094 待ち伏せ
深夜二時、宿場町の宿。
俺はエルナとミラとシオンを、起こした。ファーファはユミルが軽く尻尾を撫でただけで、目を開けた。ルークは肩を二回叩いて、起きた。
「**……主の主、これから、ニャ?**」
「これからだ」
「**了解、ニャ**」
ファーファが寝起きのまま、ユミルの肩に乗った。仕事モードへの切り替えは、こいつの場合寝起きでも一秒で済む。ユミルが「**仕事です**」と一言、それで終わる。
俺たちは部屋の中央に集まった。荷物は出立から、最小限に絞ってあった。重い装備は馬車に置いて、馬車は宿に預けた。書状を見せて、馬車だけ夜のうちに保管してもらう手配を、シオンが昨日のうちにつけていた。
「**全員、近づいて、ください**」
ユミルが部屋の中央で、両手を軽く広げた。
「**手を、繋ぎます**」
「全員?」
「**全員、です**」
「ファーファも?」
「**ファーファ、私の、肩**」
「肩か」
「**安定、します**」
ユミルが頷いた。
俺はユミルの右手を、軽く握った。エルナが、俺の左手。ミラが、エルナの左手。シオンが、ミラの左手。ルークが、ユミルの左手。輪の形になった。
「**ルーク様、強めに握ってください**」
「強めに、でいいんすか」
「**いいです**」
「了解、ユミル様」
ルークがユミルの左手を、しっかり握り直した。村にいた頃の精霊様扱いの名残で、ルークはユミルにいつも、妙に丁寧だった。今日も、それでいつも通り。
ユミルが視線を、軽く下げた。
「**詠唱、入ります**」
「了解」
「**……スレイプニル、座標、登録**」
ユミルの唇が、淀みなく動き始めた。
「**始点、王国街道、第三宿場、北東二十四里、終点、王国近郊、古街道、北分岐の先、地形補正、二、三**」
詠唱内容が長かった。
クラスB、いやそれ以上の、クラスSに近い長さ。座標の登録が現実空間の二点を相手にしているから、引数が普段の倍以上ある。途方もない量、というほどではない。でも、ユミルがいつもの倍以上口を動かしている。
俺は息を、浅くした。
ユミルの右手、つまり俺の左手の側で、ユミルの指先がほんの少しだけ震えていた。
「**……経路、確認**」
「**……負荷、許容範囲**」
「**……実行**」
——転移、開始。
俺の足元で、床が消えた。
——
——
——
足元に、土の感触が戻った。
夜の風が頬に、当たった。
俺は息を詰めた。
目の前に、月明かりに照らされた古い石組みの遺跡が立っていた。
——着いた。
エルナが俺の左で、両手剣の柄を軽く握り直した。ミラがその奥で、軽く首を振った。シオンが深く、息を吐いた。ルークがユミルの左手を握ったまま、まだ立ち竦んでいた。
ファーファがユミルの肩で、目を細めた。
「**……着いたニャ**」
「ああ、着いた」
俺は頷いた。
そして、ユミルの右手が俺の手の中で、力を抜いた。
「ユミル」
「**……」**
ユミルの目が、半分閉じていた。立ったまま、軽くこちらに傾いてきた。
俺はユミルの肩を慌てて、左手で支えた。
「ユミル!」
「**……すみま、せん**」
「立ってろ、立ってろ」
「**……動け、ません**」
ユミルの声が、いつもの十分の一の音量だった。
俺はユミルの右肩に、自分の左肩を軽く差し込んだ。ユミルの体重が、こちらに傾いてきた。重くはなかった。でも、生身の重さがこちらに、すべて預けられた。
——半日、動けない、と昨日言った。
俺は息を吐いた。
ユミルが本気で動けなくなる時の、これが形だった。
「シオン、ミラ」
「はい」
「ユミル、横にする」
「うん」
「奥の、岩陰」
シオンとミラがすぐに、俺の横についた。三人でユミルを、遺跡の手前の岩陰に運んだ。岩の影で、月明かりの当たらない場所。地面に、シオンが自分のローブを軽く敷いた。ユミルをその上に、横たえた。
「**……ローブ、汚れます**」
「いいですよ」
「**……すみません**」
「謝らないでください」
シオンの声は、いつも通り静かだった。
ファーファがユミルの胸の上で、丸まった。猫姿のまま、軽く目を閉じた。
「**主の主、温める、ニャ**」
「ああ、頼む」
「**任せろニャ**」
ファーファの語尾が、いつもより柔らかかった。
エルナが岩陰の入口で、両手剣を構えて立った。ルークが長弓を背から外して、矢筒を肩から下ろした。
「あたし、見張る」
「俺も、見張る」
エルナとルークが岩陰の入口を、二人で固めた。
俺はユミルの隣に、片膝を立てて座った。ユミルの呼吸は薄く、ゆっくりだった。眠っている、というより機能の大部分を停止している、という方が近かった。
