084 王都の影
夕方。
ミラが霜花亭に戻ってきた。
潜って、半日。
顔に汗の跡があった。
髪が、わずかに乱れていた。
「ミラ」
「ん」
「**お疲れ**」
「**疲れた**」
ミラが椅子に、どさりと座った。
エルナがすぐにエールを注いだ。
ミラがそれを、半分一気に飲んだ。
「**ぷは**」
「**飲みっぷりだな**」
「**今日、しんどかった**」
「**だろうな**」
ミラが息を吐いた。
それから、リントとユミルを見た。
「**リント君、ユミルちゃん**」
「ん」
「**王都内、四箇所**」
リントが止まった。
「**四箇所?**」
「**人格希薄化、の、兆候**」
「**王都の中で、か**」
「**そう**」
「**確実か**」
「**まだ、初期段階**」
「うん」
「**でも、確実**」
ミラが地図を出した。
王都の四つの区画。
東の商業区。
西の工人区。
南の貧民街。
北の貴族街。
四つに、印がついていた。
「**全方位、から、来てる**」
「**村と、同じ構図か**」
「**村が、外、王都内が、内**」
「**両方から、囲んでる**」
「**そう**」
ミラが頷いた。
エルナが横でそれを見ていた。
エルナの拳が、机の下で握られていた。
「**……**」
「エルナ」
「ん」
「**焦るな**」
「**焦ってない**」
「**握りすぎ**」
ミラがエルナの握った拳に、軽く手を当てた。
エルナがそれで、ふっと息を抜いた。
それから、頷いた。
「**ありがとう**」
「**いつでも**」
ミラがふっと笑った。
リントが横でそれを見ていた。
ユミルも横で、それを見ていた。
ユミルがぽつりと言った。
「リン様」
「ん」
「**ミラ様、エルナ様の、心、よく、見ておられます**」
「**だな**」
「**お二人、絆、深いです**」
「**長いからな**」
「**長い、だけ、ではないと、思います**」
「**だな**」
「**お互いの、痛み、知っています**」
「**そうだな**」
ユミルが頷いた。
リントが頷いた。
それから、ミラに聞いた。
「ミラ」
「ん」
「**王都内の、四箇所、特定できたか**」
「**できた**」
「**それぞれ、何人**」
「**まだ、初期、確認できたのは、各、二、三人**」
「**合計、十人くらいか**」
「**そう**」
「**少ないな**」
「**でも、確実に、増えてる**」
「**だな**」
ミラが頷いた。
シオンが横で、それを聞いていた。
シオンがぽつりと言った。
「ミラさん」
「ん」
「**東、商業区、もしか、して、北市場、近くですか**」
「**そう**」
「**……**」
シオンが息を吸った。
それから、ぽつりと言った。
「**塔の、長老の、お一人、北市場の、近くに、お住まいです**」
リントが止まった。
「**長老、巻き込まれたか**」
「**まだ、確認は、必要、ですが**」
「**だな**」
「**確認、急ぎます**」
「**頼む**」
シオンが頷いた。
それから、立ち上がった。
「**今から、塔へ、戻ります**」
「**夜だぞ**」
「**急ぎ、です**」
「**気をつけろ**」
「**承知**」
シオンが頭を下げた。
それから、霜花亭を出た。
戸が閉まった。
エルナがそれを見ていた。
エルナがぽつりと言った。
「**シオン君、頼もしいね**」
「**だな**」
「**短期間で、相当、伸びた**」
「**塔の、修行、効いてる**」
「**ユミルちゃん、教えてる、らしいね**」
「**そうなの?**」
ユミルがぱちぱちと、瞬きした。
「**何回か、お伺い、しました**」
「**何を**」
「**過去の、紋様、の、解析**」
「**だな**」
「**シオン様、吸収、早い、です**」
「**お前、教えるの、上手いね**」
「**そうですか**」
「**だな**」
エルナが頷いた。
ミラも頷いた。
ユミルが、ぱちぱち、と瞬きした。
それから、頭を下げた。
「**ありがとう、ございます**」
「**お前、褒められるの、苦手だな**」
「**……はい**」
「**だろうね**」
エルナが笑った。
リントも横で、ふっと笑った。
——お前、褒められると、固まる。
——……可愛い。
——いや、口に、出さない。
——でも、思ってる。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルの肩を軽く叩いた。
ユミルがまた、ぱちぱちと瞬きした。
「リン様」
「ん」
「**肩、頻度、上がっています**」
