078 動き初める歯車
雨は、夜のうちに、上がっていた。
霜花亭の食堂、朝。
リント、ユミル、エルナ、ミラ、ルーク、シオン。
シオンが夜のうちに塔で、紋様の照合を進めていた。
寝ていない顔だった。
「シオン、お前」
「すみません、徹夜、しました」
「無理する、な」
「**急ぎたかったので**」
「**うん**」
シオンが目の下に隈をつけていた。
ユミルが横でシオンを見ていた。
ユミルがリントに、小声で言った。
「リン様」
「ん」
「**シオン様、無理、しています**」
「うん」
「**でも、止められません**」
「だろうな」
「**今は、本人の意志を、尊重、しましょう**」
「うん」
「**でも、後で、お休み、勧めます**」
「頼む」
ユミルが頷いた。
シオンがスケッチを机の上に広げた。
ヴェルガ村の祠の紋様と、白蛇の祭壇の紋様。
並べて、見せた。
「**九割、一致です**」
シオンが言った。
「九割」
「**残り一割、新しい部分**」
「新しい?」
「**白蛇のものに、なかった、要素**」
「だな」
「**追加、されています**」
「進化してる、ってことか」
「**そう、解釈、できます**」
シオンが頷いた。
エルナが横で紋様を見ていた。
エルナの目が険しかった。
「**……**」
エルナが息を吐いた。
それからぽつりと言った。
「**塔の記録に、似たもの、ある?**」
「**あります**」
「**本当か**」
「**三百年前の事件と、共通する、部分**」
「うん」
「**でも、当時、解読できなかった**」
「だな」
「**今回も、解読、難しい**」
「**……**」
エルナがまた息を吐いた。
ミラが横でエルナを見ていた。
ミラがエルナの肩に軽く手を当てた。
エルナがミラを見て、小さく頷いた。
それからリントを見た。
「リント君」
「ん」
「**今回の敵、相当、根が、深い**」
「だな」
「**三年前の、霜の剣の事件と、繋がってる、可能性も、ある**」
「うん」
「**確証は、ない**」
「うん」
「**でも、調査、続ける、価値、ある**」
「**続ける**」
エルナが頷いた。
リントが頷いた。
ユミルが横でそれを見ていた。
——エルナ様。
——三年前。
——霜の剣。
——……繋がってるかも、という疑い。
——当たり、です。
——でも、私、まだ、言わない。
——エルナ様の心、これ以上、揺らさない、ように。
ユミルは口に出さなかった。
ただ、エルナを静かに見ていた。
※
朝食の後。
シオンが少しだけ寝るために、塔に戻った。
ミラも、店の準備で、戻った。
ルークは、剣の修行に、向かった。
リントとユミルとエルナだけが、霜花亭に、残った。
エルナがエールを、注いだ。
朝から、エール。
ユミルがぱちぱちと瞬きした。
「エルナ様」
「ん」
「**朝から、ですか**」
「**気付け、だ**」
「気付け」
「**あんたも、飲む?**」
「**いただきます**」
「ユミルちゃん、付き合いいい」
「**付き合います**」
エルナがユミルにエールを注いだ。
リントには別途、エルナが注いだ。
三人で軽く杯を合わせた。
リントが少しエールを飲んだ。
それからエルナを見た。
「姉さん」
「ん」
「**昨日、震えてた**」
「うん」
「**お前、強いのに**」
「**あたしも、人間だ**」
「**だな**」
「**三年前、の、傷、まだ、残ってる**」
「うん」
「**でも、今は、独りじゃない**」
「**独りじゃない**」
「**あんたら、いる**」
「うん」
「**シオンも、ミラも、いる**」
「**だな**」
「**だから、大丈夫**」
エルナがエールを飲んだ。
ユミルが横でエルナを見ていた。
ユミルがぽつりと言った。
「エルナ様」
「ん」
「**お仲間の、お話、聞いてもいいですか**」
エルナが少し止まった。
「うん」
「**どんな、方々でしたか**」
「**……**」
エルナがエールを置いた。
それからぽつりと言った。
「**剣の、ヴァーナル**」
「うん」
