065 第二の事件
数日が過ぎた。
調査は、進まなかった。
ヘルベルトの行方は、依然として不明。
シオンは王立記録を掘り続けていた。
ミラは裏のチャネルを叩き続けていた。
リント、ユミル、エルナの三人は、神殿に通いながら、王都の街中を観察していた。
ファーファの感知能力は、徐々に磨かれていった。
時々、ファーファが「**ニャ**」と短く反応する。
その方向を見ると、フードの人物が遠くにいる。
でも、近づくと、もういない。
そういう日々が、続いた。
朝、霜花亭の食堂。
朝食を取っていた時、ギルドからの使者が駆け込んできた。
「冒険者の、リント様!」
「ん」
「ミナ婆さんから、急ぎ、です」
「分かった」
エルナも顔を上げた。
「何があった」
「**フォルクハルト商会の、当主、行方不明、です**」
リントが息を止めた。
「フォルクハルト」
「はい」
「王都、有数の商家」
「はい」
エルナが眉を寄せた。
「**ヘルベルトに続いて、二人目**」
「だな」
「行こう」
「うん」
三人と一匹は、朝食を半分残して、ギルドへ向かった。
※
ギルドの奥の部屋。
ミナ婆さんが、書類を広げていた。
「フォルクハルト・ハインゼン、五十八歳」
「うん」
「フォルクハルト商会の、当主」
「うん」
「昨夜、屋敷から、姿を消した」
「で?」
「**今朝、戻って来た**」
「戻った?」
リントが訊き返した。
「戻ってる」
「では、行方不明じゃない」
「**でも、おかしい**」
「おかしい?」
「家族が、別人になった、と」
ユミルが、顔を上げた。
エルナも、姿勢を変えた。
「別人」
「家族の話、聞きたい?」
「聞きたい」
「フォルクハルト夫人、来てる」
「ここに?」
「奥の、待合」
「会わせてくれ」
ミナ婆さんが頷いた。
「事件性、ない、と、家族が判断したら、依頼にならない」
「うん」
「だから、ギルドに、まだ、正式依頼は出てない」
「分かった」
「あんたら、知り合い、として、話してきな」
「だな」
ミナ婆さんが立ち上がった。
待合に案内した。
※
待合室。
中年の女性が座っていた。
身なりが整っていた。
でも、目元が、疲れていた。
ハンカチを手に持っていた。
「フォルクハルト夫人」
「はい」
「冒険者の、リントです」
「初めまして」
「お話、伺っても」
「お願いします」
夫人が頭を下げた。
「夫が、変です」
「変、というのは」
「昨夜、書斎から、姿を消しました」
「うん」
「私、騒ぎました」
「でしょうね」
「夜中、ずっと、捜しました」
「うん」
「明け方、夫が、玄関から、戻りました」
「自分の足で?」
「はい」
「で、今は、どこに」
「家、です」
「具合は」
「**普通、です**」
「普通?」
「健康、外傷、なし」
「では、何が、変なのか」
「**目が、違います**」
リントが息を止めた。
ユミルも、姿勢を変えた。
ファーファが、ユミルの肩で目を開けた。
「目」
「はい」
「夫の、目、夫の目では、ありません」
「具体的に」
「言葉、難しい、ですが」
「うん」
「**温かみ、ない**」
「うん」
「**癖、変わった**」
「癖」
「夫、いつも、左手で、コップを持ちました」
「うん」
「今朝、右手」
「うん」
「夫、いつも、紅茶に、砂糖、二つ」
「うん」
「今朝、三つ」
「うん」
「**小さなこと、です。でも、夫では、ない**」
夫人が、ハンカチを握った。
「私、長年、夫を、見ています」
「うん」
「分かります」
「うん」
「夫では、ない」
リントが、ユミルを見た。
ユミルが、小さく頷いた。
「奥様」
ユミルが言った。
「はい」
「私、奥様の、お話、信じます」
「ありがとう、ございます」
「ご主人、お会いできますか」
「会えます」
「お屋敷で?」
「はい」
「お伺いしてもいい、ですか」
「お願いします」
夫人が深く頭を下げた。
「夫を、戻して、ください」
「……」
リントが、何も言えなかった。
ユミルも、頭を下げた。
「できる限り、努めます」
「お願いします」
エルナも頷いた。
「あたしも、行く」
「ありがとう、ございます」
「ご家族、何人?」
「私、夫、息子、二人」
「息子さん、ご主人の変化、気づいてる?」
「上の息子、気づいてます」
「下は」
「下、まだ、五歳」
「だな」
「上の息子、十六」
「年頃だな」
「夫の事業、継ぐ予定、でした」
「うん」
「混乱しています」
「だろうな」
リントが頷いた。
「では、屋敷に、お伺い、します」
「すぐに?」
「すぐに」
「ありがとう、ございます」
夫人が立ち上がった。
四人と一匹も立ち上がった。
ギルドを出て、馬車に乗り込んだ。
馬車の中、夫人が、ハンカチで目を抑えた。
リントとエルナが、顔を見合わせた。
ユミルが横で、じっと座っていた。
ファーファがユミルの肩で、目を細めていた。