「ユミル」
「**……はい**」
「寝てろ」
「**……周囲、警戒、必要**」
「俺たちが、警戒する」
「**……はい**」
「お前は、寝てろ」
「**……はい**」
ユミルが、薄く目を閉じた。
ファーファがユミルの胸の上で、尻尾をゆるく揺らしていた。
---
岩陰の入口で、エルナが軽く息を吐いた。
「リント」
「ん」
「ここ、静かすぎる」
「だな」
俺は岩陰から首を出して、周囲を見渡した。
古街道の、北分岐の先。月明かりに照らされた、古い石組みの遺跡。周囲は低い丘陵地帯で、見通しが利いた。木はまばら、草地が広がっている。動物の鳴き声も虫の声も、聞こえなかった。
——静かすぎる。
エルナの言うとおりだった。生き物の気配が、消えている。これは、自然の静けさじゃなかった。
「ミラ」
「うん」
「気配、何か感じるか」
「動物、いない」
「だよな」
「敵、近い、かも」
ミラが短剣を、軽く構えた。
シオンが岩陰の奥から、軽く頷いた。
「リント君」
「ん」
「ユミルさんの、感じた『**近い**』」
「王族面会の」
「ええ」
「ここだったか?」
シオンが軽く、首を傾げた。
「分かりません。でも、可能性は、あります」
「だな」
俺は岩陰の入口で、息を吐いた。
ユミルが感じた、二つの予兆。「**遠く**」と「**近く**」。遠くは、北方国境の噂、たぶん。近くは——フード、王都の監視、と思っていた。
でも、もう一つある可能性が、俺の頭の中で形を取り始めた。
——ここで、待ち伏せ、されてた、可能性。
監視が王都にいて、出立を見送って、こっちに先回りされてた、ってことか。それは、ありえる。フード三人が出立後も街道で追ってきていた、ということは、本隊は別にいた、ということでもあった。
俺は岩陰の中の、ユミルの方を振り返った。
ユミルが、薄く目を開けた。
「**……リン様**」
「ん」
「**……気を、つけて**」
「分かってる」
「**……来ます**」
「来るのか」
「**……来ます**」
ユミルの声は、薄かった。でも、その一言は確信に近い、温度だった。
「いつ」
「**……分かりません**」
「うん」
「**……でも、近い、です**」
ユミルがまた、目を閉じた。
俺は立ち上がって、岩陰の入口に出た。
エルナとルークの間に、立った。
「来るぞ」
「分かった」
「ユミル、本人が、感じてる」
「了解」
エルナが両手剣の柄を、握り直した。ルークが矢を一本、つがえた。
「ルーク」
「ん」
「お前、村の頃の弓、覚えてるか」
「覚えてるよ」
「あれで、いい」
「分かった」
ルークが頷いた。
——「気持ち男前」、頼むぞ。
俺は内心で、つぶやいた。
---
東の空が、わずかに白みかけた頃。
地平線の丘の向こうから、二つの影が現れた。
一人は、巨漢。筋骨隆々、赤い髭、戦槌を肩に。
もう一人は、それより一回り小柄。フードを被って、装具のようなものを腰に。
——ソール、と、もう一人。
俺の頭の中で、街でのソールが鮮明に蘇った。
エルナが両手剣を、軽く構え直した。
「あれ、ソール?」
「ああ」
「腕、生えてる」
「だな」
「再生、したのか」
エルナの声が、低かった。街での戦いで、ファーファがソールの右腕を、ブレスで吸収した。あの腕が、生えている。それは敵側に、再生能力者がいる、ということだった。
「リント君、横の人は」
「シオン、知らない」
「私も、知りません」
「初登場だ」
俺は矢筒から、矢を四本抜いた。手の中で、ぱらりと扇形に並べた。
——hoge、撃てるか。
俺の頭の中で、前にユミルから聞いた自前運用の感覚を確認した。コマンドラインを唱えれば、撃てる。ユミル抜きでも。今のユミルは、岩陰で動けない。だから、hogeは俺が撃つ。
ソールが丘を、降りてきた。
戦槌が肩で、ぐるりと一回転した。
「**よお、巫女様!**」
ソールの声が、夜明け前の野原に響いた。
「**この前は、世話になったな!**」
「あ?」
「**腕、戻った!**」
「再生、したか」
「**当然、だろ! 俺の腕、外したくらいで、勝った気か!**」
ソールが丘を、走り下りてきた。後ろから、フードの男がゆっくりと歩いてきた。フードの中の声が、低く続いた。
「**ご主人、対象、確認**」
(exec.scan --target=area --range=visual)
「**ああ、確認、確認!**」
「**前回の、構成と、同一**」
「**だろうな!**」
「**ただし、巫女、岩陰の中**」
「**ん? なんだそりゃ**」