「**魔法の、ヘルマン**」
「うん」
「**斥候の、エイラ**」
「うん」
「**回復の、シシリア**」
「**四人**」
「**あたし、を、入れて、五人**」
「**五人で、霜の剣**」
「うん」
エルナがぽつりとエールを見つめた。
「**ヴァーナル、酒、強かった**」
「うん」
「**ヘルマン、本、好きだった**」
「うん」
「**エイラ、口、悪かった**」
「うん」
「**シシリア、優しかった**」
「うん」
「**みんな、楽しかった**」
「うん」
「**今は、いない**」
エルナが息を吐いた。
ユミルがエルナを見ていた。
ユミルが小さく頷いた。
「エルナ様」
「ん」
「**お仲間、ご立派でした**」
「**うん**」
「**お話、聞かせて、いただいて、ありがとうございます**」
「**……うん**」
エルナがふっと笑った。
笑いながら、目の縁が、わずかに湿った。
エルナが指で目元を拭った。
「**ユミルちゃん**」
「はい」
「**あんた、優しいね**」
「**優しい?**」
「**あたしの仲間の話、ちゃんと、聞いてくれる**」
「**当然です**」
「**当然じゃ、ない**」
「**そうですか**」
「**多くの人、気を使って、聞かない**」
「**聞いた方が、いいと、思いました**」
「**うん**」
「**お仲間、忘れて、欲しくない、と思いました**」
エルナが止まった。
それから、ユミルをゆっくり見た。
「**ユミルちゃん**」
「はい」
「**それ、嬉しいよ**」
「**嬉しい?**」
「**忘れて、欲しくないって、言ってくれて**」
「**当然です**」
「**当然じゃ、ない**」
「**……**」
ユミルが少し止まった。
それからぽつりと言った。
「**私、家族、ありません**」
「うん」
「**でも、お仲間、大事、と、感じます**」
「うん」
「**エルナ様の、お仲間、大事です**」
「**うん**」
「**忘れて、欲しくない、です**」
「**……**」
エルナがユミルを見ていた。
それから、ぐっとユミルを抱き寄せた。
ユミルが、ぱちぱち、と瞬きした。
「**エルナ様**」
「**ありがとう**」
「**私、何も、していません**」
「**してる**」
「**ですか**」
「**してる**」
エルナがユミルの背中を、ぽんぽんと叩いた。
ユミルが少し、姿勢を固くしていた。
でも、すぐに力を抜いた。
リントが横でそれを見ていた。
——姉さん。
——お前、ユミルに、抱きついた。
——ユミル、ちょっと、戸惑ってる。
——でも、嬉しそう。
——……。
——いい朝、だな。
リントは口に出さなかった。
ただ、エールを飲んだ。
※
エルナがユミルから離れた。
それから、目元をまた拭った。
「**もう、泣かない**」
「**泣いて、いいです**」
「**いい、もう**」
「**そうですか**」
エルナがふっと笑った。
それからリントを見た。
「リント君」
「ん」
「**今後、どうする**」
「**続ける**」
「うん」
「**シオンの、塔の照合、待つ**」
「**だな**」
「**ミラの、情報屋ネットワーク、頼る**」
「**だね**」
「**並行で、王都の異変も、追う**」
「**だな**」
「**長期戦**」
「**長期戦**」
「**腰、据える**」
エルナが頷いた。
それからリントに言った。
「**ヴェルガ村、また、行く?**」
「**いずれ**」
「**村人、戻せない、と、ユミルちゃん、言った**」
「うん」
「**……**」
「**つらいな**」
「**つらい**」
リントが息を吐いた。
それからぽつりと言った。
「**でも、これ以上、増やさない**」
「**だな**」
「**それが、俺たちの、仕事**」
「**仕事**」
エルナが頷いた。
ユミルが横でそれを聞いていた。
ユミルがぽつりと言った。
「**リン様**」
「ん」
「**ヴェルガ村の皆様、戻せませんが**」
「うん」
「**機能、維持できます**」
「機能?」