馬車が、フォルクハルト邸へ向かった。
※
フォルクハルト邸。
王都の商業区の、外れ。
立派な石造りの屋敷。
門の前で、馬車を降りた。
執事が出迎えた。
中に入ると、書斎へ案内された。
書斎の扉の前で、執事が一礼した。
「旦那様、書斎におられます」
「分かった」
夫人が、扉を、ノックした。
中から、声が、聞こえた。
「入れ」
短い、低い声。
夫人が扉を開けた。
中に、男がいた。
机に向かって、書類を見ていた。
五十代、白髪混じりの髪。
落ち着いた佇まい。
商人らしい、品の良さがあった。
「あなた」
夫人が言った。
「ん」
「冒険者の、皆さん、お連れしました」
「冒険者?」
男が顔を上げた。
リントを見た。
エルナを見た。
ユミルを見た。
ファーファを見た。
——目。
リントは、男の目を、見た。
確かに、温かみが、なかった。
ガラス玉のような、目。
でも、人間の、目。
——書き換えられてる。
リントは、確信した。
ユミルが、横で頷いた。
ユミルにも、見えていた。
「お会いできて、光栄、です」
リントが、頭を下げた。
「ああ」
「ご事情、伺いました」
「事情?」
「ご家族の、ご心配、伺っています」
「妻が、何か、申したか」
「はい」
「妻は、過敏」
男が、夫人を見た。
夫人が、目を逸らした。
「私、変わっていない」
「ご主人」
「ん」
「左手、いつも」
「ん?」
「コップを、持つ手」
「左、だが」
「今朝、右、だった、と」
「……右だったか?」
男が首を傾げた。
「ええ、右」
夫人が言った。
「気のせいだ」
「気のせい、では、ありません」
「気のせい」
男が、淡々と言った。
「妻、休みなさい」
「あなた」
「冒険者の方、お引き取り、願いたい」
リントが頷いた。
「分かりました」
「ご足労、申し訳ない」
「いえ」
「妻、しばらく、静養が必要のようだ」
「……」
夫人が、ハンカチを、強く握った。
リントが、夫人を見た。
夫人が、目を伏せた。
「ユミル」
リントが、小声で言った。
「はい」
「行こう」
「はい」
「奥様、今日は、これで」
「……はい」
夫人が頭を下げた。
四人と一匹は、書斎を出た。
廊下を歩きながら、誰も、言葉を発しなかった。
玄関で、執事が見送った。
「ありがとう、ございました」
執事が頭を下げた。
四人と一匹は、馬車に乗らず、徒歩で帰路についた。
少し、街を歩く必要があった。
考える時間が、必要だった。
※
通りに出てから、しばらくして、リントが言った。
「ユミル」
「はい」
「あれ、書き換え」
「**書き換え、です**」
「確実」
「確実、です」
「神官と、同じ、技術」
「同じ、です」
エルナが息を吐いた。
「**夫人、これから、どうなる**」
「うん」
「家族、引き裂かれる」
「うん」
「あたしら、どうしてやれる」
「**夫人、戻せない**」
リントが言った。
「敵は、もう、引き上げてる」
「だな」
「フォルクハルト、書き換え終わって、放置」
「うん」
「フォルクハルト商会、敵の道具に、なる」
「資金源か」
「あるいは、情報源」
「商会、王都の、流通、握ってる」
「だな」
エルナが顔を硬くした。
「敵、王都の、根幹、握り始めてる」
「うん」
「神殿、商会、次は、どこ」
「貴族、軍、ギルド」
「全部、可能性、ある」
「ある」
「**急がないと**」
「だな」
ユミルが横で、頷いた。
「夫人、お一人で、抱える、辛い、です」
「だろうな」
「私たち、訪問、続けたい、です」
「家族として?」
「友人として、です」
「うん」
「夫人、孤立、させない」
「分かった」
「あたしも、行く」
エルナも頷いた。
「夫人、味方、必要」
「だな」
リントも頷いた。
ファーファが、ユミルの肩で、目を細めた。
「**主の主、優しいニャ**」
「優しい、では、なく、当然、です」
「**当然ニャ**」
「はい」
「**……我、悲しいニャ**」
「ファーファ?」
「**家族、引き裂かれる、悲しいニャ**」
「はい、悲しい、です」
「**敵、許さんニャ**」
ファーファが珍しく、低い声で言った。
リントが、ファーファを見た。
「お前、本気で、怒ってるな」
「**怒ってるニャ**」
「珍しいな」
「**主の主、悲しい顔、ニャ**」
「うん」
「**敵、悪、ニャ**」
「だな」
「**ジャーキー、所望ニャ**」
「**お前、急に、戻すな**」
リントが叫んだ。
エルナが、力なく笑った。
「ファーファ、いつもの」
「**いつもニャ**」
「いつも、いいよ」
ユミルが、ファーファの背を撫でた。
ファーファが、ごろごろ鳴いた。
四人と一匹は、王都の通りを、歩いた。
街の人々は、いつも通りに生きていた。
その中に、敵の駒が、増えていた。
増え続けていた。
止めなければ、いけない。
四人と一匹が、それを、改めて、感じていた。
※
——第六十四章、了。




