072 兄、王都に来る
朝、霜花亭の食堂。
リントが朝食のシチューを食べていた時、女将が呼びに来た。
「リント、お客さんだよ」
「ん?」
「外」
「誰だ」
「あんたの知り合いっぽい」
リントが顔を上げた。
「名前」
「**ルーク、と名乗ってた**」
リントがスプーンを止めた。
ユミルも、横で姿勢を変えた。
エルナも顔を上げた。
「兄貴?」
「兄貴って、村の?」
エルナが訊いた。
「他に、ルークいない」
「だな」
リントが立ち上がった。
シチューを残したまま、霜花亭の表へ向かった。
ユミルとエルナもついてきた。
ファーファはユミルの肩で目を細めていた。
※
霜花亭の外。
朝の通り。
人通りはまだ少なかった。
宿の前に、男が立っていた。
背の高い、がっしりした体格。
茶色の髪、短く刈られていた。
旅装束、背中に長剣。
確かに、兄ルークだった。
「リント」
ルークがふっと笑った。
「兄貴」
「久しぶりだな」
「久しぶり」
リントが息を吸った。
「**元気か**」
ルークが聞き慣れた口調で言った。
「元気」
「そうか」
「兄貴も?」
「元気だ」
二人がしばらく、見つめ合っていた。
リントの方が、少し目元を緩めた。
「何で、王都に」
「修行」
「修行?」
「剣の修行。父さんに頼んで、許可もらった」
「いつから」
「五日前、村出た」
「歩いて?」
「途中、馬車。最後、歩き」
「だな」
「お前らに会いに来た、わけじゃない」
「うん」
「でも、近くまで来たから」
「うん」
「顔、見ようと思った」
「だろうな」
リントが頷いた。
それから、ルークの肩を軽く叩いた。
「中、入れ」
「いいのか」
「いい。朝食、まだ残ってる」
「腹、減った」
「だろう」
ユミルが横で頭を下げた。
「ルーク様、ようこそ」
ルークがユミルを見た。
それから姿勢を正した。
胸に手を当てた。
村で何度も見せた、礼の形だった。
「**ユミル様**」
声が、少し上ずっていた。
「**お元気そうで、何よりです**」
ユミルが、ぱちぱち、と瞬きした。
「ルーク様、ユミルでいいです」
「いえ、ユミル様」
「ユミル、です」
「**ユミル様**」
「ユミル、です……」
「**ユミル様**」
ユミルが困った顔で、リントを見た。
リントが息を吐いた。
「兄貴」
「ん」
「お前、相変わらずだな」
「相変わらず?」
「ユミルに、弱い」
「弱いわけじゃ、ない」
「弱い」
「敬意」
「過剰」
「過剰じゃ、ない」
「過剰」
「**村でも、皆、こう呼んでた**」
「うん、知ってる」
「俺だけ、特別じゃない」
「うん」
「**ユミル様、皆の誇り**」
ユミルが頬を、わずかに緩めた。
「ルーク様、ありがとうございます」
「いえ」
「ユミルで、結構です」
「いえ、ユミル様」
「**ユミル、でいいです**」
「**ユミル様**」
「**ユミル、です……**」
エルナが横で、声を出して笑った。
「ユミルちゃん、諦めな」
「諦めるしか、ないですか」
「諦めるしか、ない」
「……はい」
ユミルが頭を下げた。
それからもう一度、ルークに向かって頭を下げた。
「ルーク様、お元気そうで、私も嬉しいです」
「ユミル様、ありがとうございます」
「**面倒、見てもらってる**」
ルークが続けた。
「リン様、いつも優しいです」
「ユミル様、それは、リントが当然です」
「当然?」
「**ユミル様のお側にいられること、リント、誉れ**」
ユミルがまた、ぱちぱちと瞬きした。
リントが横で息を吐いた。
「兄貴、お前、その口調、いつまで」
「**自分の家、出るまで**」
「ずっと、続くじゃないか」
