4話 オリガの服屋
暖かい炎に髪の毛をかざす。いつもお団子かポニーテールにしてまとめているので、私の髪は結構長い。ドライヤーなんて気の利いたものはないので、頭皮の水分をしっかり取り、髪をタオルで挟んでポンポンと叩く。
「油を使いなよ」
渡された小瓶には、黄色い油が入っていた。毛先に揉み込んでいく。ついでに顔にも塗る。
この後スケートをするので、髪を念入りに乾かしておかなければ、あっという間に風邪をひいてしまうだろう。なおも髪の毛をばさばさしていると、ずずいとかごが目の前に差し出された。
「食べるかい」
タチアナ婆さんは、さっきまでとは別人のように、ぷるぷるよれよれの状態に戻っている。あの激しい枝捌きはなんだったのか。
「どうも」
暖炉の上で温められていた揚げパンは暖かい。というかデカい。メロンパンぐらいの巨大なそれを思いっきり頬張る。具の味付けがカーチャとは違うみたいだ。もしゃもしゃと総菜パンと格闘していると、ジュースが出てきた。果汁と言うよりはジャムとかシロップを薄めたもの、って感じがするけれど、それでもジュースはジュースだ。
「あまーい」
美味しいけど、カロリーが恐ろしい。まあ、この後運動するからいいやと思い、一気飲みする。
「それで、この後はオリガの所に行ってから子供たちとスケートをするんだっけ?」
「そうなんだけど、思えば時間とか場所とか、何も約束していないんだよね」
「子供たちがスケートしているのは広場だけだから、そこでいいんじゃないかね。オリガの店も靴屋もその近くにあるから、うろついていれば勝手に集まるよ」
それは好都合だ。集合の事は気にしなくていいとして、久しぶりにスケートして大丈夫だろうか。厚着をしていると、できる事は限られる。寒いのを覚悟して衣装になるべきか、健康と安全を取るか。いや、そもそもリンクって言っても天然の氷だろうし、ちゃんと平らなんだろうか。
色々考えているうちに、髪はすっかり乾いた。そろそろいいかなと思い、編み物をしているカーチャに話しかけようとすると、外で物音がした。誰か来たのだろうか?
「迎えが来た。一緒に帰ろう」
ドアの近くにいたオリガがこちらを振り向く。車はないから、馬車でも来てるのかな。
そう思って窓から外を覗くと、馬と、これまたしなしなしたお爺さんが立っていた。
「こ、こんにちは」
お爺さんは口をへの字に結んだまま、コクリとうなずいた。おお、テンプレのような気難しいロシア人男性だ……。
「うちのお爺ちゃん。ま、タチアナばあちゃんの再婚相手」
突然込み入った事情をぶち込まれ、なんと返していいか判断に迷う。「そうなんだ」と答えるのが精一杯だ。
四人で後ろのそりに乗るのかと思いきや、タチアナ婆さんは馬に乗った。二人乗りとは、なんだかとってもロマンチックだ。
真っ白な雪で踏み固められた道を、馬がぽくぽくと進んでいく。
やがて来た道とは違う道を通って、大きな広場に着く。真ん中に木の囲いがある。その中がスケートリンクなのだろう、色とりどりの帽子がチラチラとのぞく。
「ここが、この村の中心なの?」
「そう」
広場を中心に、ぐるりと店らしきものが立ち並んでいる。字は全く読めないけれど、看板に絵が書いてあるのでなんとなくはわかる。
そりは一軒の店の前で止まった。服や毛糸玉の絵が書いてある。ここがオリガの店だろうか。
「ここがうちの店。隣が靴屋だから、ちょうどいいでしょ。さ、入って、入って」
少しだけ開けたドアから中に滑り込むと、むわっとした熱気が頬を包む。カーチャの家もそうだけど、外と比べて室内はめちゃくちゃ暖かい。
ずらりと服やトルソー、作業台、毛糸の玉などが並んでいる。仕立て屋と、服屋と、手芸用品店がごっちゃになった感じだ。
「今奥から持ってくるから、ちょっと待っててね」
