059 王都の夜空
その夜は満月だった。
雨上がりの空気が澄んでいた。
シオンが研究を切り上げてきた。
ミラが店を早仕舞いした。
エルナが「夜風、いい日」と言い出した。
霜花亭の食堂で、五人が集まった。
「広場、行かないか」
エルナが提案した。
「広場?」
「お城、見える方の」
「ああ、あそこか」
「うん」
「いい、ですね」
ユミルが頷いた。
「シオンも、ミラも、来るだろ?」
「行きます」
「行く」
「決まり」
エルナが立ち上がった。
ファーファがユミルの肩で目を開けた。
「**散歩ニャ?**」
「散歩、です」
「**夜の散歩、初めてニャ**」
「初めて、です」
「**どきどきニャ**」
「どきどき、です」
「お前ら、二人で感想、共有するな」
リントが言った。
「**主の主と、感想、共有、楽しいニャ**」
「楽しい、です」
「だから、二人で」
「お、いいじゃん、仲良し」
エルナが横で笑った。
「行こう、行こう」
※
王都の夜。
街灯が等間隔で灯っていた。
夜の人通りも、まだあった。
商業区を抜けて、広場へ向かった。
広場は王城の見える、王都の中心の高台にあった。
歩いている間、誰も多くは喋らなかった。
エルナが時々空を見上げた。
ミラが横で並んで歩いた。
シオンが少し後ろから、ゆっくり歩いた。
リントとユミル、ファーファが、その間。
夜風が、頬に冷たかった。
「ユミル」
「はい」
「寒くないか」
「寒く、ありません」
「ローブ、薄いだろ」
「適温、です」
「適温?」
「私、温度調整できます」
「初耳だぞ、それ」
「魔法、自動です」
「魔法、便利だな」
「便利、です」
「俺にも、かけてくれ」
「かけています」
「えっ」
「さっきから」
「気づかなかった」
「気づかれない設計、です」
「お前、すげぇな」
「ありがとう、ございます」
リントが少し笑った。
それから空を見上げた。
満月が雲の切れ間から覗いていた。
※
広場に着いた。
石畳の広場。
中央に古い噴水。
噴水の縁に、五人が腰を下ろした。
王城が満月の下に浮かび上がっていた。
王城の白い壁に月光が反射していた。
少し先で、夜警の松明が動いていた。
人通りは少なかった。
「綺麗、ですね」
ユミルが空を見上げた。
「うん」
リントが頷いた。
「**月、綺麗、ですね**」
ユミルがもう一度言った。
リントは少し止まった。
ユミルの横顔を見た。
月光がユミルの白い髪に、青く落ちていた。
ユミルは空を見ていた。
リントには気づかないふりだったかもしれない。
「うん」
リントがもう一度頷いた。
「綺麗、だな」
それだけ言った。
ユミルが小さく笑った。
エルナが横でにやにやしていた。
ミラがエルナの横腹を肘で突いた。
「黙ってな」
「黙ってる」
「黙ってない」
「黙ってる」
二人が小声で言い合った。
シオンが少し笑った。
ファーファがユミルの肩から噴水の縁に降りた。
水に映る月を不思議そうに見ていた。
「**主、月、水にも、いるニャ**」
「いるな」
「**二つ、ニャ?**」
「映ってんだよ」
「**……ふむ**」
ファーファが分かったような分からないような顔で、また座り直した。
水面に映る月をじっと見ていた。
※
しばらく、誰も喋らなかった。
それぞれが空を見ていた。
エルナが先に口を開いた。
「あたし、こういう夜、苦手」
「苦手?」
リントが訊いた。
「考えちゃう」
「うん」
「霜の剣の四人、こういう夜、どこで見てるかな、って」
「……」
「あの世があるなら、いいけど」
「うん」
「無いなら、もう見てないんだな、って」
ミラが横で頷いた。
「あたしも、考える」
「うん?」
「父さん、母さん、どこで何してんのかな、って」
「うん」
「会いたい訳じゃ、ない」
「うん」
「ただ、生きてんのかな、って」
「うん」
シオンもぽつりと言った。
「私、家族、いません」
「うん?」
「孤児出身、です」
「言ってなかったね」
「言う機会、ありませんでした」
「で、考える?」
