076 違和感
ヴェルガ村。
入口の二人が、こちらを見ていた。
でも、声をかけてこなかった。
エルナが先に馬を降りた。
「お疲れ様、村の方ですか」
エルナが声をかけた。
二人がゆっくり振り向いた。
「……はい」
「あたしら、王都のギルドから来ました。調査依頼で」
「……はい」
「町長さん、いらっしゃいますか」
「……町長」
「ガルドさん」
「……ガルド、家、奥」
「ありがとうございます」
二人がもう、こちらを見なかった。
また、農作業の道具を抱え直して、畑の方へ向かい始めた。
笑顔もなく。
不機嫌でもなく。
ただ、淡々と動いていた。
リントが横でそれを見ていた。
ユミルが後ろで息を止めていた。
——会話、最低限。
——内容、答えだけ。
——それ以上、何も、出てこない。
——感情、ない。
リントは口に出さなかった。
ユミルがリントの腰を軽く握り直した。
ミラが横でぽつりと言った。
「……あたし、こういうの、初めて見た」
「ミラ」
「ん」
「**お前の情報屋ネットワーク、見抜けなかった?**」
「噂は来てた、けど、ここまでとは」
「だな」
「**村人、全員、こうなのか?**」
「確認、これからだ」
「うん」
ミラが少し顔を強張らせた。
シオンが横で自分の杖を握り直していた。
「……三百年前の記録、近いです」
シオンが小声で言った。
「シオン、続けろ」
リントが促した。
「**集団的、人格希薄化**。記録に、そうありました」
「希薄化」
「人格そのものは消えていません。**極端に薄まっている**」
「うん」
「機能だけが、残されています」
「機能」
「農作業、家事、最低限の応答。**主体性が、ない**」
「だな」
「これは、**書き換えではなく、抽出、です**」
「抽出?」
「**人格の核を、抜かれている**」
リントがユミルを見た。
ユミルが後ろからシオンを見ていた。
ユミルが小さく頷いた。
——シオン様、近い。
——でも、まだ、外側。
——抽出、半分、当たり。
——もう半分、見えていない。
ユミルは口に出さなかった。
※
馬を村の入口の柵に繋いだ。
六人と一匹が村の中へ入った。
村は表面上、普通だった。
家から煙が上がり、犬がどこかで吠えていた。
子供の姿も、あった。
子供は地面に座って、棒で絵を描いていた。
でも、笑い声が、なかった。
歌声も、なかった。
子供がふと、こちらを見た。
リントと目が合った。
子供の目が空ろだった。
ユミルがリントの背後で、わずかに息を止めた。
リントが足を止めた。
「兄貴」
「ん」
「**子供も、これか**」
「子供も」
「**酷いな**」
「酷い」
ルークがそれを見ていた。
ルークの顔が強張った。
剣の柄に手が行っていた。
「ルーク様」
ユミルが、声をかけた。
「はい」
「**剣、抜かないで、ください**」
「うん」
「**敵、見えていません**」
「うん」
「**今は、観察、です**」
「分かった」
ルークが剣の柄から手を離した。
エルナが横でそれを見ていた。
エルナが小さく頷いた。
「ルーク君、聞き分け、いいね」
「ありがとう、ございます」
「いい兵隊、になる」
「光栄、です」
「**でも、剣、抜きたくなる気持ち、分かる**」
「……はい」
「**抜いても、解決しないのが、こういう敵**」
「肝に、銘じます」
エルナが頷いた。
それから、町長の家と教えられた方角へ歩き出した。
※
町長の家。
村の奥にあった。
少し大きめの、木造の家。
戸をエルナが叩いた。
「ガルドさん、いらっしゃいますか」
返事が、なかった。
もう一度叩いた。
「ガルド・ボスマンさん、王都ギルドの調査隊です」
返事が、なかった。
エルナが少し戸を押した。
戸は開いていた。
開いた向こうに男が座っていた。
中年のがっしりした男。
椅子に座って、机の上の紙束を見ていた。
紙束をめくる手だけが動いていた。
リントたちが入ってきても、顔を上げなかった。
「ガルドさん」
エルナが、声をかけた。
男がゆっくり顔を上げた。
「……どなた」
「王都ギルドから、調査に」
「……調査」
