077 遠くの気配
雨が降り始めていた。
最初は、ぽつり、ぽつりだった。
馬を進めるうち、しっかりとした雨に変わった。
ユミルが後ろから、ローブのフードを被せてくれた。
リントの分も、持ってきていた。
「リン様、ご自身がお忘れです」
「だな」
「私が、被せます」
「頼む」
ユミルがリントの頭にフードを被せた。
それから、自分のフードを被った。
「**雨、本降りに、なります**」
「うん」
「**北、急ぎましょう**」
「うん」
エルナが先頭を進んでいた。
ミラとシオンが続いた。
リントとユミルの馬がその後ろ。
ルークが最後尾。
馬の蹄が泥を跳ねた。
街道を外れた。
ユミルの感じる方向、北へ。
道はなくなった。
草地と、低い丘の連なる地形。
雨で視界が悪い。
エルナが地図を確認しながら進んだ。
「リント君」
「ん」
「**この方角、何かあったかな**」
「ない、と思う」
「**地図にも、ない**」
「だな」
「**人の住んでない場所**」
「うん」
「**怪しい**」
「だな」
エルナが頷いた。
ミラが横でぽつりと言った。
「**情報屋ネットワーク、こんな場所、聞いてない**」
「うん」
「**人が来ない、場所には、何もない**」
「だな」
「**でも、何かが、ある**」
「ある」
ミラが頷いた。
シオンが横で杖を握り直した。
「**魔力の、痕跡、感じます**」
シオンが言った。
「シオン、感じるか」
「微弱、です。でも、確かです」
「方向」
「**ユミルさんの、感知、と、同じ**」
「だな」
シオンが頷いた。
ユミルが後ろからリントに、小声で言った。
「リン様」
「ん」
「**シオン様、感じています**」
「うん」
「**シオン様の、感度、上がっています**」
「上がってる?」
「**前より、ずっと**」
「なぜ」
「**塔で、修行、されているから**」
「うん」
「**または、**敵**が、強くなって、近くなっているから**」
「……」
「**両方、かも、しれません**」
ユミルが小声で続けた。
リントが少し止まった。
——シオン、塔で伸びてる。
——でも、敵も、強くなってる。
——どっちかは、分からない。
——……。
——両方、かもしれない。
リントが息を吐いた。
ユミルがリントの背中に、軽く額を当てた。
雨がフードを叩いていた。
※
丘を一つ越えた。
向こうに、少し開けた窪地が見えた。
窪地の中央に、何かがあった。
低い石の構造物。
苔むした石。
人の手が入った痕跡があった。
シオンが先に気づいた。
「祠、です」
「祠?」
「**古い、祠**」
「うん」
「**村の鎮守、ではないでしょう**」
「では」
「**もっと、古い、もの**」
シオンが言った。
エルナが地図を見直した。
「**地図に、載ってない**」
「だな」
「**こんな、近くに、あるとは**」
「うん」
エルナが眉を寄せた。
ミラが横で息を吐いた。
「**祠、だけ、なら、いいけど**」
「ん?」
「**こういう祠の、下、何かあること、多い**」
「下?」
「**遺跡、地下室、井戸**」
「だな」
「**情報屋として、よく聞く**」
「うん」
ミラが頷いた。
リントがユミルを見た。
ユミルが頷いた。
「リン様」
「ん」
「**ここ、です**」
「ここ」
「**気配の、源**」
「うん」
「**でも、本体、ではありません**」
「では」
「**痕跡を、残しているもの**」
「だな」
「**犯人、ここに、いた、かも、しれません**」
「いた?」
「**今は、いない**」
「うん」
「**でも、来るかも、しれません**」
ユミルが続けた。
リントが息を吸った。
「皆」
リントが声をかけた。
「ん」
「**ここが、源だ**」
「うん」
「**でも、本体は、いない**」
「うん」
「**手がかりだけ、ある、らしい**」
「だな」
「**慎重に、見る**」
エルナが頷いた。
「皆、馬、降りる」
「うん」
六人が馬から降りた。
馬を低い木に繋いだ。
ファーファがユミルの肩で、姿勢を低くしていた。
「**主、空気、変ニャ**」
「うん」
「**ここ、何か、いたニャ**」
「お前、感じるか」
「**感じるニャ**」
「**何か、分かるか**」
「**分からないニャ**」
「**だろうな**」
ファーファが目を細めた。
リントが弓を背中から下ろした。
矢を一本つがえた。
警戒した姿勢。
ルークが横で剣を抜いた。
エルナも両手剣を構えた。
ミラが短剣を手にしていた。
シオンが杖を構えた。
ユミルがリントの後ろに立った。