「**そうか**」
「**……はい**」
「**嫌か**」
「**嫌じゃ、ないです**」
「**ならいい**」
ユミルが頭を下げた。
それから、リントの肩に頭を預けた。
エルナとミラが、それを見ていた。
二人で目を合わせて、頷いた。
「**進んだね**」
「**進んだ**」
「**お前ら、外野、うるさい**」
「**応援団**」
エルナがまた笑った。
霜花亭の食堂に、笑い声が広がった。
※
夜。
シオンが塔から戻ってきた。
夜中、近かった。
シオンの顔が強張っていた。
「リントさん」
「ん」
「**長老、確認、できました**」
「**結果**」
「**……お一人、人格希薄化、進行中**」
リントが止まった。
エルナも止まった。
ミラも止まった。
ユミルが息を止めた。
「**塔の、長老が**」
「**はい**」
「**いつから**」
「**約、一週間前から、と、思われます**」
「**気づかなかったか**」
「**最初、お疲れ、と、思っていました**」
「**だな**」
「**でも、機能、低下、確認できて、人格希薄化、と、判断**」
「**戻せるか**」
シオンがユミルを見た。
ユミルが首を横に振った。
「**ユミルさん**」
「**まだ、初期、です**」
「**戻せる?**」
「**書き換えなら、可能**」
「**削除、では?**」
「**戻せません**」
「**……**」
「**でも、確認、必要、です**」
「**確認?**」
「**書き換え、か、削除、か**」
「**だな**」
「**直接、見れば、分かります**」
「**塔まで、行くか**」
ユミルがリントを見た。
リントが頷いた。
「**行こう**」
「**夜中、だけど**」
「**急ぎだ**」
「**だな**」
エルナもミラも、頷いた。
四人と一匹が、霜花亭を出た。
夜の王都の街道を、歩いた。
王都の夜は、静かだった。
時折、警備の騎士団員と、すれ違った。
エルナが軽く目配せして、通り過ぎた。
塔は王都の中央近く、北寄りにあった。
霜花亭から徒歩、二十分。
夜の中、急ぎ足で歩いた。
ユミルがリントの隣で、歩いていた。
ファーファがユミルの肩で、姿勢を低くしていた。
「**主、空気、変ニャ**」
「**だろうな**」
「**夜の、王都、いつもと、違うニャ**」
「**気のせいか**」
「**……気のせい、じゃ、ないニャ**」
ファーファの目が、わずかに見開かれていた。
ユミルがそれを感じていた。
——ファーファ、感じてる。
——気配、確実に、近い。
——……ここ、王都内に、いる。
——もう、外側、ではない。
ユミルが口に出さなかった。
ただ、リントの横で姿勢を低くした。
リントがそれを見ていた。
——お前、緊張してる。
——だろうな。
——王都内、に、敵、来てる。
——……。
——気を、引き締めろ、自分。
リントは口に出さなかった。
ただ、弓の位置を確認した。
矢筒の矢の本数も、確認した。
エルナが横で、それを見ていた。
エルナの両手剣も、背中から軽く出やすい位置に、ずらされていた。
ミラの短剣も、すぐ抜ける位置に。
シオンの杖も、握り直されていた。
四人と一匹、全員、警戒の姿勢だった。
夜の王都を歩く、調査隊だった。
※
塔に着いた。
塔の入り口に、シオンの師らしき年配の男が、立っていた。
「シオン」
「師、ありがとうございます」
「**こちらの、お客人、か**」
「**はい**」
「**お話、伺っている。中へ**」
師が軽く頷いた。
それから、リントたちを塔の中へ案内した。
塔の中は、暗かった。
灯りが数箇所、灯っていた。
階段を上がった。
長老の部屋は、塔の五階だった。
階段を四つ、上がった。
ユミルが横でリントに、小声で言った。
「リン様」
「ん」
「**塔、結界、張られています**」
「**結界?**」
「**強い、結界**」
「**だから、安全か**」
「**はい**」
「**でも、結界、内側で、何か起きたら**」
「**閉じ込められる**」
「**気をつけてください**」
「**だな**」
リントが頷いた。
師がそれを聞いていた。
師が振り返った。
「**ご令嬢**」
「**はい**」
「**結界の、構造、分かるか**」
「**はい**」
「**……驚いた**」
「**お見受け、しました**」
「**結界の、構造、誰から、教わった?**」
「**……**」
ユミルが止まった。
リントが横で、それを見ていた。
——師、お前の、知識、見抜いた。
——……お前の、正体、分かるか?
