061 見えない敵
霜花亭の二階。
リントの部屋。
四人と一匹で集まった。
夕食前。
部屋に、緊張が満ちていた。
エルナが椅子に座った。
リントもベッドの縁に座った。
ユミルが机の前に立った。
ファーファがユミルの肩で丸くなった。
でも、いつもと違って目を開けていた。
「お話、します」
ユミルが言った。
「うん」
「途中、難しい、言葉、出ます」
「うん」
「分からなかったら、聞いて、ください」
「うん」
ユミルが息を整えた。
「敵は、人を書き換える技術を、持っています」
「書き換える」
リントが繰り返した。
「人の記憶、人格、性格、上書きできる」
「魔法で?」
「魔法では、ない」
「じゃ、何で」
ユミルが少し迷った。
それからゆっくり言った。
「**余所の世界の、技術**、です」
リントが息を呑んだ。
「余所の、世界」
「はい」
「お前と同じ、世界のか?」
「はい」
「敵は、お前と同じ何か、なのか」
「**同じでは、ない**」
「違う?」
「敵は、人間です」
「人間」
「でも、**余所の世界の技術、知っている、人間**」
「……」
「私と、似た立場です」
リントが頷いた。
エルナが小さく顔を寄せた。
「ユミルちゃん、それ、初めて聞く話」
「はい」
「あんたも、余所の世界、知ってるってこと?」
「……」
ユミルが少しリントを見た。
リントが頷いた。
ユミルがエルナに向き直った。
「はい、私、前世、あります」
「ふーん」
「驚かない、ですか」
「驚いた」
「驚いてるように、見えない」
「驚いてるけど、納得が勝った」
「納得?」
「あんた、最初から変だった」
「変、ですか」
「変。でも、いい変」
「ありがとう、ございます」
「で、敵も、あんたと同じで、前世あるんだ」
「はい」
「敵は、前世で何してた人」
「……分かりません」
「分からない?」
「私の、知らない人です」
「うん?」
「私の前世、私の世界、いっぱい人、いました」
「うん」
「全員、知らない」
「だな」
「敵は、その中の誰か」
「ふむ」
エルナが頷いた。
「敵の、技術」
リントが訊いた。
「人を、上書きする、技術」
「説明、続け」
「はい」
ユミルが息を整えた。
「**プロンプト・インジェクション**と呼ばれる技術に、近い」
「プロンプト?」
「指示、です」
「うん」
「人に外から、強い指示を入れる」
「うん」
「指示が、人の判断を上書きする」
「魔法とか、洗脳みたいなもの?」
「近い」
「で、神官はそれで」
「はい」
「ヘルベルトは、上書きされた」
「上書きされた後、消えた」
「自分の意思で消えたように、見える」
「でも、上書きされてると」
「はい」
「他人の駒になっている、と」
「はい」
エルナが息を吐いた。
「あんた、そういう技術、防げる?」
「防げます」
「絶対?」
「私のファイアウォールで、対応できます」
「対応できる、と」
「はい」
「あたしらも守れる?」
「お守り、します」
「ありがと」
「……」
ユミルが少し口を閉じた。
それから続けた。
「ただ、一つ、問題」
「問題」
「敵の技術は、進化する」
「進化?」
「敵の上書き技術、最初は単純」
「うん」
「使うほど、強くなる」
「強くなる」
「私の防御、追いつかなくなる可能性」
「うん」
「防御が追いつかなくなる前に、敵を止める必要、あります」
「だな」
リントが頷いた。
「期限、あるってこと」
「期限、明確ではない」
「でも、ある」
「あります」
「うん」
エルナが深く頷いた。
「ユミルちゃん」
「はい」
「あんた、辛そう」
「……」
「無理、してる?」
「無理、して、いません」
「でも、辛そう」
「……」
ユミルが少し間を置いた。
「敵、私の、世界、関係、あります」