「**ユミル様、神聖**」
「お前、本当、村のまま」
「**村のまま**」
「ユミル、混乱してるぞ」
「混乱しています」
ユミルが頷いた。
エルナがまた笑った。
「ユミルちゃん、王都で初めて、ユミル様扱い、される」
「初めて、です」
「リント君の家族、面白いね」
「面白い、です」
ルークが咳払いをして、姿勢を戻した。
「**お前らに馴染むよう、努める**」
「努めろ」
「**でも、ユミル様への敬意、外せない**」
「分かった」
「**家族の教え**」
「分かった、って」
リントが頷いた。
ユミルがふっと笑った。
「ルーク様、ありがとうございます」
「ユミル様、お幸せそうで、私も嬉しいです」
「お幸せ?」
「**笑顔、増えてる**」
ユミルが止まった。
「私、笑顔、増えてますか」
「**増えてる**」
「**村の頃より、遥かに**」
「……」
ユミルがリントを見た。
リントが目を逸らした。
「ま、まあ、皆と一緒だから、だろ」
「リン様」
「ん」
「私、笑顔、増えていますか」
「**増えてる**」
「自覚、ありませんでした」
「だろうな」
「リン様、観察上手」
「観察、上手じゃない」
「上手です」
「**ルーク様も、観察上手**」
ユミルが付け加えた。
「兄弟、似てます」
「似てます」
ルークが頷いた。
「弟、目利き上手」
「兄貴、あんたも」
「兄弟」
「兄弟」
エルナが横で爆笑していた。
「あんたら、二人ともユミルちゃんの観察者」
「観察者?」
「ユミルちゃん、被観察者」
「被観察者、です」
ユミルが頷いた。
「私、皆さんに観察されて、嬉しいです」
「ユミルちゃん、それ、攻めだよ」
「攻めです」
「やっぱり、攻める」
「攻めます」
ユミルがもう一度、頭を下げた。
エルナが横でにやにやしていた。
「リント君、お兄ちゃん、似てるね」
「うるさい」
「目つき、似てる」
「黙ってろ」
「真面目さ、似てる」
「ルーク、こいつ無視していい」
「いや、ご挨拶しないと」
ルークがエルナに向かって、頭を下げた。
「弟が、お世話になっています」
「あら、ご丁寧に」
「ルークと申します」
「あたし、エルナ。エルナ・スカディ」
「**スカディ家?**」
「うん。三女。冒険者やってる変わり種」
「失礼ですが、貴族の方が」
「気にしないで」
「はあ」
ルークが少し戸惑った顔をした。
「スカディ家のお嬢様、と」
「そう」
「弟がご一緒させてもらって、ありがとうございます」
「お礼、要らない」
「いえ」
「あんたの弟、いい奴」
「そうですか」
「いいパーティ、組んでる」
「はい」
「あんたも、大事な家族なんだろうね」
「弟、です」
「うん」
ルークがリントを見た。
リントが息を吐いた。
「兄貴、堅すぎ」
「初対面、だ」
「もっと、楽でいい」
「貴族、だぞ」
「だから、楽でいいって言ってる」
エルナが声を出して笑った。
「ルーク君、いいね、真面目で」
「ありがとう、ございます」
「本当、リント君と対照的」
「兄貴と俺は、違う」
「分かる、見てれば」
「うるさい」
ファーファがユミルの肩から、ルークを見ていた。
「**主の主、誰ニャ**」
「リン様のお兄様です」
「**お兄様ニャ?**」
「はい」
「**……主と、似てるニャ**」
「似てます」
「**でも、口、悪くないニャ**」
「ルーク様、口、優しいです」
「**主、口悪い、シリーズニャ**」
「**お前、それを言うな!**」
リントが叫んだ。
ルークがファーファを見て、目を丸くした。
「**喋る、猫?**」
「ファーファ、です」
ユミルが説明した。
「私が、作りました」
