079 束の間の平和
ヴェルガ村の調査から、四日が、経った。
王都に、平和な日々が、続いていた。
ように、見えた。
朝。
リントが霜花亭の中庭で、弓の手入れをしていた。
弦の張り、矢羽根の状態、矢柄の捻れ。
一本ずつ確認していた。
ユミルが横で本を読んでいた。
シオンが塔から借りてきた、古い記録の写本だった。
「ユミル」
「はい」
「**何の本**」
「**塔の、過去記録**」
「うん」
「**三百年前の事件**」
「読めるのか」
「**シオン様、写してくださいました**」
「だな」
「**でも、解読、難しい部分、多い**」
「うん」
「**シオン様と一緒に、進めています**」
「うん」
ユミルがページをめくった。
リントは弓の手入れを続けた。
中庭に、初秋の風が吹いていた。
葉が、わずかに色付いていた。
ファーファが中庭の隅で、小さな虫を追いかけていた。
たまに、ぱくりと食べていた。
「**美味しいニャ**」
「**お前、ジャーキー以外も食べるんだな**」
「**虫、ジャーキーじゃないニャ**」
「だろうな」
「**でも、美味しいニャ**」
「**そうか**」
リントが息を吐いた。
ユミルが横でふっと笑った。
それから本に戻った。
※
午後。
エルナがギルドから戻ってきた。
エルナの顔が、いつもより硬かった。
「リント君」
「ん」
「**新しい、報告**」
「内容」
「**別の村**」
「ヴェルガと、別」
「**うん**」
「**南東、シルム村**」
「うん」
「**人数、少ない**」
「だな」
「**でも、確実に、十数人**」
「広がってる」
「**広がってる**」
エルナが地図を出した。
王都を中心に、北西のヴェルガ村と南東のシルム村が印をつけられていた。
距離は王都を挟んで、ほぼ反対側。
リントがそれを見た。
ユミルも後ろから覗き込んだ。
ユミルの目が、わずかに止まった。
——王都を、囲むように。
——両側、から、来てる。
——……これは、偶然じゃない。
——意図的、配置。
ユミルが口に出さなかった。
ただ、リントの背中に額を当てた。
リントが少し振り返った。
「ユミル」
「はい」
「**気になるか**」
「**配置、です**」
「配置」
「**王都を、挟んでいます**」
「だな」
「**偶然じゃ、ない**」
「**意図的**」
「**はい**」
「**何のために**」
「**……分かりません**」
「**でも、何か、ある**」
「**あります**」
ユミルが頷いた。
リントがエルナを見た。
「姉さん、これ」
「ん」
「**王都を、囲んでる**」
「**気づいた?**」
「**ユミルが、気づいた**」
「**だろうね**」
「うん」
「**あたしも、ギルマスと話して、同じ、見立て**」
「だな」
「**囲い込み**」
「**囲い込み**」
エルナが頷いた。
ミラが横でふっと息を吐いた。
ミラはエルナと一緒に、ギルドから戻ってきていた。
「リント君」
「ん」
「**情報屋ネットワーク、ヴェルガとシルム以外にも**」
「他にも」
「**怪しい村、二つ**」
「四つ」
「**四つ**」
「**王都の、北、東、南、西**」
「だな」
「**四方に、配置**」
「**囲い込み、確定**」
ミラが頷いた。
リントが息を吐いた。
ユミルがリントの背中で、わずかに震えていた。
——リン様。
——大規模、です。
——これまでと、桁が違う。
——……。
——でも、私、まだ、本体、見えない。
——気配だけ、強くなっている。
ユミルが口に出さなかった。
ただ、リントの背中に額を押し当てた。
リントがユミルの手を、後ろ手で軽く握った。
それで、伝わった。
※
夕方。
シオンが塔から戻ってきた。
シオンの顔も硬かった。
「リントさん、ユミルさん」
「ん」
「**塔の記録、進展、ありました**」
「教えろ」
「**三百年前の事件、当時、王都が、半分、機能停止しました**」
リントが止まった。
「半分?」
「**当時の人口、十万**」
「うん」
「**そのうち、五万、人格希薄化**」
「**五万**」
「**……**」
「**当時、原因不明、と記録されていました**」
「だな」
「**でも、被害は王都内部から、始まりました**」
「内部」
「**ヴェルガ村のような村単位、ではなく、都市の一区画ずつ**」
「うん」
「**今回、村単位で進んでいます**」
「だな」
「**進化している、と解釈できます**」
シオンが頷いた。
エルナが横で息を吐いた。
「**……**」
「エルナさん」
「ん」
「**三年前と、繋がりは**」
「**まだ、不明**」
