表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/204

006 道 前編


秋の、夕暮れだった。

アルビオン家の、リントの部屋の、床には、いろいろなものが、並んでいた。

「リント、これも、入れておきましょう」

「母さん、多いって」

「念のため、ですよ」

母は、小さな布袋に、干した薬草を、詰めていた。

リントの背嚢は、すでに、半分、膨らんでいた。着替え、保存食、包帯、火打石、ろうそく、予備の弓弦、紙、ペン、針と糸、それから、なぜか、果物の砂糖漬け。

「母さん、これは、いらない」

「甘いもの、あると、安心しますよ」

「俺、そんなに食べないし」

「ユミル様の、お茶の、お供に」

「……」

リントは、果物の砂糖漬けを、そっと、戻した。

母は、戻されたことに、気づかないふりをして、別の、もっと大きな、布包みを、持ってきた。

「これも、ね」

「何、それ」

「油と、小麦粉と、肉と、ハーブ」

「……全部?」

「はい」

「母さん、これ、重いよ」

「でも、温かいもの、食べたいでしょう」

「野営で、そんな、ちゃんと、作れないよ」

「作れますよ」

「……作れないよ」

「フライパンも、入れておきますね」

「増やすのかよ」

「念のため、です」

「……」

リントは、諦めた。

母の、念のため、には、勝てない。

小麦粉の袋を、布で包み、油の小瓶を、その横に、肉は、塩漬けにしたものを、ハーブは、乾燥させたものを、ひとまとめにして、リントの背嚢の、底の、ほうに、押し込んだ。

ずしり、と、背嚢が、重くなった。

「温かいもの、食べるんですよ」

「……うん」

「ユミル様にも、ちゃんと、作ってあげるんですよ」

「……俺、料理、そんな、得意じゃないけど」

「大丈夫、です」

母は、にっこり、笑った。

「リントの料理、ユミル様、きっと、喜んでくれますから」

リントは、返事を、しなかった。

ただ、母の、念のため、の、重さが、旅に出る前から、すでに、肩に、乗っていた。

     ※

「あ、リント様、こちらに、いらっしゃいましたか」

襖が、開いた。

ユミルが、白いローブのまま、顔を、出した。

「母上様に、お手伝いを、と、伺いました」

「ユミル様、いえいえ、もう、半分は、終わっていますよ」

母は、ユミルを、見て、急に、少しだけ、姿勢を、正した。

「お役に、立てればと、思いまして」

ユミルは、部屋に、入ってきて、並んでいる荷物を、一通り、眺めた。

「……保存食、三日分。妥当です。着替え、二組。妥当です。包帯、十本。過剰です」

「え」

母が、目を、丸くした。

「二日の、旅程であれば、包帯は、三本で、十分です」

「でも、ユミル様、念のため」

「念のため、であれば、五本で、十分です」

「あ、はい」

母は、素直に、七本、抜いた。

リントは、その様子を、黙って、見ていた。

母の、念のため、は、母以外には、通じない、らしかった。

「ユミル様、こちらの、砂糖漬けは、いかがでしょう」

「おやつ、ですか」

「はい」

「いただきます」

「三つ、入れておきますね」

「はい」

母は、嬉しそうに、果物の砂糖漬けを、三つ、詰めなおした。

リントは、それも、黙って、見ていた。

母の、念のため、は、ユミルが相手だと、通る、らしかった。

     ※

その夜、リントは、早く、床に、入った。

部屋の、窓の外で、秋の虫が、鳴いていた。

明日、旅に、出る。

実感は、あまり、なかった。

ただ、背嚢の、膨らみだけが、この部屋の、片隅で、明日を、待っていた。

リントは、目を、閉じた。

母の、念のため、の、重さを、背負って、出発することに、なるのだった。

     ※

翌朝。

リントは、何かの気配で、目を、覚ました。

目を、開けた。

目の前に、ユミルの、顔が、あった。

近かった。

「……」

「おはようございます、リン様」

「……」

リントの、思考は、一秒ほど、止まった。

なにしてやがる、相棒。

そう、思った。

次に、

カワイイ顔して、やがる。