「**何かあれば、私が、ファイアウォール、展開します**」
「うん」
「**皆、私の、後ろに**」
「分かった」
リントが頷いた。
雨が視界を、わずかに滲ませていた。
※
祠に近づいた。
低い石の構造物だった。
正面に、小さな入口。
人ひとり、潜って入れる程度の大きさ。
中は暗かった。
エルナが先に覗き込んだ。
「**狭い**」
「中、何かあるか」
「**石の、台**」
「台」
「**何か、置いてあった、跡**」
「うん」
「**今は、空**」
「だな」
エルナが顔を引き出した。
シオンが続いて覗き込んだ。
杖の先に、小さな光を灯した。
光が祠の中を照らした。
シオンが息を吸った。
「**……これ**」
「シオン」
「**石の台に、紋様**」
「紋様」
「**遺跡で、見たもの、と、似ています**」
リントが少し止まった。
「シオン、確かか」
「**確認、必要、です**」
「うん」
シオンが祠の中に、もう少し身を入れた。
杖の光が紋様を照らした。
シオンが姿勢を低くして、紋様をスケッチし始めた。
ユミルがリントの隣で、それを見ていた。
ユミルがリントに、小声で言った。
「リン様」
「ん」
「**シオン様、見せてくださると、後で、分かります**」
「うん」
「**でも、私、もう、分かります**」
「分かる?」
「**この紋様、白蛇の祭壇、で、見たもの**」
「だな」
「**同じ、組織です**」
「同じ」
「**間違いなく**」
「うん」
ユミルが頷いた。
リントが息を吐いた。
——白蛇の祭壇。
——王都近郊の、最初の遺跡。
——影、と、戦った。
——金属の破片、エルナが見つけた。
——あれと、同じ。
——同じ、組織。
——王都の異変も、この村も、同じ。
——……。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルの手を軽く握った。
ユミルがリントの手を握り返した。
ファーファがユミルの肩で、それを見ていた。
「**主、ユミル、独占ニャ**」
「**今は、黙れ**」
「**……承知ニャ**」
ファーファが目を細めた。
それから、姿勢を低くしたまま警戒を続けた。
※
シオンが祠から出てきた。
スケッチを皆に見せた。
「**紋様、複雑です**」
「うん」
「**でも、白蛇の祭壇の、ものと、近い**」
「だな」
「**断定は、まだ、できません**」
「分かった」
「**塔に、戻って、過去の記録と、照合、必要**」
「頼む」
シオンが頷いた。
エルナがそれを見ていた。
エルナの顔が険しかった。
「リント君」
「ん」
「**白蛇の祭壇と、同じか**」
「うん」
「**つまり、同じ組織が、ここにも来てた**」
「うん」
「**広がってる**」
「広がってる」
「**……**」
エルナが息を吐いた。
それから、ぽつりと言った。
「**三年前、と、似てきた**」
「だな」
「**でも、まだ、確証ない**」
「うん」
「**でも、嫌な予感する**」
「うん」
エルナが拳を軽く握った。
リントがそれを見ていた。
ミラが横で、エルナの肩を軽く叩いた。
「エルナ」
「ん」
「**焦るな**」
「焦ってない」
「**焦ってる**」
「……うん」
「**今度は、独りじゃない**」
「**だな**」
ミラが頷いた。
エルナがミラの肩を、軽く叩き返した。
ルークが横でそれを見ていた。
ルークがリントに、小声で言った。
「リント」
「ん」
「**エルナさん、何の話、してる**」
「うん」
「**俺、聞いていいのか**」
「**いずれ、話す**」
「だな」
「**今は、聞くな**」
「分かった」
ルークが頷いた。
それから、剣を握り直した。
警戒の姿勢を保った。
※
ユミルがふと、空を見上げた。
雲が低く流れていた。
ユミルの目が、わずかに止まった。
それから、目を閉じた。
長い瞬きだった。
リントが横でそれを見ていた。
——お前、感じてる。
——……何か、新しいもの。
——気をつけろ。
ユミルが目を開けた。
ユミルがリントに、小声で言った。
「リン様」
「ん」
「**……強いです**」
「強い?」
「**何か、強い、何か**」
「うん」
「**形、見えません**」
「うん」
「**でも、近づいて、きています**」
リントが止まった。
「近づく?」
「**ゆっくり**」
「うん」
「**でも、確実に**」
「だな」
「**気配だけ、です**」
「うん」
「**本体、まだ、遠い**」
ユミルが続けた。
それから、もう一度、目を閉じた。
——……何だ、これは。
——書き換えの、犯人、では、ない。