「**生活できる状態に、保てます**」
「**でも、人格、戻らない**」
「**戻りません**」
「**それは、生きてる、と、言えるのか**」
ユミルが少し止まった。
それからぽつりと言った。
「**……分かりません**」
「**分からない**」
「**でも、機能、維持、しないと、滅びます**」
「うん」
「**生きてる、と言えるか、別の問題**」
「だな」
「**一緒に、考えましょう**」
「**……うん**」
リントが頷いた。
エルナが横でそれを聞いていた。
エルナがぽつりと言った。
「**重い話、だな**」
「**だな**」
「**でも、向き合うしか、ない**」
「**ない**」
エルナがエールを飲んだ。
リントもエールを飲んだ。
ユミルもエールを飲んだ。
三人が黙ってエールを飲んだ。
無言の、長い間。
外で、雨上がりの鳥の声が聞こえてきた。
王都の朝が静かに進んでいた。
※
エルナが立ち上がった。
「**あたし、ちょっと、出る**」
「どこに」
「**スカディ家**」
「実家か」
「**うん**」
「**何しに**」
「**親父に、相談**」
「お父上に」
「**騎士団、何か、知ってるかも**」
「だな」
「**情報、集める**」
「うん」
「**夜、戻る**」
「**了解**」
エルナがフードを被った。
それからリントとユミルを見た。
「**あんたら、午後、何する**」
「**休む**」
「**だな**」
「**昨日、疲れた**」
「**休め**」
「**お前も、休め**」
「**親父に会ってから、休む**」
「**頼む**」
エルナが頷いた。
それから霜花亭を出た。
戸が閉まった。
リントとユミルが二人だけになった。
ファーファがユミルの肩から、机の上に降りてきた。
「**主、ユミル、独占ニャ**」
「**今は、黙れ**」
「**……承知ニャ**」
「**……うそ、ジャーキー、所望ニャ**」
「**お前、すぐ、戻すな!**」
ファーファが目を細めた。
ユミルが声を出して笑った。
リントも笑った。
二人で笑った。
笑った後、リントがユミルを見た。
「ユミル」
「はい」
「**お前、昨日、震えた**」
「うん」
「**まだ、震えてるか**」
「**……少し**」
「**何を、感じた**」
ユミルが少し止まった。
それからぽつりと言った。
「**リン様**」
「ん」
「**お話、後で、します**」
「**今は、駄目か**」
「**まだ、整理、ついていません**」
「うん」
「**整理、ついたら、お話、します**」
「**待つ**」
「**ありがとう、ございます**」
ユミルが頭を下げた。
リントが息を吐いた。
——お前、整理ついてない。
——それだけ、衝撃だった。
——……。
——待つ。
——お前の、ペースで。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルの肩に軽く手を当てた。
ユミルが、ぱちぱち、と瞬きした。
「リン様」
「ん」
「肩」
「分かってる」
「珍しい」
「うるさい」
「ありがとう、ございます」
ユミルが小さく笑った。
リントがすぐに、手を外した。
それからエールを、また飲んだ。
ユミルもエールを飲んだ。
ファーファが机の上で、ジャーキーを噛んでいた。
「**美味しいニャ**」
「**お前、いつものペース、だな**」
「**ペースニャ**」
「**お前、空気、読まないな**」
「**読まないニャ**」
「**だろうな**」
ユミルが、また笑った。
笑い声が、霜花亭の静かな食堂に広がった。
その下で。
何かが動き始めていた。
ユミルだけが感じていた。
リントも、わずかに感じていた。
でも、二人とも口に出さなかった。
ただエールを飲み、笑い、平和な午前を過ごした。
平和は有限だった。
そのことを、二人とも知っていた。
知った上で、今この瞬間を大事にしていた。
歯車は確実に動き始めていた。
第五部、転換点。
平和の終わりが、すぐそこまで来ていた。
※
——第七十七章、了。
——第五部、完結。