そう、思った。

どちらも、口には、出さなかった。

「……ユミル」

「はい」

「……なにしてんの」

ユミルは、少しだけ、首を、傾けた。

「寝顔、百年ぶり、なので」

「……」

リントは、天井を、見た。

秋の朝の光が、天井に、揺れていた。

百年ぶり、と、言われたら、もう、何も、言えなかった。

「……そう、か」

「はい」

「……おはよう」

「おはようございます」

ユミルは、少し、笑った。

リントも、仕方なく、笑った。

「リン様」

「ん」

「今日、出発、ですね」

「……そうだな」

「楽しみです」

「……」

リントは、布団から、出ようとして、ふと、襖の方を、見た。

襖が、少しだけ、開いていた。

その、隙間から、

父と、母の、顔が、見えていた。

「……」

「……」

「……」

三秒ほどの、沈黙が、あった。

父の、表情は、能面のように、静止していた。

母の、表情は、笑っているのか、泣いているのか、判別がつかなかった。

「……お、お、おはよう、ございます、リント」

先に、口を、開いたのは、母だった。

「……朝食、できてますよ」

「……うん」

「……ユミル様も、どうぞ」

「はい、母上様、ありがとうございます」

ユミルは、何食わぬ顔で、頭を、下げた。

父は、最後まで、何も、言わなかった。

ただ、一度だけ、

深く、息を、吐いた。

そして、静かに、襖を、閉めた。

閉める直前、父が、母の腕を、そっと、引いていた。

母が、まだ何か、言いかけて、父に、引っ張られていくのが、襖の、隙間から、見えた。

リントは、布団の上で、しばらく、動けなかった。

「……」

「……」

ユミルは、リントの、隣で、静かに、座っていた。

「……ユミル」

「はい」

「……これ、気まずいって、言うんだよ」

「……そう、なんですか」

「うん」

「……学習しました」

「する前に、言ってくれ」

「……すみません」

ユミルは、少しだけ、目を、伏せた。

でも、表情は、どこか、穏やかだった。

百年ぶりに、誰かに、気まずい、と、言われたのが、少しだけ、嬉しい、ような、顔だった。

     ※

朝食の席は、さすがに、少し、静かだった。

父は、いつもより、さらに、無口だった。

母は、いつもより、やけに、明るかった。

「リント、たくさん、食べるんですよ」

「……うん」

「道中で、お腹が、空きますからね」

「……うん」

「ユミル様も、遠慮なさらず」

「はい、ありがとうございます」

ユミルは、リントの、向かいに、座っていた。

ごく普通に、朝食を、食べていた。

朝、寝顔を、覗き込んでいた白いローブの少女が、今、普通に、パンを、ちぎっていた。

この家の、誰も、それに、触れなかった。

触れては、いけない、空気だった。

リントは、パンを、口に、運びながら、ふと、窓の外を、見た。

裏庭で、兄が、素振りを、していた。

秋の朝の、光の中、剣が、振られていた。

以前より、少しだけ、速かった。

リントは、何かを、言いかけて、やめた。

「……兄さんは、食べないの?」

「朝、早くから、稽古に、行きましたよ」

「……へえ」

「あの子、最近、よく、食べるの」

母が、嬉しそうに、言った。

「稽古の、前に、二回、朝食を、取って、出ていくんですよ」

「……二回」

「ええ」

「……」

リントは、もう一度、窓の外を、見た。

兄の素振りは、淀みなく、続いていた。

リントは、パンを、口に、運んだ。

母の作った、パンだった。

いつもの、味だった。

     ※

出発の、支度は、さほど、時間が、かからなかった。

背嚢は、昨日のうちに、母が、きっちり、詰めていた。

リントは、それを、背負った。

重かった。

「じゃ、行ってくる」

玄関先で、リントは、そう言った。

父は、頷いた。

母は、頷きながら、目を、潤ませていた。

「……母さん、泣くなよ」

「泣いてません」

「泣いてるじゃん」

「泣いてません」

母は、袖で、目元を、押さえていた。

「……二、三日で、帰るから」

「はい」

