096 バグじゃねえか
俺は矢を一本つがえた。
距離を測った。
ソールとエルナの剣戟、三十歩。
ヘルム、四十五歩後方。
ユミルの「**……スレイプニル、動かせます**」を、岩陰に預けたまま。
——順番。
俺の頭の中で、組み立てが走った。
第一手、ソールの動きを止める。
第二手、ヘルムをユミルの視界の中に留める。
第三手、合図、転移。
「ルーク」
「ん」
「俺がソールの目を潰す」
「マジか」
「マジだ」
「外したら」
「外しても、いい」
「兄貴、それ、優しさじゃねえだろ」
「優しさだ」
ルークが、軽く笑った。
それから、長弓の弦を軽く撫でた。
「ヘルムの足、止め続ければいいんだろ」
「ああ」
「任せろ」
ルークの返事が、いつもより低かった。
村にいた頃の、弓だけは村一番のルーク。
それが、今ここに立っていた。
俺は矢をつがえ直した。
鏃の角度を、軽く調整した。
「シオン」
「はい」
「あんた、ソールの足に神聖魔法、撃ってくれ」
「動きを鈍らせる」
「ああ」
「了解です」
シオンが杖の先に白い光を集めた。
「ミラ」
「うん」
「お前は岩陰に戻れ」
「うん」
「ファーファ、何かあったら頼む」
「了解」
ミラが低い姿勢で、岩陰に戻った。
短剣を構えたまま、ユミルとファーファの傍に屈んだ。
俺は息を深く吸った。
そして、軽く吐いた。
「エルナ」
「ん」
「ソールから半歩、離れろ」
「合図?」
「次の俺の矢が合図」
「了解」
エルナが両手剣を軽く撓ませた。
「ソール、おい」
俺はソールに、声をかけた。
ソールが戦槌を肩に担ぎ直した。
口元が、笑っていた。
「**おう、ガキ! 何かあるか?!**」
「ソール、お前、街で何、言ってたっけな」
「**は?**」
「お前、不死身だって言ったよな」
「**おう! 言った!**」
「腕、生えてんな」
「**当然だ!**」
「不死身、なんだろ」
「**当然だ!**」
「証明してみろ」
「**んだと?!**」
ソールが戦槌を軽く振った。
戦槌の柄が、低く唸った。
「**おら、ガキ! 来い!**」
ソールが注意を、こちらに向けた。
戦槌の構えが、攻撃の構えになった。
エルナとの剣戟の手が、止まった。
——挑発、入った。
俺の頭の中で、戦術が進んだ。
シオンの白い光の矢が、ソールの左の太股に走った。
ソールの左足が、軽く痺れた。
動きが、鈍った。
「**痺れか?! こんなもん!**」
「**痺れ、です**」
シオンが、軽く頷いた。
俺は矢を放った。
距離、四十五歩。
標的、ソールの両目の間。
指が止まった。
息が細くなった。
指が離れた。
——空気を切り裂く音が、響いた。
矢が、ソールの右目を掠めた。
「**ぐっ?!**」
ソールが右目を、押さえた。
血が、指の隙間から垂れた。
右目の視界が、半分消えた。
「**ガキ、お前!!**」
「片目、消えたな」
「**まだ見える!**」
「左目、まだあるか」
「**当然だ!**」
俺は矢をもう一本つがえた。
ソールが戦槌を振り上げた。
左目だけで、こちらを睨んでいた。
「**おら、ガキ!! 殴るぞ!!**」
ソールが戦槌を振り下ろした。
俺は半歩、横に跳んだ。
戦槌が、地面に叩きつけられた。
地面が揺れた。
俺の足が、軽く浮いた。
「シルド!」
俺は魔石を握った。
(exec.firewall --size=small --layer=1 --target=front --tmp=hoge)
火属性の薄い光の板が、俺の前に立ち上がった。
ソールが戦槌を振り上げ直した。
戦槌の柄が、光の板に当たった。
板が、罅入った。
板が、軽くたわんだ。
エルナが半歩引いた距離から、ソールの痺れた左足を両手剣で横から薙いだ。
刃が、左の太股に走った。
ソールの左足が、地面に軽く落ちた。
「**ぐっ?!**」
「**……いただき**」
エルナの二撃目が、ソールの左の脇腹に入った。
ソールが片膝を、地面につけた。
「**……銀髪のお前か**」
「**あんた、左足、終わりだな**」
エルナが両手剣を軽く回した。
ソールが戦槌を、軽く地面に突き立てた。
右目から、血が垂れていた。
左足は痺れと刃で、機能していなかった。
——動き、止まった。
俺は振り返った。
ヘルムが後方で、フードの中で軽く肩をすくめていた。
「**……ご主人、形勢不利です**」
「**……うっせえ**」
「**……撤退を推奨します**」