「お前、作ったのか?」
「はい」
「すごいな」
「ありがとう、ございます」
「**我は、竜ニャ**」
「猫だろ」
「**竜ニャ**」
「猫」
「**竜!**」
ファーファが声を上げた。
ルークがふっと笑った。
「面白い家族、増えたな、リント」
「うるさい」
「いや、お前、楽しそう」
「楽しくない」
「楽しそう」
リントが息を吐いた。
ユミルがふっと笑った。
エルナが声を出して笑った。
「ルーク、観察上手」
「観察、上手じゃない」
「観察上手。リント君、ふくれ顔」
「ふくれ顔じゃない」
「ふくれてる」
「うるさい」
朝の通りに、笑い声が広がった。
※
霜花亭の食堂。
ルークがシチューを食べていた。
旅で疲れていたらしく、食欲がすごかった。
女将がおかわりを二回、出した。
「兄ちゃん、よく食べるね」
「ありがとう、ございます」
「リントの兄貴って聞いて、楽しみだったよ」
「光栄、です」
「あんたも、しばらく泊まる?」
「お願いできますか」
「もちろん。長期割引、するよ」
「ありがとう、ございます」
「リントの隣の部屋、空いてる」
「お願いします」
ルークが頭を下げた。
リントが横で、ふっと笑った。
「兄貴、お礼言いすぎ」
「礼儀」
「分かるけど」
「いいんだよ、リント」
女将がルークの肩を、軽く叩いた。
「あんたの兄貴、礼儀正しい、いいね」
「うるさい」
「あんたが、もう少し見習え」
「うるさいって」
エルナが横で笑った。
「女将、リント君、説教」
「説教じゃない」
「説教」
「うるさい」
リントが息を吐いた。
ユミルがルークの斜め前で、ぱくぱくとシチューを食べていた。
ルークがユミルを見た。
「ユミル」
「はい」
「お前、相変わらずよく食べるな」
「はい、よく食べます」
「いい、いい」
「ファーファも、食べます」
「ファーファに、シチュー、いいのか」
「ジャーキーだけでは、栄養、偏ります」
「だな」
「**主の主、ジャーキー、所望ニャ**」
「ファーファ、シチュー、先に食べてください」
「**シチュー、ジャーキーじゃ、ないニャ**」
「ジャーキー、後です」
「**……仕方ない、シチューニャ**」
ファーファがシチューの肉を、ぱくりと食べた。
満足げに目を細めた。
「**美味しいニャ**」
「美味しい、です」
「**主の主、シチュー、見つけてくれて、ありがとうニャ**」
「いえ」
ルークがそれを見ながら、シチューを食べていた。
それからぽつりと言った。
「リント」
「ん」
「お前、**家族、増えたな**」
リントが止まった。
——あ。
——兄貴、それ気づくか。
——目、いいな。
「家族?」
リントが訊き返した。
「ユミル、ファーファ、エルナさん」
「うん」
「家族みたい」
「**家族、じゃない**」
リントが即答した。
「違うか?」
「家族じゃ、ない」
「では、何だ」
「**仲間**」
ルークが頷いた。
「仲間」
「うん」
「家族みたいな仲間」
「みたいに近い、けど、家族じゃない」
「分かった」
ルークがユミルを見た。
ユミルが、ぱちぱち、と瞬きした。
「ユミル」
「はい」
「お前は」
「はい?」
「リントを、どう思ってる」
「リン様」
「うん」
「私の、**仲間**、です」
「家族、じゃ?」
「仲間、です」
「同じ?」
「同じです、リン様と」
「分かった」
ルークが頷いた。
「お前ら、ちゃんと話してるな」
「**話、しています**」
「いいことだ」
「ありがとう、ございます」
ユミルが頭を下げた。
リントが息を吐いた。
——兄貴、刺してくるな。
——でも、悪意ない。
——確認したいだけだ。