——もっと、上。
——もっと、深い、何か。
——……。
——……まさか。
ユミルの目が、わずかに震えた。
リントがそれを見逃さなかった。
「ユミル」
「はい」
「**お前、今、震えた**」
「**……はい**」
「**何だった**」
「**……分かりません**」
「**分からない?**」
「**形、見えない、けど、知っている、気配**」
「**知っている**」
「**……**」
ユミルが、口を閉じた。
それから、ぽつりと言った。
「**当たって、欲しくない、です**」
リントが息を止めた。
——お前、当たって欲しくない。
——お前が、そう言うときは。
——本当に、ヤバい時。
——……。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルの肩に、軽く手を当てた。
ユミルがぱちぱちと、瞬きした。
「リン様」
「ん」
「肩」
「分かってる」
「ありがとう、ございます」
ユミルが小さく笑った。
でも、目は笑っていなかった。
ファーファがユミルの肩で、目を見開いていた。
「**主の主、何か、怖いものニャ**」
「うん」
「**我にも、感じるニャ**」
「お前にもか」
「**遠いニャ。でも、嫌な気配ニャ**」
「だな」
ファーファが姿勢を、低くしたまま固まった。
リントが頷いた。
それから、皆を振り返った。
「皆」
「ん」
「**戻る**」
「もう?」
「**ここで、これ以上、収穫、ない**」
「うん」
「**祠、紋様、確認した**」
「だな」
「**塔で、照合、する**」
「うん」
「**今日は、ここまで**」
エルナが頷いた。
ミラもシオンもルークも、頷いた。
ファーファだけがユミルの肩で、警戒を続けていた。
——主、決断、早いニャ。
——主、感じてるニャ。
——主の主、当たって欲しくない、と言ったニャ。
——……それ、本気のヤバさニャ。
ファーファは口に出さなかった。
ただ、ユミルの肩で姿勢を、より低くした。
※
馬に戻った。
雨が強くなっていた。
王都への帰り道。
道中、ほとんど無言だった。
馬の蹄の音と雨の音だけが、続いていた。
ユミルが後ろからリントの腰に、軽く手を回していた。
その手が、わずかに震えていた。
リントは何も言わなかった。
ただ、馬を進めた。
エルナが先頭を進んでいた。
エルナの背中も、いつもより硬かった。
——三年前、と、似ている。
——でも、違う。
——今度は、独りじゃない。
——……仲間が、いる。
エルナは口に出さなかった。
ただ、馬を進めた。
ミラが横でエルナを見ていた。
ミラがエルナの背中に、視線を送り続けていた。
——エルナ、独り、にしない。
——あんたが、また、壊れないように。
——あたしが、見てる。
ミラも口に出さなかった。
シオンが後ろで、スケッチをローブで包んでいた。
雨で濡らさないように。
ルークが最後尾で、警戒を続けていた。
慣れない警戒だった。
でも、必死に続けていた。
リントがそれを、後ろからの気配で感じていた。
——兄貴、初依頼で、これか。
——きついだろうな。
——でも、ついてきてくれてる。
——……。
——ありがとう。
リントは口に出さなかった。
ただ、馬を進めた。
王都が、見えてきた。
雨が、わずかに弱まっていた。
でも、雲はまだ低かった。
低い空の下を、六人と一匹が戻っていった。
※
王都の門を抜けた。
霜花亭に戻った。
馬を返した。
濡れた装備を外した。
女将が見て、心配した。
「あんたら、ずぶ濡れ」
「だな」
「**何があった**」
「依頼」
「依頼?」
「**長くなる**」
「**後で、聞く**」
「うん」
女将が頷いた。
それから、温かいスープを皆に出してくれた。
六人が食堂で、スープを飲んだ。
無言で飲んだ。
ファーファがユミルの隣で、シチューの肉を食べていた。
「**美味しいニャ**」
「うん」
「**主の主、温まるニャ**」
「うん」
ユミルがファーファの背を撫でた。
ファーファが目を細めた。
その目を、ユミルが見ていた。
ユミルの目に、まだわずかな揺らぎがあった。
リントがそれを、見ていた。
——お前、戻ってきても、まだ。
——震えてる。
——……。
——何を、感じたんだ。
——……いつか、聞こう。
——でも、今日は、聞かない。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルの隣でスープを飲んだ。
雨がまだ、外で降っていた。
王都の夜が、低い空の下に降りてきていた。
※
——第七十六章、了。