「依頼、出しましたよね」
「……」
「行商人の、報告で」
「……」
男がしばらくエルナを見ていた。
それからぽつりと言った。
「**ああ、出した**」
「はい」
「**でも、解決した**」
エルナが止まった。
「解決?」
「**村は、平和、です**」
「ガルドさん」
「**皆、健康、です**」
「ガルドさん、目」
「**目?**」
「**焦点、合ってない**」
男が瞬きをした。
それからまた、紙束を見始めた。
「**忙しい、ので、お引き取り、ください**」
エルナが横のリントを見た。
リントが男を見ていた。
ユミルがリントの後ろから男を見ていた。
シオンがぽつりと言った。
「ガルドさん、**最後に笑ったのは、いつですか**」
男がまた顔を上げた。
「**笑う?**」
「はい」
「**……分からない**」
「分からない」
「**笑う、必要、ありません**」
「ない」
「**村は、機能している**」
シオンが姿勢を整えた。
「ガルドさん、**機能と、生きることは、違います**」
「**違う?**」
「はい」
「**機能、している、のに**」
「**生きるには、足りません**」
男が少し止まった。
それからまた、紙束を見始めた。
「**忙しい**」
シオンが息を吐いた。
それから後ろのリントを振り返った。
「リントさん、**全員、こうです**」
「だろうな」
「**この村、全員**」
「うん」
「**根、深いです**」
「うん」
ユミルが横でそれを聞いていた。
ユミルがぽつりと言った。
「リン様」
「ん」
「**外、出ましょう**」
「うん」
「**この家、長居、危険**」
「危険?」
「**……はい**」
リントがユミルを見た。
ユミルの顔が、いつもより硬かった。
ファーファがユミルの肩で目を見開いていた。
——主の主、緊張、しているニャ。
——いつもの、緊張、と、違うニャ。
——これは、怖いニャ。
ファーファは口に出さなかった。
ただ、ユミルの肩で姿勢を低くした。
リントが頷いた。
「皆、出よう」
「うん」
「町長、また、後で」
エルナが頷いた。
六人と一匹が町長の家を出た。
戸を閉めた。
中で、紙束をめくる音が続いていた。
※
村の中央、井戸の近く。
人気が少なかった。
リントたちがそこに集まった。
ユミルがリントの腕を軽く引いた。
「リン様」
「ん」
「**少し、離れて、お話、します**」
「うん」
リントとユミルだけ、井戸からさらに少し離れた。
他の四人と一匹は、井戸の近くで待っていた。
エルナがそれを見ていた。
「ミラ」
「ん」
「**ユミルちゃん、リント君だけに、話、ある**」
「だね」
「**ヤバい話、っぽい**」
「だね」
「**あたしら、聞かない、方が、いい**」
「だね」
エルナと、ミラと、シオンと、ルークが、頷いた。
ファーファだけが、ユミルの肩からリントの肩に移った。
「**主、我は、聞くニャ**」
「お前、聞いてもいいのか」
「**主の主、我には、隠さないニャ**」
「だな」
リントが頷いた。
ユミルがリントの正面に立った。
それから小声で言った。
「リン様」
「ん」
「**この人たち、書き換え、では、ありません**」
リントが止まった。
「書き換え、じゃない?」
「**違います**」
「では」
ユミルが息を吸った。
それから言った。
「**プログラムが、書き換えられています**」
リントが少し止まった。
「……」
「**でも、書き換えというより、消されています**」
「消された?」
「**人格を構成する、コード、削除されています**」
「削除」
「**機能だけが、残されています**」
「うん」
「**書き換えるより、軽い操作です**」
「軽い?」
「**人格を、新しく書く必要、ありません**」
「うん」
「**ただ、削るだけ**」
「だな」
「**でも、その分、戻せません**」
リントが止まった。
「戻せない?」
「**書き換えなら、上書きで戻せます**」
「うん」
「**でも、削除は、削除元、ありません**」
「だな」