——いつもの兄貴。
リントがふっと笑った。
「兄貴、相変わらず、だな」
「相変わらず?」
「真面目」
「真面目に、聞いただけだ」
「だな」
「悪かったか」
「悪くない」
「そうか」
ルークがシチューを、また食べ始めた。
その横顔が、村の頃と同じだった。
リントはそれを、少し嬉しく思った。
※
朝食の後。
ルークが部屋に案内された。
リントとユミルが、ルークと一緒に二階へ上がった。
エルナは別件で、外出した。
ファーファはユミルの肩で目を細めていた。
ルークの部屋。
リントの隣。
簡素な部屋だった。
ルークが荷物を置いた。
それからリントを見た。
「リント」
「ん」
「お前、変わったな」
「変わった?」
「目つき」
「うん?」
「前より、しっかりしてる」
「だろうな」
「お前、何してる、王都で」
「依頼」
「依頼?」
「冒険者の依頼」
「具体的に」
「**長期、調査依頼**」
「内容」
「……」
リントが少し迷った。
ルークが待った。
リントがぽつりと言った。
「**敵、いる**」
「敵」
「王都で、暗躍してる」
「うん」
「俺たち、それを追ってる」
「危険か」
「危険」
「死ぬ可能性?」
「ある」
「うん」
ルークが頷いた。
それからぽつりと言った。
「**俺、ちゃんと、強くなるから**」
リントが止まった。
——あ、兄貴、またそれ言うか。
——前にも、言ったな。
——いつだったか。
——俺がラウンドローズに出る前。
——兄貴、家を守ると言って、その後、付け加えた。
——「お前、俺の弟だ。誇りに思ってる」って。
——そして、「俺、ちゃんと強くなる」と。
「兄貴」
「ん」
「**知ってる**」
リントが答えた。
ルークがリントを見た。
「知ってるって?」
「お前、強くなるって」
「うん」
「知ってる」
「……」
「お前、村出てきた時点で、強い」
「強くないよ」
「強い」
「リント」
「ん」
「お前も、強くなったな」
「だろうな」
「俺、追いつかないと」
「兄貴、追いつくな」
「うん?」
「**お前は、お前の強さで強くなれ**」
ルークが少し止まった。
それからふっと笑った。
「お前、そういうこと、言うようになったか」
「うん」
「変わったな、本当」
「変わった」
「いいことだ」
「うん」
リントが頷いた。
ユミルが横で、じっと聞いていた。
ファーファがユミルの肩で、目を細めていた。
ルークがユミルを見た。
「ユミル」
「はい」
「弟、頼む」
「お任せください」
「お前、強いと聞いた」
「強い、です」
「お前、頼りにしている」
「はい」
ユミルが深く頭を下げた。
ルークも深く頭を下げた。
リントが息を吐いた。
「兄貴、お辞儀、深いな」
「礼儀」
「ユミルも、深い」
「礼儀、です」
「お前ら、似てる、その堅さ」
「似てます?」
「似てる」
ユミルがふっと笑った。
「ルーク様の礼儀、見習いたいです」
「お前、十分礼儀正しい」
「ありがとう、ございます」
「**主の主、礼儀、流派ニャ**」
「流派、ですか」
「**流派ニャ**」
「ファーファ、流派、知ってるんですか」
「**主の主、教育の、賜物ニャ**」
「お前、その理由、シリーズ化してるな」
「**シリーズニャ**」
ルークが声を出して笑った。
「リント、面白い家族、いや、仲間だな」
「うるさい」
「いや、本当に面白い」
「うるさいって」
リントが息を吐いた。
でも、口元は笑っていた。
ルークがそれを見て、また笑った。
ユミルも笑った。
ファーファも目を細めていた。
ルークの王都生活が、こうして始まった。
※
——第七十一章、了。




