056 三女の帰宅
待ち時間は思ったより長かった。
一時間が過ぎた。
二時間が過ぎた。
ファーファは三回ジャーキーを要求した。
ユミルは三回与えた。
リントは三回叫んだ。
「**お前、食い過ぎだろ**」
「**昼食、抜きニャ**」
「**昼、食ったろ**」
「**忘れたニャ**」
「**都合悪くなると、忘れるな**」
ファーファが知らん顔で目を閉じた。
——今日も猫ぶってる。
リントは思った。
「ユミル」
「はい」
「お前、ジャーキー、何枚持ってんだ」
「……まだ、あります」
「まだ?」
「在庫、管理、しています」
「お前、商人になれるな」
「ジャーキー、商人、ですか」
「ジャーキーに限らず」
「考えて、おきます」
「真面目に考えるな」
ユミルが、ふっ、と笑った。
それから、雪の家紋を見上げた。
時々、目を閉じていた。
「ユミル」
「はい」
「眠いか」
「いえ」
「何してる」
「……家の中、聞いて、います」
「聞いて?」
「気配、変化、追っています」
「で?」
「……エルナ姐さん、強い、緊張」
「だろうな」
「相手の方も、強い、緊張」
「家族、誰だ」
「……たぶん、お母様」
「だな、エルナ、母親とよく口論する、と言ってた」
「はい」
「内容、分かるか」
「……分かりません。距離、あります」
「だろうな」
ユミルが石塀に手を当てた。
ぼんやりと見ていた。
「リン様」
「ん」
「家族、難しい、です、ね」
「難しい、な」
「私、家族、あまり、知りません」
「だな」
「……前世の家族の、お父様、お母様、お兄様、ありがたかった、です」
「うん」
「あの家族、温かい、です」
「だな」
「エルナ姐さん、温かい家族、なのか、分かりません」
「……」
「冷たくはない、と、思います」
「うん」
「でも、何か、抱えて、いる」
「だろうな」
リントもうなずいた。
「家族って、それぞれ違うんだよ」
「違う、ですか」
「うん。形、それぞれ」
「……はい」
ユミルが小さく頷いた。
それから少し考えた。
「リン様」
「ん」
「私たちの、家族の、形、何、ですか」
「俺たち?」
「リン様、私、エルナ姐さん、シオン様、ミラ様、ファーファ」
「……」
「家族、では、ありません、よ、ね」
「家族じゃない」
「では、何、ですか」
リントは少し考えた。
「**仲間**、だな」
「仲間」
「家族とは違う」
「はい」
「でも、家族みたいに近い」
「はい」
「**道の仲間**、だな」
「……」
「第三十七章、ユミル言ってたろ」
「……はい」
「あれ、まだ続いてる」
「続いて、います」
ユミルがほんの少し笑った。
「**主、主の主、何の話ニャ?**」
ファーファがユミルの肩から覗いた。
「仲間の話、です」
「**仲間ニャ?**」
「はい」
「**我も、仲間ニャ?**」
「もちろん、です」
「**よかったニャ**」
「不安だったのか?」
リントが訊いた。
「**……不安では、ないニャ**」
「ほう」
「**……ちょっとだけ、ニャ**」
「お前、たまに可愛いこと言うな」
「**……ニャー**」
ファーファがすまし顔で目を閉じた。
——また猫ぶった。
リントは思った。
——感情、見えるのが嫌なんだろうな。
※
ようやく門が開いた。
エルナが出てきた。
執事が頭を下げて見送った。
エルナが門を抜けた。
「待たせた」
「お疲れ」
「お帰り、なさい」
「**お疲れニャ**」
エルナが、ふぅ、と長い息を吐いた。
肩が落ちていた。
「疲れたー」
「だな」
「ほんと、疲れたー」
「飯、食うか」
「飯、食う」
「霜花亭、戻る?」
「うん」
エルナが歩き出した。
リント、ユミル、ファーファが横についた。
しばらく無言で歩いた。
通りを抜けた。
貴族街から商業区へ。
人の喧騒が増えてきた。
「やっと、人がいる場所、戻ってきた」
エルナが息を吐いた。
「貴族街、息が詰まる」
「だろうな」
「あんた、よく分かるね」
「分かるよ」
「リント君も、田舎者、だからね」
「うるさい」
「ユミルちゃん、商業区、好きだって、言ってたよ」
「はい、好き、です」
「あたしも、こっちが好き」
「同じ、です」
「だね」
エルナが少し笑った。
それから、息を整えるように、もう一度息を吐いた。
エルナがやっと口を開いた。
「母さんと、口論」
「だろうな」
「ユミルが感じた、と言ってた」
「……ご明察、です」
エルナが少し笑った。
「やっぱ、分かるんだ」
「分かりました」
「で、何の口論だ?」
「**結婚しろ、って**」
リントが少し目を瞠った。
「……今?」
「今、じゃない」
「うん?」
「ずっと、言われてる」
「ずっと?」
「あたし、二十三、独身、貴族の三女」
「うん」
「家、本来なら政略結婚、強制」