フードの男が丘の中腹で、立ち止まった。フードの中で、視線が岩陰の方に流れた。
「**ご主人、巫女、深度、確認**」
(exec.probe --target=shrine_maiden --depth=surface)
「**ほう?**」
「**動けない、可能性、高**」
「**マジか!**」
ソールが笑い声を、上げた。
「**ふっ、はっはっは! こりゃ楽勝だ!**」
「**ご主人、楽観、危険**」
「**うるせえ、お前の解析、いいから! 俺、殴る!**」
「**……ご主人、の、判断、です**」
フードの男が肩を、軽くすくめた。腰の装具——角笛のような形——が、軽く音を立てた。
「**了解、ご主人。記録、保存、開始**」
(exec.record --mode=continuous --buffer=full)
角笛が、低く応じた。半人格の、礼儀正しい声。
——あれが、フードの男の、相棒、か。
俺は矢を一本、つがえた。
「ルーク」
「ん」
「右の、フード頼む」
「あの装具のやつ?」
「ああ」
「了解」
ルークが長弓を、軽く撓ませた。
「エルナ」
「ん」
「ソール、お前と、俺で」
「了解」
エルナが両手剣を、両手で握り直した。
「ミラ、シオン」
「うん」
「岩陰の、ユミル」
「分かった」
「絶対、守れ」
「分かってる」
ミラが短剣を、構えた。シオンが杖の先に、軽く魔力を集めた。
ファーファが岩陰の中から、軽く顔を出した。
「**主、戦闘ニャ?**」
「ああ、戦闘だ」
「**ファーファ、参戦ニャ?**」
「お前は、ユミルの上で、温めとけ」
「**……了解、ニャ**」
ファーファの語尾が、わずかに不服そうだった。でも、ユミルの上で丸まり直した。猫姿のまま、出力を上げない。これも、ユミルの設計のうちだった。最初の修復は、隠したい。ファーファの邪竜形態が出れば、敵側に「これは普通の戦闘じゃない」と知られる。
——ファーファは、温存。
俺は矢の角度を、軽く調整した。
ソールが距離を、詰めてきた。
「**おい、巫女! 出てこい! 防御だけは、できるんだろ?!**」
ソールの声が、岩陰の方に向けられた。
俺は内心で、軽く笑った。
——巫女、防御だけ、舐めてる。
王宮の「巫女」設定が、敵側にこうして効いていた。
「ソール!」
俺は馬の上では、なかった。地に足をつけたまま、矢を放った。
距離、四十歩。
風、無風。
標的、ソールの、左肩。
指が、止まった。
息が、細くなった。
指が、離れた。
——空気を切り裂く音が、響いた。
矢が、ソールの左肩の鎧の隙間に突き刺さった。
「**ぐっ?!**」
ソールが左肩を、軽く揺らした。それから、戦槌の柄で矢を、根元から折った。
「**舐めんなガキ!**」
「**ご主人、正面、近距離、矢、注意**」
「**うるせえ!**」
ソールが戦槌を、振り上げた。
「**飽和、開始だ! 来い、ニョルニル!**」
(exec.flood --target=swarm --rate=high --rng=stone)
ソールの、振り上げた、戦槌に、合わせて、ソールの周囲、四方の地面から、岩が、無数に、湧き上がった。一つ、二つ、三つ、五つ、十——俺が、数を数えるのを、放棄した。地面から、生えてきた、というより、空間の、どこからともなく、岩が、降って湧いた、ような、見え方だった。
岩が、宙に、浮いた。
そして、一斉に、こちらに、飛んできた。
「シルド、追風!」
俺は二つの魔石を、同時に握った。リンの自力詠唱。コマンドは、頭の中で走った。ショボい引数、込みで。
(exec.firewall --size=small --layer=1 --target=front --tmp=hoge)
(exec.airflow --size=small --direction=back --duration=empty)
俺の前に、火属性の薄い光の板が立ち上がった。
岩が、光の板に当たった。
板が、罅入った。
追風が岩の軌道を、わずかに逸らした。
「ルーク!」
「右、了解!」
ルークが長弓を、引き絞った。
矢がフードの男の、肩を狙った。
フードの男が、軽く半身を引いた。矢がフードの肩を、掠めた。
「**ご主人、右、退避を**」
「**了解、ご主人**」
フードの男が後ろに、二歩下がった。
「エルナ!」
「行く!」
エルナが両手剣を肩に担いで、ソールに突進した。
岩の雨の中を、エルナが銀髪を揺らしながら駆け抜けた。両手剣で、横から飛んできた岩を一つ、二つ叩き割った。三つ目で、両手剣が軽く撓んだ。エルナが舌打ちをした。