オリガが奥へ行ってしまったので、商品を眺めながら待つ。
「どんなのがいいかね?」
カーチャは、ああでもない、こうでもないと私の服を見繕っている。いちおう値札が付いているが、物価がわからないのでさっぱりだ。ま、びた一文も持っていないんですけどね。
「お礼に、既製品の服はどれでもいいよ〜。ま、2枚ぐらいで勘弁して欲しいけど。肌着もいいよ」
「悪いね。上着はちゃんとあたしが払うからさ」
二人は私を置いてきぼりにして、持って帰るものの相談を始めた。
「え、ほ、ほんとに服をくれるの?何もしてないのに?」
正直、カーチャに衣食住の全てをお世話になっている身で厚かましいとは思うが、ちょっと服がぶかぶかすぎて大変よろしくない。上着で何も見えないって言ってしまえば、そうなんだけど。民族衣装っぽい可愛い服が貰えるのはかなりありがたい。
「何言ってんの。こいつは、あんたが生きてんのか死んでんのかわかんない時に来て、服を見せてくれって騒ぎ立てて持ってちまったんだよ。オリガがそんな事しなけりゃ、まさかイワンだって来やしなかったさ」
そういえばそうだった。この人、追い剥ぎだったんだわ。ついでに、さっきサウナでめちゃくちゃ大爆笑していたのも思い出した。やっぱり遠慮なくもらっておこう。
「そういう事……。悪いとは思ったけど、好奇心に勝てなくてさ。つい」
オリガはあんまり悪いと思ってなさそうな表情で、名残惜しげに衣装のラインストーンに触れた。
「この後ろの留め具とか、このビーズ とか、どうなってるのかさっぱりだよね。鍛冶屋にも見せたけど。この鉄のボタンはできそうって言ってたけど、きっちり合わなきゃうまくいかないだろうしなあ。それにこの伸びる布。これでドレスを作ったら、すっごく綺麗だろうね。妖精の着るものはやっぱり違うね。胸あてぐらいは作れるんじゃないかなと思って色々試作はしてるんだけど……あ、下着もさ、すごいよね。このレースとフリルが繊細でさ……」
「ち、ちょっと、いきなりたくさん喋らないで」
なおも話し続けようとするオリガの前で腕をぶんぶんと振り、制止する。
「どれだけこの服が魅力的なのかを伝えて、罪を軽くしてもらおうと思って」
オリガは唇を尖らせる。
「べ、べつに怒ってないよ。使わない時は、また研究していいからさ」
「じゃ、次は胸当ての試作品と交換だね。とりあえず、着て見せてよ。動いたらどんなふうになるか見たいからさ」
急に話の方向が変わったので、私は面食らってしまう。この人、本当にマイペースだな。職人さんってみんなこんな感じの人なのかしら……。そそくさとブラジャーと衣装を受け取り、奥の作業部屋で着替える。
「おおー」
「あれまあ」
「かわいいねえ」
いつの間にかタチアナ婆さんが戻ってきていた。3人は私を取り囲み、上から下まで眺める。
「この、スカートが異常に短いのは、寒さを感じないからなのかね?」
「寒くないならこんなに手の込んだ靴下を履かないでしょ。みて、これ。細ーい糸で、編んであるの」
そう。フィギュアスケート用のタイツは分厚いのだ。そんじょそこらの何十デニールのタイツなんて敵じゃない。ちょっとした靴下ぐらいの厚みはある。
「いや、寒いよ。転んだら痛いし。まあスカートが短いのは、動きやすくするためだから。見てもらえれば分かると思う」
ワンピースと肌着、試作品のパンツを何枚かレンタル料として受け取る。パンツも見られてたのか……と思うけど、今になっては仕方がない。替えのパンツがこの世界に生まれたことを喜ぼう。
「こんどもう一枚の服も見せてね」
もう一枚の服……?あ、ジャージか。ジャージは奪われてなかったのね。私の脳内に、カーチャとオリガが「2枚ともよこせ!」「せめてどっちかにしな!」と押し問答をしている様子がありありと浮かんだ。




