007 道 後編
秋の街道だった。
朝の日差しが、二人の肩に落ちていた。
街道はまっすぐでも蛇行でもなく、ゆるく曲がりながら、北へ伸びていた。
両脇に畑が広がっていた。
刈り取りの済んだ畑。まだの畑。藁の山。
遠くに林。
空は薄い青。
雲が一つ、二つ、浮いていた。
リントは歩いていた。
ユミルも歩いていた。
足音が二つ、土の上で鳴っていた。
歩く速さは、ほぼ同じだった。
百年前、画面の中のカーソルの明滅だけが、二人のやり取りのリズムだった。
今は、足音が二つ。
「リン様」
「ん」
「……広い、ですね」
「ああ」
「百年ぶり、です」
「……そうか」
ユミルは前を見ていた。
リントは、それ以上、何も聞かなかった。
※
半刻ほど歩いた頃だった。
ユミルが道端で、少し立ち止まった。
「リン様」
「ん」
「これは、昔、なかったです」
ユミルが指差した先に、背の低い紫色の花が、群れて咲いていた。
リントは少し屈んで、それを見た。
「なかったって、百年前?」
「はい」
「……じゃあ、最近?」
「最近、ですね」
「誰が、植えた?」
「……分かりません」
「自生?」
「可能性は、あります」
リントはもう一度、その花を見た。
どこにでもありそうな、地味な花だった。
「これが、なかった頃って、どんな、だったの」
「……もっと、茶色、でした」
「茶色」
「この、道の、両脇、全部、茶色、でした」
「……今は、紫、なのか」
「紫、です」
リントは立ち上がって、街道を見渡した。
紫の花が、あちこちで咲いていた。
気にしなければ、景色の一部だった。
気にすれば、百年の変化だった。
「ユミル」
「はい」
「……百年って、長いな」
「はい」
「長いよな」
「はい」
ユミルはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、もう一度その紫の花を見てから、歩き出した。
リントも、続いて歩き出した。
※
昼前、二人は倒木に腰を下ろした。
街道の脇、少し開けた場所に、大きな倒れた木があった。
リントは背嚢を下ろして、母のパンを取り出した。
「食うか」
「いただきます」
二つに割って、半分をユミルに渡した。
「ありがとうございます」
ユミルはパンを手に取った。
少し、見つめた。
それから、一口、食べた。
「……」
「どうだ」
「美味しい、です」
「だろ」
「……はい」
ユミルはもう一口、食べた。
少しだけ、ゆっくり噛んでいた。
リントも食べた。
母のパンだった。
いつもの味。
「y」
「はい」
「このパン、何、入ってる」
忙しい時の癖が出た。
ユミルは少しだけ嬉しそうに、口の動きを止めた。
「ハーブです」
「うん」
「数種類、配合されています」
「やっぱり」
「ローズマリー、タイム、あと、オレガノに、似た、この地方の、香草」
「三種類?」
「四種類です」
「四種類?」
「はい」
「母さん、そんな、凝ってたのか」
「……お母様の、オリジナルレシピ、と、推測します」
リントはパンをもう一口、食べた。
四種類のハーブが入っていると分かって、食べた。
……味は、よく分からなかった。
「……俺、舌、バカだな」
「そんなことは、ありません」
「分かんないぞ、四種類とか」
「舌は、関係、ありません」
「じゃあ、何、関係ある?」
「……愛情、かも、しれません」
リントはユミルを見た。
ユミルはパンを見ていた。
「……お前、変わったな」
「はい」
「百年前、そんなこと、言わなかった」
「はい」
「合理のほうが、好きだったよな」
「はい」
「……」
「リン様」
「ん」
「合理、今でも、好きです」
「……そうか」
「でも」
「うん」
「……愛情も、データ、です」
リントは笑った。
「それは、お前らしい」
「はい」
二人、同時にパンを食べた。
秋の風が、倒木の上を抜けていった。
※
午後、歩き続けた。
太陽が、少しずつ傾いていった。
歩きながら、リントは家族の話をした。
父のこと。
母のこと。
兄のこと。
父は、三言しかしゃべらなかった話。
母が、念のための塊だった話。
兄が、朝、素振りに行っていた話。
二回、朝食を取っていた話。
ユミルは、歩きながら頷いていた。
ずっと頷いていた。
嬉しそうに頷いていた。
リントは、それに気づいていた。
気づいていたが、何も言わなかった。
ただ、家族の話を続けた。
話すことが、いくらでもあった。
※
会話は、途切れ途切れにあった。
ユミルが薬草を見つけた。
「これは、腹痛に、効きます」
「覚えとく」
ユミルが別の草を見つけた。
「これは、毒です」
「覚えとく」
ユミルがまた、別の草を見つけた。
「これは、美味しい、です」
「覚えとく」
「食べますか」
「後で、な」
「はい」
歩きながら、知識が一つずつ、リントの中に降り積もっていった。
百年、ユミルがこの世界で覚えてきたことの、ほんの一部だった。
※
「ユミル」
「はい」
「ラウンドローズ、どんな、所、だろうな」
「知りません」
「お前、百年いたのに?」
「森から、出ていません」
「あ、そっか」
「はい」
「じゃあ、俺たち、二人とも、初めて、か」
「……はい」
ユミルが少し笑った。
「二人とも、初めて、ですね」
第五章の縁側で交わした言葉と、同じだった。
リントも気づいた。
気づいたが、言わなかった。
ただ、少しだけ歩く速度が揃った気がした。
※
午後も深くなってきた頃だった。
太陽が西に傾いて、二人の影が長く、前に伸びていた。
街道の先に、林が見えてきていた。
その手前で、ユミルが急に立ち止まった。
「リン様」
声が低かった。
リントは立ち止まった。
「どうした」
ユミルは、少し耳を澄ましていた。
「……剣戟、です」
「え」
「魔物との、戦闘音」
リントは息を止めた。
ユミルが林の方向を見ていた。
「距離、約三百メートル」
「敵、何?」
ユミルが目を細めた。
「……コボルト、です」
「コボルト?」
「亜人型の、小型の、群れで動く、魔物です」
「数」
「七、八体」
「人間は?」
「……一人、男性、成人前、負傷、重傷寸前」
リントは弓に手をかけた。
「コボルト、この辺、出るの?」
「……稀、です」
ユミルの声が、少しだけ硬かった。
「最近、森の、境界が、動いています」
「……それ、後で、聞く」
「はい」
「行くぞ」
「はい」
二人、駆け出した。
街道をそれて、林の手前へ。
叫び声が近づいてきた。
男の若い声だった。
まだ戦っていた。
「ユミル」
「はい」
「コボルト、何で、襲ってる」
ユミルが走りながら答えた。
「……食料を、狙っている、と、推定します」
「食い物、か」
「はい」
ユミルが走りながら、一度、小さく頷いた。
リントはユミルの横顔を見た。
ユミルは前を見ていた。
「……y」
「はい」
「お前、もしかして、腹、減ってんの?」
「……リン様」
「ん」
「急ぎましょう」
「了解」
二人、さらに速度を上げた。
林の枝をかき分けて走った。
叫び声が大きくなった。
金属の音が、すぐそこで響いていた。
リントは弓に矢をつがえた。
※
――第六章・後編、了。