「考えます」
「何を」
「両親がいたら、こういう夜、どんな話するのかな、と」
「うん」
「……分かりませんけど」
リントは黙って聞いていた。
それから空を見上げた。
「俺、家族、いる」
「うん」
「父さん、母さん、兄貴」
「うん」
「今頃、寝てるな」
「だろうね」
「同じ月、見てるとは限らない」
「うん」
「俺だけ、見てる」
「うん」
「でも、繋がってる気はする」
「うん」
エルナがふっと笑った。
「リント君、ずるいな」
「ずるい?」
「家族、生きてる人、ずるい」
「……すまん」
「謝るな」
「うん」
「あんたの家族、大事にしな」
「うん」
「うちの分も」
「うん」
ユミルが横でじっと聞いていた。
それから空を見上げた。
「私、家族、複雑です」
「うん?」
リントが訊いた。
「前世の家族、温かかった」
「うん」
「お父様、お母様、お兄様、ありがたい」
「うん」
「今の家族、いません」
「ユミル」
「はい」
「……」
リントが言葉を探した。
ユミルがふっと笑った。
「リン様、それ、考えなくていいです」
「ん?」
「私は、家族がない、と言って欲しいでは、ない」
「うん」
「ただ、事実です」
「うん」
「事実、言うと楽です」
「楽?」
「はい」
「分かった」
リントが頷いた。
「俺は、お前を家族とは言わない」
「はい」
「**仲間**、と言う」
「はい」
「それで、いいか」
「はい、いいです」
ユミルが小さく頷いた。
それから、もう一度空を見上げた。
「月、綺麗です」
「綺麗、だな」
リントも空を見上げた。
エルナがぽつりと言った。
「あたしらも、家族じゃない」
「うん」
「でも、仲間」
「うん」
「いいね、これ」
「いいな」
ミラが頷いた。
「家族より、楽かもね」
「楽、楽」
シオンも頷いた。
「私も、仲間、嬉しいです」
「シオン、嬉しい出すと、可愛いね」
「失礼しました」
「失礼じゃない」
ミラが言った。
「素直、いいよ」
「……はい」
シオンが頭を下げた。
※
ファーファが噴水の縁から、リントの膝に飛び移った。
「**主**」
「ん」
「**月、二つ、見たニャ**」
「見たな」
「**でも、本物、一つニャ**」
「うん」
「**水の月、偽物ニャ**」
「映ってるだけ、だな」
「**……寂しいニャ**」
「ん?」
「**水の月、月になれない、ニャ**」
リントが、少し止まった。
ユミルが横でファーファを見ていた。
「ファーファ、それ、気づきましたか」
「**気づいたニャ**」
「賢い、です」
「**でも、寂しいニャ**」
「はい」
「**水の月、月、ですよ、ね?**」
ユミルが優しく言った。
「**……そうかニャ?**」
「月の、別の姿です」
「**別の姿ニャ?**」
「水に映る月も、月です」
「**……ふむ**」
「本物の形、違うけど、月です」
「**……理屈、ニャ?**」
「理屈ではなく、ご解釈です」
「**……ふむ**」
ファーファが頷いた。
「**主の主、優しいニャ**」
「ありがとう、ございます」
リントがユミルを見た。
ユミルは、また空を見ていた。
——お前、今、何、言ったか、分かってんのか。
——分かってないだろうな。
リントは口に出さなかった。
ただ隣に座った。
ユミルもそのまま空を見ていた。
月が雲の切れ間から、また顔を出した。
王城が白く光った。
しばらく、誰も喋らなかった。
夜風が五人と一匹を撫でていった。
※
「そろそろ、戻るか」
エルナが立ち上がった。
「うん」
「シオン、塔?」
「はい」
「ミラ、店?」
「店」
「リント、ユミル、霜花亭」
「うん」
「明日も、依頼、片付けよう」
「うん」
帰り道、誰も多くは喋らなかった。
でも、何か満ちていた。
ファーファがリントの肩で丸くなって寝ていた。
ユミルがリントの少し後ろを歩いていた。
リントが時々振り返って、ユミルがいることを確認した。
ユミルは毎回頷いた。
それで、十分だった。
※
——第五十八章、了。