「うん」
「私、敵、止めなければ、いけない」
「うん」
「責任、私に、あります」
「ない」
リントが言った。
「ない?」
「お前の責任じゃない」
「でも」
「お前の世界の誰かが、勝手にここに来た」
「はい」
「お前が来てなかったら、敵は止められない」
「はい」
「お前が来た、おかげで、止められる可能性が、ある」
「はい」
「それで、十分、だろ」
「……」
「責任、感じる必要、ない」
「リン様」
「ん」
「優しい、です」
「優しくない」
「優しい、です」
「事実、言ってるだけ」
「事実、優しい、です」
エルナが横で小さく笑った。
「リント君とユミルちゃん、いつもこれだね」
「これって」
「攻めと受け」
「うるさい」
「いいよ、続けて」
「続けない」
ユミルが少しだけ笑った。
肩の力が、ほんの少し抜けた。
ファーファがユミルの肩で頷いた。
「**主の主、責任、重いニャ**」
「はい」
「**でも、一人じゃ、ないニャ**」
「はい」
「**我、いるニャ**」
「ありがとう、ございます」
「**主、いるニャ**」
「はい」
「**姐、いるニャ**」
「はい」
「**シオン、ミラ、いるニャ**」
「はい」
「**仲間、いるニャ**」
「……はい」
ユミルが小さく頷いた。
それからゆっくり息を吐いた。
肩の緊張が少し解けた。
※
「で、これから、どうする」
エルナが訊いた。
「明日、シオンと、ミラに、共有」
リントが言った。
「ヘルベルト、書き換えられた、可能性」
「うん」
「白蛇、ヴェスティアの東、関連」
「うん」
「敵は、書き換える技術を持っている」
「うん」
「対策、必要」
「うん」
「ユミル」
「はい」
「お前の防御、強化できるか」
「強化、可能です」
「五人、守れるか」
「守れます」
「強化、頼む」
「はい」
「あと、ファーファ」
「**ニャ?**」
「お前の感知能力、磨け」
「**磨くニャ**」
「敵が近づいたら、教えろ」
「**教えるニャ**」
「俺は、お前の感知、信用する」
「**……主、信用、嬉しいニャ**」
「うん」
「**ジャーキー、所望ニャ**」
「**今、それかよ**」
リントが叫んだ。
エルナが声を出して笑った。
ファーファがすまし顔で目を閉じた。
ユミルがふっと笑った。
「ファーファ、緊張、解す、上手、です」
「解してんのか、こいつ」
「解しています」
「自然なのか、計算なのか」
「両方、です」
「両方かよ」
「両方、です」
ユミルが頷いた。
ファーファがすまし顔のまま目を細めた。
——お前、賢いな。
リントは思った。
——でも、表に、出さない、賢さ。
——これが、ユミルの、設計だな。
リントは口に出さなかった。
ただ、ファーファの背を軽く撫でた。
ファーファがごろごろ鳴いた。
※
ユミルが最後に付け加えた。
「リン様」
「ん」
「敵は、見えません」
「うん」
「神官、書き換えられた姿、戻ってこない可能性、あります」
「分かってる」
「私たち、これから見える敵と、戦うのでは、ありません」
「だな」
「**見えない敵**と、戦います」
「うん」
「気を抜けません」
「うん」
「でも」
「でも?」
「私が、皆をお守りします」
「うん」
「私が、私の世界を清算します」
「お前一人で、やるな」
「……」
「俺たちも、戦う」
「はい」
「戦友、だ」
「はい」
「仲間、だ」
「……はい」
ユミルが深く頷いた。
エルナも頷いた。
ファーファも頷いた。
部屋の窓から、夜が覗いていた。
王都の街灯がいつも通り灯っていた。
街は、平和に見えた。
その下で何かが動いていた。
四人と一匹はそれを知っていた。
知った上で、明日に向かう覚悟を決めた夜だった。
※
——第六十章、了。