「強制?」
「相手、決められて嫁ぐ」
「……」
「あたし、それを突っぱねて、冒険者になった」
「だな」
「家、容認してた」
「うん」
「でも、母さん、最近また言い始めた」
「面倒な話、だな」
「うん。霜の剣の話、報告したら」
「うん」
「**それを口実に、家に戻れ、と**」
「口実?」
「危険な仕事、続けるなら家に戻って結婚しなさい、と」
「むちゃくちゃだな」
「むちゃくちゃ」
エルナが息を吐いた。
「あたし、突っぱねた」
「うん」
「『あたしは仲間と最後まで追う』、と」
「うん」
「母さん、怒った」
「で?」
「最後、家を出てきた」
「……喧嘩別れ?」
「うん」
「**いつものこと**」
エルナが軽く笑おうとした。
でも目は笑っていなかった。
「姐さん」
リントが声をかけた。
「ん」
「姐さんは、姐さんだろ」
「うん?」
「結婚しようがしまいが、冒険者続けようが家戻ろうが」
「うん」
「姐さんは、姐さん」
「……」
「俺たちは、姐さんの味方」
エルナが、ふっ、と息を吐いた。
肩の力が、ほんの少しだけ、抜けた。
「……あんた、ずるいね」
「ずるい?」
「そういうこと、急に言うの、ずるい」
「悪い」
「悪くない」
ユミルが横でじっと見ていた。
ファーファがエルナの肩に飛び移った。
ユミルの肩から、ぴょん、と。
エルナが驚いた。
「ファーファ?」
「**慰めニャ**」
「……あんた、本当、図々しいね」
「**慰め、必要ニャ**」
エルナが、ふっ、と笑った。
今度は目元も少し緩んだ。
「ありがと」
「**……ジャーキー、所望ニャ**」
「**だから、それ慰めじゃねーだろ**」
リントが叫んだ。
エルナが声を出して笑った。
「リント君、定番生きてる」
「**生きてる**」
ファーファがエルナの肩で丸くなった。
エルナが歩きながらファーファの頭を撫でた。
ファーファがごろごろ鳴いた。
エルナの肩が少しだけ上がった。
少しだけ軽くなった。
※
霜花亭に戻った。
夕食前。
エルナが部屋に上がる前に振り返った。
「リント君、ユミルちゃん」
「うん」
「はい」
「今日、ありがと」
「うん」
「外で待っててくれただけで、心強かった」
「だろう」
「ほんと、ありがと」
エルナが頭を下げた。
珍しく深く下げた。
リントもユミルも少し驚いた。
「姐さん、らしくない」
「うん。今日は、らしくない感じ」
「うん」
「明日には、戻る」
「うん」
エルナが顔を上げた。
少しだけ目が潤んでいた。
でも、笑っていた。
「あんたら、本当ありがと」
「いいって」
「次、母さんと会う時は、もっと強く突っぱねる」
「うん」
「あんたらが、いるから」
「うん」
「シオンも、ミラも、いる」
「いるな」
「あの二人にも、感謝、伝えたい」
「明日、伝えれば」
「うん、明日、伝える」
「ミラに、酒、奢れよ」
「奢る」
「シオンには、何が、いいかな」
「あいつ、酒、飲まないからな」
「お茶?」
「いい菓子、買ってやれ」
「だね」
エルナが少し笑った。
ユミルが頷いた。
「私たち、仲間、です」
「だな」
「**仲間ニャ**」
ファーファがエルナの肩で言った。
「……うん、仲間」
エルナが小さく笑った。
それから階段を上っていった。
リントとユミルは食堂に残った。
「リン様」
「ん」
「エルナ姐さん、強い、です、ね」
「強いな」
「家族、突っぱねて、自分の道選んでいる」
「うん」
「私、合理、勧めます、けど」
「うん?」
「あれは、合理では、ありません」
「だろうな」
「奇跡、です」
リントは少し笑った。
「お前、奇跡って、ことあるのか」
「ある、です」
「うん」
「合理で計算できないこと、奇跡、です」
「だな」
「リン様」
「ん」
「リン様も、奇跡、です」
「ん?」
「私が、ここに、いること」
「うん」
「リン様と、お話、できること」
「うん」
「合理で、計算できません」
「……」
「だから、奇跡、です」
リントが少し黙った。
それから、ぽつりと言った。
「俺もだ」
「……はい」
ユミルが青い石を机の上で少し撫でた。
それから、笑った。
「**主の主、奇跡、好きニャ?**」
「好き、です」
「**理由、ないニャ?**」
「ありません」
「**……根っこニャ?**」
「はい、根っこ、です」
ファーファが、ふむ、と頷いた。
「**……我も、奇跡、ニャ?**」
「ファーファ、奇跡、です」
「**よかったニャ**」
「**お前、奇跡じゃなくて、設計ミスだろ**」
リントが横で言った。
「**……ニャー**」
ファーファがすまし顔で、目を閉じた。
——猫ぶった。
——いつもの。
リントとユミルが同時に笑った。
夜の食堂が、ふっと明るくなった。
※
——第五十五章、了。




