗字は流石によく知らない響きだね。とりあえず、周りにはモニカだけでいいんじゃないかね」
「そうですね」
紅茶のポットを手渡されたので、テーブルに持っていく。朝はミルク粥が出た。なんか猛烈にファンタジーっぽい。食べ慣れない味だけれど、私の体はカロリーを欲している。ぺろりと平らげ、一息をつく。
「もうすっかり元気そうだね。元々、細いけど健康そうな体だったものね」
「私、体はすっごい丈夫なんですよ」
子供の頃からスケート浸けだったけど、大きい怪我をしたことがないし、インフルエンザにもかかったことがない。視力もいいし、虫歯もない。私は超絶健康優良児なのだ。それだけに、運悪くすっ転んだ挙句に、このような状況になっているのは非常に遺憾だ。
「はあ〜」
無骨な木の椅子の上で体育座りになり、頭を抱える。その頭を、ポンと叩かれる。
「ま、お腹いっぱい食べて、次は風呂だ。色々あるんだろうけど、まずは生きている事を喜ばなきゃね」
わしわしと頭を撫でるエカテリーナさんの手は、硬くて、ザラザラしている。母猫に毛繕いされている子猫ってこんな気分なのかな。
「あたしの事は、これからカーチャって呼びな」
そう言って、足音が遠ざかっていく。一瞬『母ちゃん』かと思ったけど、「カーチャ」だな、うん。
冷めた紅茶をぐびりと飲む。椅子に座ってぼんやりしていると、何枚かの衣服を抱えたカーチャが戻ってきた。
「あんまり、この家にはあんたに合う服がないんだよね。あたしはこの通りだし」
ポンとお腹を叩きながら、豪快に笑う。
「他の家に借りに行こうと思ってもさ、家の事をしてる間にもうこんな時間だよ。悪いね」
「いえ、そんな」
二週間も看病してくれて、服を貸してくれて、ご飯も食べさせてくれる。朝食を作るために、私より遅く寝て早く起きてくれているのだ。服がぶかぶかな事はこの際どうでもいい。
「紐で縛れば大丈夫そうです。着てきた服じゃ、外を歩けないですもんね」
私が着ていたのは、本番用のピンクの衣装にスケート靴、ジャージの上半身。とてもじゃないが屋外を歩く格好ではない。間違いなく寒いし。
私の言葉に、カーチャはぎくりとする。
「あ、そ、その、それなんだけどさ。あんたの持ち物、他の奴らが持ってっちゃって」
「え」
まさか知らぬ間に身ぐるみ剥がされていたとは……私、体の方は大丈夫なんだろうか?思わず、腕を上げたり、下げたりして自分の体を確認してしまう。
「そ、そんな無体な事はしてないよ!あんたは発見されてすぐ、うちに連れてこられたんだけど、氷娘を見たいってたくさん人が押し寄せてきてさ。叩き出したんだけど、靴とか、服を調べさせて欲しい、絶対壊さないから……って押し切られちまって。靴屋のイワンと、仕立て屋のオリガだよ。すぐ取り戻すから。ごめんね、勝手な事をして」
だからノーブラなのか……。話を聞く限り、純粋に私の持ち物に興味があったっぽい。仕立て屋さんは名前からして女の人だろうし、まあいいか、と思う。それが申し訳ないから、カーチャは私に優しくしてくれているのかもしれないし。
「本当、すまないね。あの二人には、お詫びとして何か作らせるよ。もちろん、取り戻した上でね」
「カーチャが気にする事じゃないよ。それより、私の面倒を見てくれてありがとう」
スケート靴より家とご飯のほうがはるかに大事だ。カーチャは私が怒っていない事にほっとしたのか、くしゃっと笑った。
厚手の靴下を二枚履き、フェルトの長靴のようなものを履いて外に出る。雪は積もっているが、晴れていて風がないのでそれほど寒さを感じない。踏み固められた雪の上を滑るように歩く。