「**こんな数、暴れすぎ!**」
「**だろ?! 楽しいだろ?!**」
ソールが戦槌を、振った。
エルナが戦槌の軌道を、半身で躱した。
返す刃で、ソールの右の脇腹を軽く斬った。
「**ぐっ?!**」
「**当たった**」
「**ガキの、銀髪!**」
「**あんた、口悪いね**」
エルナが両手剣を軽く回して、ソールの胴をもう一度薙いだ。
ソールが戦槌で、エルナの剣を受けた。
剣と戦槌が、噛み合った。
エルナの剣が、押し負けた。
「ぐっ」
「**力ねえな、銀髪!**」
「**あんた、力だけね**」
エルナが、半歩後ろに引いた。
俺は矢を、もう一本つがえた。
距離、五十歩。
標的、ソールの、目。
指が、止まった。
息が、細くなった。
指が、離れた。
——空気を切り裂く音が、響いた。
矢がソールの左目の、すぐ脇を掠めた。
ソールが顔を、軽く傾けた。
「**おい、ガキ! 顔、狙うな!**」
「**目、潰そうとしてる**」
「**わざとかよ!**」
「**わざとだ**」
俺は、もう一本つがえた。
ソールの注意が、こちらに向いた。
エルナがその隙に、ソールの太股を両手剣で軽く斬った。
「**ぐっ?!**」
「**いただき**」
エルナの剣の二撃目が、ソールの肩に入った。
ソールが戦槌を、軽く地面に叩きつけた。
地面からまた、岩が生え上がった。
「**ご主人、岩生成、頻度、上昇**」
「**当然、だろ?! 俺、本気だ!**」
「**ご主人、本気の、定義、不明**」
「**うるせえ!**」
フードの男が岩の生成を解析しながら、後ろにもう一歩下がった。
——あいつは、戦闘してない。
俺の頭の中で、奴の動きが整理された。フードの男は戦闘の手前で、観察と解析だけをしている。ソールが前で殴って、奴が後ろで記録している。これが、二人の役割分担だった。
「ルーク!」
「ん!」
「あいつ、解析してる!」
「だな!」
「邪魔、できるか!」
「やってみる!」
ルークが長弓に、矢を二本同時につがえた。村にいた頃の、ルーク独自の二本撃ち。あの治癒以降、軽く扱える。
「フードの男、両肩!」
「了解!」
ルークが、二本同時に放った。
矢がフードの男の、両肩を狙った。
フードの男が肩を、二つ引いた。一本目を、半身で躱した。二本目が、フードの肩を掠めた。
「**ご主人、火力上昇**」
「**ほう?**」
「**村出身の、長弓です**」
「**ガキ、二人、兄弟か?**」
「**……解析、確認、中**」
(exec.analyze --target=archer_brothers --depth=skill)
フードの男が肩越しに、岩陰の方をちらりと見た。
「**ご主人、岩陰の巫女**」
「**おう?**」
「**……解析、結果、UNKNOWN**」
——
——ERROR: 構造、解析、不能
——ERROR: 出力、推定、不能
——WARN: UNKNOWN
——
「**んだそりゃ**」
「**……分からないと、出ました**」
「**は?**」
フードの男の声が、わずかに低くなった。
「**ご主人、巫女、想定より、強いかも、しれません**」
「**おい、お前、何言ってんだ?**」
「**……解析、続行、希望**」
(exec.probe --target=shrine_maiden --depth=max --retry=true)
「**好きにしろ**」
ソールが戦槌を、振りかぶった。エルナとの剣戟が、続いていた。
フードの男が、岩陰の方を見つめた。
——粘ってる。
俺の頭の中で、警報が鳴った。
奴の解析眼でも、ユミルの構造は読めなかった。それは、それでこちらに有利。でも、奴は「分からない」を放置しない。粘って、粘って、何かを引き出そうとしている。これが、職人気質の本性だった。
「ユミル」
俺は岩陰の方を、肩越しに振り返った。
ユミルの目が、薄く開いていた。
ファーファがユミルの胸の上で、目を軽く開けていた。
——気付かれてはいない、けど、粘られてる。
俺は矢を、もう一本つがえた。
エルナとソールの剣戟は、続いていた。
奴の解析は、空振りしながら深まっていた。
戦闘の第一波が、終わるところだった。
そして、第二波が始まる合図が、奴の「**……分からない、と、出ました**」だった。
——hoge、出すか。
俺の頭の中で、その判断がぎりぎり保留になっていた。
岩陰のユミルが、薄く目を開けたまま、こちらを見ていた。
俺は矢を、つがえ直した。
夜明け前の空が、わずかに白みかけていた。
---93 end