「……本当に、すぐ、帰るから」

「はい」

「……」

リントは、それ以上、何も、言えなくなった。

「リント」

父が、口を、開いた。

「はい」

「……気をつけて」

「……うん」

父は、それだけ、言った。

それから、背を、向けた。

父の背中は、少しだけ、丸く、見えた。

     ※

裏庭から、兄が、走って、来た。

息を、切らしていた。

「リント」

「兄さん」

「行くのか」

「行く」

「そうか」

兄は、リントの、肩を、叩いた。

叩いてから、少し、強すぎた、という顔を、した。

「……わるい」

「平気だよ」

「……気をつけろよ」

「うん」

「あと」

「ん?」

兄は、ユミルの方を、向いた。

「ユミル様」

「はい」

「弟を、お願いします」

ユミルは、深く、頭を、下げた。

「お任せ、ください」

兄は、満足そうに、頷いた。

それから、リントに、もう一度、向き直った。

「……行ってこい」

「うん」

「俺は、家を、守ってる」

「……うん」

兄の、目が、少しだけ、潤んでいた。

でも、泣かなかった。

泣く前に、兄は、背を、向けた。

「じゃあな」

短く、言って、兄は、また、裏庭に、走っていった。

剣を、振りに、戻ったのだった。

リントは、兄の背中を、見送った。

その背中が、ほんの少しだけ、以前より、広く、見えた。

リントは、もう、何も、言わなかった。

     ※

村の門まで、父と母が、見送りに、出た。

朝の、村の道を、歩いた。

途中で、村人たちが、家の、軒先から、顔を、出していた。

「リント様、お気をつけて」

「ユミル様……」

「……」

村人たちの、視線は、ほとんど、ユミルに、集中していた。

白いローブの、長い白髪の、美しい少女が、リントと、並んで、歩いている。

村人たちは、まだ、この光景に、慣れていなかった。

慣れないまま、見送るしか、なかった。

ユミルは、村人たちに、軽く、会釈を、した。

それだけで、何人かが、膝を、つきそうに、なった。

「……ユミル」

「はい」

「頭、下げすぎるな」

「なぜ、ですか」

「拝まれる」

「……そう、なんですか」

「うん」

「……学習しました」

「する前に、言ってくれ」

「……すみません」

二度目の、同じ、やり取りだった。

リントは、少し、笑った。

ユミルも、少し、笑った。

村の、門が、近づいてきた。

     ※

門の、前で、父と母は、立ち止まった。

「ここから、先は、お前たちの、道です」

父が、静かに、言った。

「はい」

「ラウンドローズまで、徒歩で、一日」

「はい」

「気をつけて、行きなさい」

「はい」

母が、リントの、前に、来た。

何か、言おうとして、言葉に、ならなかった。

代わりに、母は、リントを、ぎゅっと、抱きしめた。

短く、離した。

「……」

「……母さん」

「行ってらっしゃい」

「……行ってきます」

母は、それ以上、何も、言わなかった。

父も、何も、言わなかった。

ただ、二人、門の、前に、並んで、立っていた。

リントは、背を、向けた。

ユミルも、深く、一礼して、リントの、横に、並んだ。

二人、歩き出した。

門を、抜けた。

振り返らなかった。

     ※

街道は、思ったより、広かった。

秋の風が、二人の、頬を、撫でた。

畑と、林と、空と、雲。

どこまでも、広がっていた。

ユミルは、少し、立ち止まった。

深く、息を、吸い込んだ。

ゆっくりと、吐いた。

もう一度、吸った。

もう一度、吐いた。

リントは、それを、横目で、見た。

ユミルが、百年ぶりに、森の外の、空気を、吸っていた。

百年ぶりだった。

リントは、それを、知っていた。

そして、

何も、言わずに、もう一度、前を、向いた。

「リン様」

「ん」

「行きましょう」

「……ああ」

秋の街道が、二人の、前に、伸びていた。

     ※

――第六章・前編、了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