——……。
——でも、シオンの、師。
——信用、できる、はず。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルを見ていた。
ユミルがぽつりと言った。
「**昔の、書物、で**」
「**書物?**」
「**塔の、書物、ではなく、別の、書物**」
「**どこで、手に入れた?**」
「**……**」
「**答えにくいか**」
「**……はい**」
「**いい**」
師が頷いた。
それから、ふっと笑った。
「**お嬢さん、の、知識、塔の、長老、を、超える**」
「**そんな、ことは**」
「**ある**」
「**……**」
「**いずれ、お話、伺いたい**」
「**……はい**」
ユミルが頭を下げた。
師が頷いた。
それから、また階段を上がり始めた。
リントが横で、それを見ていた。
——師、お前の、知識を、認めた。
——でも、追求しなかった。
——……。
——いい人、らしい。
——シオンの、信頼、本物だな。
リントは、口に出さなかった。
ただ、階段を上がった。
※
長老の部屋。
扉を師が、軽く叩いた。
「ヴェスタ様、シオンと、お客人、です」
返事がなかった。
師がもう一度、叩いた。
返事が、なかった。
師が扉を、ゆっくり開けた。
中に、年配の女性が椅子に座っていた。
机の上の書物を、淡々とめくっていた。
師が入ってきても、顔を上げなかった。
「**ヴェスタ様**」
「**……**」
返事が、なかった。
師がヴェスタの横に、立った。
「**ヴェスタ様、ご気分、いかがですか**」
ヴェスタがゆっくり、顔を上げた。
「**……問題、ありません**」
「**書物、お読みですか**」
「**読んで、います**」
「**何の、書物、ですか**」
ヴェスタが書物を見た。
それから、ぽつりと言った。
「**……分かりません**」
師が息を止めた。
「**ヴェスタ様**」
「**はい**」
「**書物、読めて、いますか**」
「**読めて、います**」
「**でも、何の、書物か、分からない**」
「**……**」
ヴェスタが書物を見た。
長く見た。
それから、ぽつりと、言った。
「**……分かりません**」
師の肩が、わずかに震えた。
リントが横で、それを見ていた。
——師、ショック、受けてる。
——だろうな。
——長老、相当の、知性。
——それが、削られた。
——……。
ユミルが横で、ヴェスタを見ていた。
それから、リントに小声で言った。
「リン様」
「ん」
「**ヴェスタ様、書き換え、です**」
「**削除、ではない**」
「**書き換え、です**」
「**戻せるか**」
「**書き換え元、抑えられれば**」
「**抑える?**」
「**書き換えの、書き換え、を、私が、します**」
「**お前が**」
「**はい**」
「**安全か**」
「**……**」
ユミルが止まった。
それから、ぽつりと言った。
「**消耗、します**」
「**どのくらい**」
「**……一週間、寝込みます**」
「**駄目だ**」
「**でも、ヴェスタ様**」
「**お前、また、寝込むのは、駄目**」
「**でも**」
「**他に、方法、ないか**」
ユミルが少し止まった。
それから、ぽつりと言った。
「**書き換えの、元を、断てば**」
「**敵、本体、を、叩く**」
「**はい**」
「**だな**」
「**でも、本体、まだ、見えていません**」
「**そうか**」
「**今、できる、こと、限定的**」
「**だな**」
ユミルが頷いた。
リントが頷いた。
それから、師に向き直った。
「師、すまない」
「ん」
「**今、戻せない**」
「**……そうか**」
「**でも、進行は、止められる、かも、しれない**」
「**進行、止める?**」
「**ユミル、頼む**」
ユミルが、頷いた。
ヴェスタの前に、しゃがんだ。
ヴェスタがユミルを見た。
「**……どなた**」
「**ユミル、と、申します**」
「**ユミル**」
「**ヴェスタ様、少し、お時間、いただきます**」
「**……**」
ヴェスタが頷いた。
ユミルが目を閉じた。
唇が、わずかに動いた。
「**スキャン、対象、ヴェスタ様、人格構造**」
(scan --target=personality)
——
——INFO: 人格コア、確認
——WARN: 書き換え、進行中
——WARN: 進行率、約三十パーセント
——INFO: 書き換え元、外部接続、確認
——
ユミルの目の縁が、わずかに震えた。
——書き換え、まだ、止まっていない。
——外部から、継続的に、書き換え、入ってる。
——……これ、繋がりを、切れば、進行は、止まる。
——でも、戻すには、本体を、叩くしかない。