「**……まだ戦える!**」
「**……片膝の状態です**」
「**……戦える!**」
ソールの声が、低かった。
傲慢の芯は、まだ残っていた。
ヘルムが、軽く息を吐いた。
「**……ご主人の判断、尊重します**」
「**おう!**」
ヘルムがフードの中で、軽く後ろに二歩引いた。
——ヘルム、撤退の、構え。
俺の頭の中で、ヘルムの動きが整理された。
ヘルムは、ソールが負けたと判断していた。
だから、撤退の距離を取り始めた。
「ユミル、合図、近いぞ!」
俺は岩陰に、声をかけた。
岩陰のユミルが、薄く答えた。
「**……了解**」
ヘルムが後ろに、もう一歩引いた。
そして、視線を岩陰の方に向けた。
「**……ご主人、巫女の解析、最終確認します**」
ヘルムが岩陰の方を、フードの中で見つめた。
——あいつ、最後の、解析、入れる気だ。
俺の頭の中で、警報が鳴った。
ヘルムは撤退の前に、最後の解析を入れる。
それは、ユミルの出力の最大値を敵側に持ち帰るための、行動だった。
——hoge、撃つ。
俺の頭の中で、判断が確定した。
ヘルムの解析を、止める。
合理を、奇跡で超える。
それしか、ない。
俺は矢筒から矢を抜いた。
普通の矢。
鏃も、普通。
頭の中で、コマンドラインを組み立てた。
(exec.arrow_ignite --power=small --trajectory=hoge --frequency=hoge)
俺は矢をつがえた。
「hoge、矢」
——
矢が、空気を震わせた。
矢羽根が、視認できない速度で揺れた。
震動が、空気の中で増幅された。
キィィーーンと、空気が悲鳴を上げた。
矢が、ヘルムのフードの肩に向かって飛んだ。
ヘルムが半身を引こうとした。
——遅い。
矢の軌道が、揺れていた。
hoge矢の軌道は、本人のリンも把握していない。
ヘルムの躱す位置が、ずれた。
矢が、ヘルムの左肩のフードの布を削った。
布が、振動で粉砕された。
ヘルムの肩が、露出した。
「**ぐっ?!**」
ヘルムが初めて、苦痛の声を上げた。
矢は、ヘルムの肩を深くは貫かなかった。
でも、肩の布を振動で削り取った。
細かい振動が、肩の皮膚を削っていた。
ヘルムが軽く後ろに跳んだ。
「**……ご主人、フードの弟、未知の技です**」
「**……だな!**」
「**……解析、開始**」
(exec.analyze --target=arrow_vibration --depth=physics --resolution=max)
ヘルムがフードの中で、目を軽く細めた。
肩を押さえながら、矢の軌跡を追った。
ガラルホルンが、低く応じた。
「**……ご主人、震動の周波数です**」
「**……はい**」
「**……サンプリング、開始**」
(exec.sample --target=oscillation --rate=ultra)
「**……了解**」
ヘルムの解析の視線が、俺の矢の軌跡に集中した。
——食いついた。
俺の頭の中で、ヘルムの動きが整理された。
ヘルムは肩を傷つけられても、解析を優先した。
これが、職人気質の本性だった。
俺は息を、軽く吐いた。
そして、矢をもう一本つがえた。
「hoge、矢、二発目」
——
二本目を、放った。
矢が震えながら、宙を飛んだ。
ヘルムが、半身で躱した。
矢が、ヘルムの横を掠めた。
矢が、後方の岩に突き刺さった。
岩が、振動で削られた。
細かい粉が、舞った。
ヘルムがその矢の震動を、フードの中で長く見つめた。
「**……ご主人**」
「**おう?**」
「**……解析、結果が**」
「**……出たか**」
「**……出ました**」
——
——周波数、毎秒、数千回から最大65536回
——ERROR: 仕様、参照、失敗
——ERROR: 世界の、定義の、外
——
ヘルムの声が、低く続いた。
「**……周波数、最大65536回**」
「**……それは何だ?**」
「**……人間の視覚では認識不可能です**」
「**……だから何だ?**」
「**……ご主人、これは**」
ヘルムが軽く息を止めた。
「**……これ**」
「**おう**」
「**……バグじゃねえか!**」
ヘルムの声が初めて、フードの中で、わずかに声を張った。
ガラルホルンが、低く応じた。
「**……ご主人、解析が最終エラーです**」
「**……エラーの内容は**」