「うん」
「**でも、否定、できません**」
「**そうか**」
エルナがエールを注いだ。
朝も、エール。
夕方も、エール。
ユミルが横でぱちぱちと、瞬きした。
「エルナ様」
「ん」
「**飲み過ぎ、です**」
「**気付け、だ**」
「**気付け、頻度、高い、です**」
「**そうかい**」
エルナがふっと笑った。
笑いながら、エールを飲んだ。
ユミルが心配そうに、エルナを見ていた。
リントが横でユミルの肩を、軽く叩いた。
「ユミル」
「はい」
「**姉さん、止まらない**」
「**止まりません**」
「**仕方、ない**」
「**仕方、ないです**」
「**でも、心配だ**」
「**心配です**」
「**だな**」
ユミルが頷いた。
エルナがそれを聞いて笑った。
「**あんたら、心配、ありがとう**」
「うん」
「**でも、大丈夫**」
「**大丈夫?**」
「**今は、独りじゃない**」
「**独りじゃ、ない**」
「**だから、飲んでも、戻ってこれる**」
エルナが笑った。
ユミルがその笑顔を見ていた。
ユミルが小さく頷いた。
——エルナ様。
——強く、なった、と思いました、けれど。
——心の傷、まだ、深いです。
——でも、エルナ様、認めて、向き合って、います。
——立派、です。
ユミルは口に出さなかった。
※
夜。
リントとユミルが部屋に戻った。
ファーファがユミルの肩で目を細めていた。
部屋の窓を開けた。
王都の夜空が見えた。
雲はなかった。
星が、いくつか瞬いていた。
ユミルが窓の前に立った。
リントが横に立った。
「ユミル」
「はい」
「**お前、ヴェルガ村の後、震えてた**」
「うん」
「**整理、ついたか**」
ユミルが少し止まった。
それからぽつりと言った。
「**少し、ついた、です**」
「**話せるか**」
「**話せます**」
「**頼む**」
ユミルがリントを見た。
それからぽつりと言った。
「リン様」
「ん」
「**気配、知っているもの、でした**」
「知ってる?」
「**……はい**」
「**何だ**」
「**……同じ、世界の、もの**」
リントが止まった。
「同じ、世界」
「**前世の、世界**」
「うん」
「**そこから、来ているもの**」
「**敵?**」
「**敵、または、敵の上位**」
「上位」
「**まだ、本体、見えていません**」
「うん」
「**でも、気配、人間ではない、ものでした**」
「**人間じゃ、ない**」
「**……**」
「**お前みたいな、AI?**」
「**それも、含めて**」
「うん」
「**でも、形、見えないので、断定、できません**」
ユミルが続けた。
リントが息を吐いた。
——お前と、同じ、世界。
——……前世の、世界。
——そこから、何かが、来てる。
——敵、または、敵の、上位。
——……。
——これ、十二柱、と、関係してるかも。
——お前、前に、十二柱の話、避けた。
——でも、これ、それかもしれない。
リントは口に出さなかった。
ただユミルを見た。
ユミルがリントを見ていた。
ユミルの目に、わずかな揺らぎがあった。
「ユミル」
「はい」
「**お前、怖いか**」
「**……はい**」
「**素直、だな**」
「**リン様には、嘘、つきません**」
「うん」
「**でも、皆さんの前では、強がります**」
「**それで、いい**」
「**はい**」
ユミルが頷いた。
リントがユミルの肩に、軽く手を当てた。
ユミルがリントを見た。
リントがその手を外さなかった。
しばらく、二人で星を見ていた。
ファーファがユミルの足元で丸くなった。
「**主、お休みニャ**」
「**まだ、寝るには、早い**」
「**お休みニャ**」
「**……黙って寝てろ**」
「**……ニャ**」
ファーファが目を閉じた。
ユミルが横でふっと笑った。
「ファーファ、お疲れ、です」
「**こいつ、いつでも、寝れるな**」
「**はい**」
ユミルがしゃがんで、ファーファの背を撫でた。
ファーファが満足そうに息を吐いた。
リントが横でそれを見ていた。
——お前、こうしている時。
——一番、お前、らしい。
——……。
——お前の、心、安らぐ瞬間、なんだろう。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルの隣で星を見続けた。
王都の夜が深まっていた。
平和な夜。
でも、その底で何かが動いていた。
二人とも、それを感じていた。
感じながら、それでも今この瞬間を大事にしていた。
明日からも、調査が続く。
※
——第七十八章、了。