ユミルが息を吸った。
それから、ぽつりと言った。
「**ファイアウォール、対象、ヴェスタ様、外部接続、遮断**」
(firewall --deploy --target=ヴェスタ --block-external)
——
——INFO: 接続経路、特定
——INFO: 遮断、開始
——DONE: 遮断、完了
——WARN: 進行、停止。復元、不可
——
ユミルの右手が、ヴェスタの額に軽く触れた。
淡い青白い光が、ふわりと広がった。
光がヴェスタを包んだ。
それから、ユミルの手が離れた。
ヴェスタがぱちぱちと、瞬きした。
「**……あら**」
「**ヴェスタ様**」
「**……何か、変わった?**」
「**進行、止めました**」
「**進行**」
「**書き換え、もう、進みません**」
「**……**」
ヴェスタがぽつりと頷いた。
それから、また書物を見た。
「**……でも、書物、分からない**」
「**それは、戻せません**」
「**……**」
「**今、戻せる、技術、ありません**」
「**……そうか**」
ヴェスタが、ぽつりと、頷いた。
それから、書物を閉じた。
「**……ありがとう、ございます**」
「**いえ**」
「**進行、止めて、くれた、と、いう、こと、です、ね**」
「**はい**」
「**それで、十分、です**」
ヴェスタがぽつりと笑った。
笑い方が薄かった。
でも、感謝の気持ちは、伝わった。
師が横で、それを見ていた。
師の目が湿っていた。
それから、ユミルに深く頭を下げた。
「**お嬢さん**」
「**はい**」
「**ありがとう、ございます**」
「**いえ**」
「**塔の、長老、お一人、救って、いただいた**」
「**進行、止めただけ、です**」
「**それで、十分、です**」
「**……**」
「**この、ご恩、塔として、忘れません**」
師が深く、頭を下げた。
ユミルが、ぱちぱち、と瞬きした。
それから、頭を下げ返した。
「**……ありがとう、ございます**」
「**お嬢さんが、頭、下げる必要、ありません**」
「**いえ、感謝、です**」
「**……**」
師がふっと笑った。
リントが横で、それを見ていた。
——お前、頭、下げ返す。
——お前らしい。
——でも、師、戸惑ってる。
——……。
——でも、師、優しい人だな。
リントは、口に出さなかった。
ただ、ユミルの肩を軽く叩いた。
ユミルが、ぱちぱち、と瞬きした。
「リン様」
「ん」
「**消耗、思ったより、少ない、です**」
「**よかった**」
「**外部接続、遮断だけ、なので**」
「**そうか**」
「**でも、少し、休みたい、です**」
「**だな**」
「**戻りましょう**」
「**戻ろう**」
ユミルが立ち上がった。
リントがユミルの腕を、軽く支えた。
ユミルがリントに、軽く寄り掛かった。
師がそれを見ていた。
師がふっと笑った。
それから、シオンにぽつりと言った。
「シオン」
「はい」
「**この、お嬢さん、お前の、お師匠様の、一人、と、思え**」
「**……はい**」
「**学べる、こと、多い**」
「**はい**」
シオンが深く頷いた。
それから、ユミルに頭を下げた。
「**ユミルさん、これからも、教えを、乞わせてください**」
「**シオン様、ご丁寧に**」
「**真剣、です**」
「**……はい**」
ユミルが、頷いた。
エルナとミラが横で、それを見ていた。
二人で目を合わせて、頷いた。
「**ユミルちゃん、塔の、賢者格になった**」
「**だな**」
「**伸びた**」
「**もとから、強かった**」
「**……だな**」
エルナがふっと笑った。
ミラもふっと笑った。
リントが横で、息を吐いた。
——お前、塔の、賢者格、扱い、される。
——お前、本気、出せば、神格扱い、だろうな。
——……。
——でも、お前、自分で、それ、求めない。
——だから、お前、好きなんだ。
リントは、口に出さなかった。
ただ、ユミルの腕を支えながら、塔の階段を降りた。
夜が深まっていた。
王都の夜空に、星が瞬いていた。
四人と一匹が、霜花亭へ戻っていった。
戻り道、ユミルがリントの肩に、軽く寄り掛かっていた。
リントがそれを外さなかった。
エルナとミラが横で、それを見守っていた。
王都の夜が、静かに流れていた。
その静かさの底で。
何かが、確実に近づいていた。
明日、来るかもしれなかった。
明後日かも、しれなかった。
でも、来ることは確実だった。
ユミルだけが、それを知っていた。
リントも、わずかに感じていた。
エルナもミラもシオンも、何かを感じ始めていた。
王都の夜が、進んでいた。
季節も、進んでいた。
何もかも、進んでいた。
※
——第八十三章、了。