「**……世界の仕様外**」
「**……仕様外**」
「**……世界を作った誰かが、想定していない現象です**」
ヘルムの声が、低く続いた。
「**……ご主人、これは解析不能です**」
「**……ヘルム、お前、解析得意なんだろ**」
「**……得意です**」
「**……だから、解析しろ!**」
「**……世界の外です**」
「**……は?**」
「**……世界の外側の現象を、解析する能力はありません**」
ヘルムがフードの中で、軽く首を振った。
「**……これは、奇跡と呼ぶ現象です**」
ヘルムの視線が、俺の方に向けられた。
冷たい灰色の目が、フードの中で、軽く開いていた。
「**……ガキ、お前**」
「俺は、凡人だ」
「**……凡人**」
「凡人だ」
「**……凡人が、世界のバグを扱うか**」
「扱うんだ」
「**……扱えるはずがない**」
「扱えるんだよ」
「**……バグに見えるだけで、本当は別のものなのか**」
「分からねえ」
「**……分からない**」
「俺は、設計してない」
「**……だろうな**」
ヘルムがフードの中で、軽く笑った。
低く、乾いた笑い。
「**……ガキ**」
「ん」
「**……お前、知らずに撃ってる**」
「ああ」
「**……それが、最も怖い**」
ヘルムの、声が、低く、続いた。
——
岩陰のユミルが、薄く目を伏せた。
唇が、軽く動いた。
俺の耳には、何も届かなかった。
——
ヘルムがフードの中で、軽く首を振った。
「**……ご主人、撤退の許可を**」
「**は?**」
「**……解析、これ以上は無意——**」
ヘルムの声が、途中で切れた。
ヘルムの足元に、青白い輪が現れた。
「**……?!**」
「**……ご主人、足元、——**」
ガラルホルンの声も、途中で切れた。
ヘルムの姿が、輪の中で薄く滲んだ。
「**ヘルム!! お前、何してんだ?!**」
ソールが片膝の姿勢から声を上げた。
ヘルムがフードの中で、口を軽く開けた。
何か、言いかけた。
そして、消えた。
——
ヘルムがいなくなった。
青白い輪が、地面で消えた。
ソールが片膝のまま戦槌を軽く振り上げた。
「**……ヘルム!!**」
ソールの声が、夜明けの空に響いた。
返事は、なかった。
ソールが戦槌を地面に突き立てた。
肩で、息をしていた。
「**……ガキ**」
「ん」
「**……ヘルム、転移したか**」
「ああ」
「**……お前ら、何者だ?**」
「凡人だ」
「**……凡人?!**」
「俺は、凡人」
ソールが戦槌の柄に両手を軽く置いた。
そして、低く笑い始めた。
「**……ふっ**」
「**……ふっ、はっはっは**」
「**……ガキ!! お前ら!! 凡人?! ガキ!!**」
ソールの笑い声が、止まらなかった。
ソールの肩が、震えた。
それから、ふと止まった。
ソールが左目で、こちらを見た。
「**……俺は、不死身だ**」
「ああ」
「**……ヘルム消えても、俺は戦える**」
「ああ」
「**……ガキ、来い**」
「いいぞ」
俺は矢をつがえ直した。
岩陰のユミルが、岩の影で薄く目を開けていた。
ファーファがユミルの胸の上で、丸まったまま目を開けていた。
ミラがユミルの隣で短剣を構えていた。
シオンが杖の先に白い光を集めていた。
エルナが両手剣を両手で握り直していた。
ルークが長弓に矢をつがえていた。
——あと、ソール、一人。
俺の頭の中で、戦況が整理された。
ヘルムは、消えた。
ソールは、片膝、片目、左足、機能不全。
それでも、ソールは戦う、と言った。
——次は、ユミルの、ブレス。
俺の頭の中で、最後の戦術が形を取り始めた。
ブレス、撃てない。
遺跡、近い。
でも、ユミルは岩陰で、薄く目を開けていた。
岩陰のユミルの口が、軽く動いた。
「**……リン様**」
「ん」
「**……ブレス、撃てません**」
「分かってる」
「**……でも**」
「ん」
「**……ソール、倒し、ます**」
「マジか」
「**……事実、です**」
「ブレス、駄目なんだろ」
「**……ブレス、じゃない技で**」
「他にあるのか」
「**……あります**」
「何だ」
「**……機能、回収**」
ユミルの声が、薄く聞こえた。
——機能、回収。
俺の頭の中で、その言葉が形を取った。
ソールから奪い返す、機能。
ユミルが最初に持っていた、機能。
夜明けの橙色の光が、地平線の上で広がっていた。
【了】