「**この人たち、戻せません**」
リントが、息を、止めた。
「全員」
「**全員**」
「八十人」
「**八十人**」
「……」
「**子供も、含めて**」
「……」
リントが井戸の方を見た。
子供がまだ、地面に絵を描いていた。
その手は淡々と動いていた。
笑顔は、なかった。
——……。
——子供。
——戻らない。
——……。
——ガキ、絵、描いてる。
——でも、描いてるだけ。
——楽しさ、ない。
——……。
リントが拳を握った。
ユミルがその拳に、軽く手を添えた。
「リン様」
「ん」
「**お気持ち、分かります**」
「うん」
「**でも、私たち、できること、ある、です**」
「ある?」
「**犯人、捕まえる、こと**」
「うん」
「**これ以上、被害、増やさない、こと**」
「うん」
「**それ、私たちの、仕事**」
リントがユミルを見た。
ユミルの顔がまっすぐだった。
——お前、こういう時。
——揺るがないな。
——いつも、選択肢を、出してくれる。
——……。
——分かった。
リントが頷いた。
「ユミル」
「はい」
「**犯人、捕まえる**」
「**はい**」
「**手がかり、探そう**」
「**はい**」
「**お前、何か、感じるか**」
ユミルが少し止まった。
それから空を見上げた。
雲が低く流れていた。
ユミルが目を閉じた。
一拍。
二拍。
ユミルの耳がわずかに傾いた。
それから目を開けた。
「**……感じます**」
「うん」
「**村の、北側**」
「北」
「**何か、強い、気配**」
「強い」
「**でも、形、見えません**」
「だな」
「**遠い、です**」
「どのくらい」
「**……分かりません**」
ユミルが顔をリントに戻した。
「**でも、これ、人格、削った、何か、です**」
「犯人」
「**犯人、本人、ではないかも、しれません**」
「では?」
「**痕跡、残しているもの**」
「うん」
「**そこに、行けば、何か、分かります**」
「行こう」
リントが頷いた。
ユミルが、頷いた。
ファーファがリントの肩で目を開けていた。
「**主、北、ニャ**」
「うん」
「**我は、ついてくニャ**」
「ついてくな、お前、戦闘で使えない」
「**戦闘、しないニャ。観察、するニャ**」
「観察」
「**主、ご家族、観察、得意ニャ**」
「**お前、その理由、毎回かよ!**」
ファーファが目を細めた。
ユミルが声を出して笑った。
笑った後、ユミルの顔がまた硬くなった。
リントがそれを見ていた。
——お前、笑ったあと。
——すぐ、戻る。
——緊張、抜けてない。
——それだけ、ヤバい、ってことだ。
リントは口に出さなかった。
ただ、ユミルの肩を軽く叩いた。
ユミルが、ぱちぱち、と瞬きした。
「リン様」
「ん」
「肩」
「分かってる」
「珍しい」
「うるさい」
「ありがとう、ございます」
ユミルが小さく笑った。
リントはすぐに、手を外した。
それから井戸の方へ戻った。
四人が待っていた。
「皆」
リントが言った。
「ん?」
「**村の、北、行く**」
「北?」
「**手がかり、ある**」
「だな」
エルナが、頷いた。
ミラとシオンとルークも頷いた。
「行こう」
エルナが、馬を繋いだ場所へ歩き出した。
ファーファがユミルの肩に戻った。
「**主、ジャーキー、所望ニャ**」
「お前、こんな時に」
「**緊張、和らげるニャ**」
「お前、そういう、配慮、できるんだな」
「**できるニャ**」
「**ありがとう**」
リントがジャーキーを一切れ、ファーファに渡した。
ファーファが、ぱくりと食べた。
「**美味しいニャ**」
「**緊張、和らいだか**」
「**ニャ**」
「**答えになってない**」
ユミルが横で、また笑った。
笑い声が、村の中央にわずかに響いた。
でも、村人は誰も振り向かなかった。
その無反応が、村の異常さを際立たせた。
リントがそれを感じていた。
ユミルも感じていた。
二人で、馬の方へ戻った。
雨の最初の一滴が、頬に落ちた。
※
——第七十五章、了。




