083 兄の進化
ルークが塔の訓練場から戻ってきた。
リントとユミルが、霜花亭の中庭で弓の練習をしていた。
ルークが戻ってくるなり、リントを見た。
ルークの目が、いつもと違った。
「リント」
「兄貴」
「**お前と、手合わせ、したい**」
リントが止まった。
「**何だ、急に**」
「**塔で、ある程度、形に、なった**」
「**修行、見せたい、か**」
「**確認、したい**」
「**何を**」
「**俺の、剣、お前の、弓と、組めるか**」
「**組む?**」
「**戦闘で、連携、できるか、確認**」
リントが息を吐いた。
——兄貴。
——本気で、戦力に、なりに、来てる。
——……。
——いいだろう。
「いいぞ」
「**ありがとう**」
「**ユミル、見ててくれ**」
「**はい**」
ユミルが中庭の端に移動した。
ファーファがユミルの肩で、興味深そうに目を開けていた。
「**主と兄、戦うニャ**」
「**手合わせだ**」
「**面白いニャ**」
「**お前、観戦か**」
「**観戦ニャ**」
ファーファが目を細めた。
リントが弓を構えた。
ルークが剣を抜いた。
中庭の距離、十歩。
二人で向かい合った。
※
——息を整える。
——兄貴の剣、村にいた頃と違う。
——重心、低い。
——構え、無駄がない。
——……塔で伸びたな。
リントが矢をつがえた。
弦に、軽く矢を乗せた。
ルークが左足を、半歩引いた。
それから、剣の切っ先を地面に向け低く構えた。
——居合、ではない。
——でも、踏み込みの構え。
——速い踏み込み、来る。
リントが弦を引き絞った。
頬に、冷たい弦の感触。
息を止めた。
ルークの足の指が、地面を噛んだ。
それが合図だった。
ルークの足が動いた。
地面の砂が跳ね上がった。
風がリントの頬を、撫でた。
ルークが踏み込んだ瞬間。
リントの指が離れた。
空気を切り裂く音が、響いた。
矢がルークの左肩、横を抜けた。
矢はルークを外した。
意図した外しだった。
——足、止める用だ。
ルークが止まらなかった。
ルークの剣が、低い位置から弧を描き始めた。
——え、止まらない。
リントが二本目の矢を、つがえようとした。
間に合わなかった。
ルークの剣の切っ先が、リントの首の前で止まった。
ぴたりと止まった。
リントの頬の横、わずかに剣の冷たい風。
距離、紙一枚。
止まった剣の切っ先が、わずかに震えた。
ルークの息が上がっていた。
「**……俺の、勝ち**」
ルークがぽつりと言った。
リントが息を吐いた。
——兄貴、速かった。
——足、止める矢、効かなかった。
——……塔で何、教わった。
リントが弓を下ろした。
「**速いな、兄貴**」
「**塔の、教官、優秀だった**」
「**だな**」
「**お前の、矢、見えてた**」
「**見えてた?**」
「**外しに来てる、と、分かった**」
「**……だな**」
「**だから、止まらなかった**」
「**だな**」
リントが頷いた。
ユミルが横で、それを見ていた。
ユミルの目が、わずかに見開かれていた。
「リン様」
「ん」
「**ルーク様、お強いです**」
「**だな**」
「**短期間で、相当伸びました**」
「**塔で何、教わったんだ**」
「**居合ではなく、低重心の踏み込み**」
「**お前、見えてたか**」
「**ご家族、お得意な足捌き、です**」
「**え?**」
「**リン様のお父上、似た踏み込み、されます**」
リントが止まった。
「**親父?**」
「**はい**」
「**親父、剣、握らないだろ**」
「**握らないですが、足捌き、似ています**」
「**……**」
ルークが横で、それを聞いていた。
ルークがぽつりと言った。
「**ユミル様**」
「はい」
「**親父の足捌き、見たことあるのか**」
「**あります**」
「**いつ**」
「**村で、農作業の時**」
「**農作業?**」
「**腰の入れ方、剣の踏み込みと似ています**」
「**……**」
ルークが止まった。
それからぽつりと言った。
「**親父、昔、何かやってたかもしれない**」
「**かもしれないな**」
「**今度、聞いてみる**」
「**頼む**」
ルークが剣を鞘に収めた。
それからリントを見た。
「リント」
「ん」
「**もう一回、頼む**」
「**今度は、本気で、外さない**」
「**頼む**」
リントが頷いた。
弓を構え直した。
ルークも剣を抜き直した。
ユミルが横で、それを見ていた。
ユミルがリントに、小声で言った。
「リン様」
「ん」
「**ルーク様、二本目の矢、構え直す前に踏み込まれます**」