「寒いところの出身かい?」
「うん」
頬を冷たい風が刺す。この感覚は本物だ。やばいな。多分これ、マジで夢じゃない。カーチャ、親切そうに見えるけれど、某国の工作員だったりするんだろうか。私を拉致しても特に得るものは何もないけど。
考え込みながら歩いていると、進行方向に子供たちの集団が見えた。こちらに気がつくと、何やら叫び声を上げながらこちらに走ってくる。
「氷娘だ!氷娘が歩いてる!」
集団の中では年上だろう少年が、私を指差す。
「ほんとだ!」
「あるいてる!」
まごまごしていると、あっという間に囲まれてしまった。
「普通の服着てる!」
「あのお姫様みたいな服はどうしたの?バレリーナみたいな靴は?」
「あたし知ってるよ!イワンおじさんが、氷娘の靴を取っちゃったの!」
子供たちはきゃあきゃあと、毛皮のコートの上から無遠慮にバンバンと叩いてくる。ちょっとした有名人気分だね、こりゃ。
「いやあ、オレの作ったかまくらで寝てた時はびっくりしたよな。ま、おれのかまくらと、親父が持ってった靴、交換って事で。ちゃんとかまくらは立派にしといたからな」
最初の少年がうんうんと頷く。真っ白い肌に、そばかすの浮いた赤い頬。緑の目に赤に近い茶色の髪。童話の中の少年って感じだ。
「あなた、靴を貸してるイワンって人の息子さん?」
最初にわたしはかまくらの中にいたと聞いた。もし、そこではなく川とか山で倒れていたら、間違いなく死んでいただろう。屋外よりはかまくらの方が絶対に暖かいはずだし。でも、野外生活はしたくない。厚かましいけど、暖炉のある最初の部屋がいい。
「喋った!」
「ほんとだ!かわいい声!」
「そうだよ。俺はイワンの息子のドミトリ。さっそくかまくらを見るか?」
「ありがたいけど、これからカーチャとサウナに行くから。そのあと靴を返してもらうの」
「氷娘って、サウナに入るのか!?」
「温かいスープも紅茶も飲むわ」
子供たちがいっせいにざわつく。
「うそだろ!氷娘は火のそばにいると溶けちゃうんだぜ!?」
「今時はそうじゃないのよ」
私が真顔で答えたので、子供たちもそういうものなのか、と納得せざるを得ないようだ。まあ、私は普通の人間なんだけれども。
「ねえ!あとで、スケートしない?」
小さな女の子が、私の手を引っ張る。
「あ、あたしも!」
「僕も!」
子供たちは、誰が誰だか判別できない程にキャーキャーと騒ぎ立てる。収拾がつかなくなってきた。どうしたらいいか分からず、隣のカーチャを見る。
「ちょっと、あんたたち、静かにおし!こんなとこで時間をくってたら、遊ぶ暇もなくなるよ」
「なら、俺は親父に言っておくよ。靴はちゃんと無事なはずだ。これですごく質のいいスケート靴が作れる!って大騒ぎしてたけど、本人が使うなら返さなきゃな」
ドミトリはそう言って肩をすくめた。
「壊さないなら、使わない時は貸してもいいよ。外を歩く用の靴と交換でなら、だけど」
私の発言も大概ずうずうしいと思うが、ドミトリ少年はニカっと笑い、牧羊犬の如く子供たちを追い立てて走り去っていった。
とてつもないやかましさだ。私は一人っ子なので、小さい子の扱い方がよくわからない。ぼーっと子供達を眺める私の肩を、大きな手がポンポンと叩く。
「まったく、朝から元気な事だ。ま、これでイワンもすんなり返してくれるだろう。モニカ、うまいことやったじゃないか。せいぜい、一番いい革で作ってもらいな」
「そうする」
私とカーチャは、再びサウナへ向けて歩き出した。