「**だな**」
「**読まれて、います**」
「**だから?**」
「**矢、二本、同時につがえてください**」
「**できるのか**」
「**リン様、できます**」
「**やったこと、ない**」
「**今、できます**」
ユミルが頷いた。
リントが息を吐いた。
——お前、できると言うなら、できるんだろう。
——お前、俺のことを俺より知ってること、ある。
——……試そう。
リントが矢筒から、矢を二本出した。
二本を弦に並べて、つがえた。
弦の感触が、いつもより重かった。
でも、できた。
ルークが構えを低くした。
足の指が、また地面を噛んだ。
合図。
ルークが踏み込んだ。
リントの指が離れた。
二本の矢が同時に放たれた。
空気を切り裂く音が、二重に響いた。
一本目、ルークの左肩、横。
二本目、ルークの右の足元、地面。
二本目の矢がルークの踏み込みの軌道に、刺さった。
ルークの足が止まった。
止まった瞬間に、リントはもう後ろに下がっていた。
弓を捨てて、短剣を抜いた。
距離、五歩。
ルークが止まった姿勢で、リントを見た。
「**……**」
ルークが剣を下ろした。
「**今のは**」
「**外しの矢、二発**」
「**一発目で、俺、止まらなかった**」
「**二発目で、踏み込みの軌道を塞いだ**」
「**だから、止まった**」
「**だな**」
「**……**」
ルークが息を吐いた。
それからふっと笑った。
「**リント、お前、進化、してないか**」
「**ユミルの、入れ知恵だ**」
「**ユミル様**」
「はい」
「**ありがとう、ございます**」
「**いえ**」
「**勉強に、なりました**」
ユミルが頭を下げた。
ルークも頭を下げた。
リントが横で、それを見ていた。
——お前、兄貴に頭、下げさせるか。
——……。
——いや、お前はそれにふさわしい。
リントは口に出さなかった。
ただ、短剣を鞘に収めた。
ルークがそれから、ユミルにぽつりと言った。
「**ユミル様**」
「はい」
「**俺、塔でもう少し伸びる、と思う**」
「**ええ**」
「**でも、お前ら二人の連携には、追いつけない**」
「**ルーク様**」
「ん」
「**追いつかなくて、いいのです**」
「**え?**」
「**お一人で、お強いです**」
「**……**」
「**連携は、それぞれ得意な形があります**」
「**だな**」
「**ルーク様の剣、ご立派です**」
「**ありがとう、ございます**」
ルークが頷いた。
頷きながら、わずかに目元を緩めた。
——ユミル様。
——褒め方、上手い。
——いや、上手いんじゃない。
——本気で言ってる。
——……それが、俺に刺さる。
ルークは口に出さなかった。
ただ、剣を鞘に収めた。
中庭に、初秋の風が吹いていた。
リントとユミルとルークが、それぞれ息を整えた。
ファーファがユミルの肩で目を細めていた。
「**主、兄、強くなったニャ**」
「**だな**」
「**主の、矢も、進化したニャ**」
「**ユミルのおかげだ**」
「**主の主、賢いニャ**」
「**だな**」
「**ジャーキー、所望ニャ**」
「**お前、毎回、それかよ!**」
ファーファが目を細めた。
ユミルが横で笑った。
ルークも横で笑った。
リントも笑った。
中庭に、笑い声が広がった。
笑い声の底で。
ユミルがふと空を見上げた。
雲が、少し動いていた。
——……気配、また近づいた。
——昨日より、確実に。
——……。
——ルーク様、強くなった。
——リン様の矢、二本同時に放てるようになった。
——……それで、足りるでしょうか。
——間に合うでしょうか。
ユミルは口に出さなかった。
ただ、リントの横で笑い続けた。
笑いながら、心の中で計算していた。
——気配の強度。
——本体の距離。
——……明日、明後日辺りに、何か起きる可能性。
——シオン様の塔の警戒、共有しよう。
——ミラ様の情報屋、急がせよう。
——エルナ様の騎士団ルート、頼もう。
——……皆で迎え撃つしか、ない。
ユミルは口に出さなかった。
ただ、リントの肩に、軽く手を置いた。
リントがそれを感じていた。
——お前、何か見てる。
——でも、まだ言わない。
——……分かった。
——今は、待つ。
——でも、来る時が来たら、お前を守る。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルの手を軽く握り返した。
中庭に、初秋の風が吹き続けていた。
風が、わずかに冷たかった。
季節が進んでいた。
何かも進んでいた。
※
——第八十二章、了。




